これが皇帝だと!?

 またヤバい奴がやってきた……そうカナタはため息を吐いたが、それは単にあまりに早口過ぎて一番大事な部分を聞き逃したからだ。


「……うん?」

「どうしたのだ? 余に何か聞きたいことがあるのか!?」

「ち、近いって!!」


 真っ赤な髪を振り乱しながら更に距離を詰めてきた女性にカナタは一歩退いた。

 緊張した面持ちのアニスはいつの間にか困った子供を見るような顔になっており、ミラに至っても呆れたようにジト目で彼女を見つめていた。


「ねえカナタぁ、もしかして大事な部分を聞き逃しちゃったぁ?」

「大事な部分?」


 首を傾げたカナタにアニスがゆっくりと説明した。


「こちらは帝国の現皇帝、ローザリンデ・ザンダード様になるのよぉ」


 帝国の現皇帝、そう聞いたカナタはポカンとした風に目を丸くした。

 何を言っているのか理解出来なかったが、自信の塊だと言わんばかりに胸を張ったローザリンデの姿にようやくカナタは理解出来た。


「……皇帝!?」

「うむ。余が帝国で一番偉い人間だぞ!」

「……………」


 絶句、正にそれが一番今のカナタの表情を的確に表す言葉だった。

 一応帝国についてはアニスが転校してきてから握手会の提案などを通じ、簡単に情報としては入手していた。

 カナタの知識としては皇帝となると想像するのは当然男性になるわけだが、実際に目をした帝国の皇帝が女性というだけでも大きな驚きである。


「……ちょっと驚いてるし、色々と聞きたいことはあるんだけど……ですが」

「畏まった言い方は止せ。余とそなたの仲であろ?」


 どうやら既にローザリンデの中ではカナタのかなり親しい間柄になっているらしく纏う雰囲気もかなり柔らかい。

 もちろんカナタとしては一体何を言っているんだという感じだが、どうもローザリンデは押しが強い女性だとカナタは直感した。


「取り敢えず説明するねぇ?」


 どうしてこのような国賓級の大物がコソコソと王都に居るのか、それはカナタだけでなくこの場に居る全員が気になっていることだ。


「実は――」


 それから始まったアニスの説明を要約するとこうだ。

 ハイシンに会いたくてここに来た、ただそれだけである。


「そもそもアニスが王国に留学をした時点で怪しいとは思っていたが、何よりあの地震が起きた配信の時にほぼ確信を持ったのだ。余もアニス同様に初期の頃からそなたのことを知っている。それだけファンということだ」

「……はぁ」


 ファンと言ってくれたことは非常に嬉しいし、マリアの両親のようにこのような大物がというのも更に嬉しいことだ。

 ただ一国の主がこうしてお忍びのような形でやってくるというのは恐ろしい行動力だということで、カナタはぶっちゃけかなり引いていた。


「余は欲しいモノは必ず手に入れる。なあハイシン……否、カナタと呼ばせてもらおうか。余のこともローザと呼ぶが良い」

「は、はぁ……」


 ローザはゆっくりとカナタに近づき、そのままカナタの手を握りしめた。

 女性にしては少しゴツゴツとした指の感触だが、おそらくずっと長い間何かしらの武具に触れていた証拠だ。


「カナタよ。余はそなたが欲しい、帝国に住め」

「え? 嫌だよ」

「……ほう?」


 ローザの視線が鋭くなった。

 以前にアニスとやり合った時に感じた帝国人特有の圧のようなものを真正面から感じ取り、カナタは一歩退きそうになったが何とか堪えた。

 確かにまだ見ぬ帝国という場所は気になっているし、いつか実際に向かいたい気持ちはある……しかしそれでも、カナタには王国から離れて別の国に住むという考えはなかった。


「この王国には世話になった人が多く居る。それにずっと慣れ親しんだ場所から離れるというのも嫌だ。だからその誘いには乗れない」

「……………」


 実を言うとまだ目の前のローザが皇帝であると実感出来ているわけではないのでカナタも強気な姿勢だが、今回に限ってはそれが良い方向に働いたらしい。

 カナタの返答にしばらく呆然としていたローザだったが、直後に肩を震わせるようにして笑い出した。


「フフフ、まさか皇帝たる余の誘いを断るとはな。そのような者はそなたが初めてであるぞカナタ」

「初めてとかそういうことじゃないと思うんだが……」


 欲しいモノは必ず手に入れる、そう言ったローザだが一応無理やりというかハイシンであるカナタの意向を無視するというつもりはないらしい。

 帝国に移住しろというのは九割本気だったらしく、一割冗談だったとローザは楽しそうに語った。


「それはもうほぼ本気なんですよローザ様……」

「何か言ったか?」

「なんでもないですぅ」


 ローザはアニスを睨んだが、アニスはどこ吹く風だった。

 皇帝であるローザと貴族のアニス、どのような繋がりがあるのかは分からないがかなり対等な関係を築き上げているらしい。


「私としては今日お二人と会うのは初めてだけれど……どういう関係なの?」


 カンナとしても目の前の大物について聞きたいことは多くあるようだ。

 彼女の問いかけにアニスとローザは互いに目を見合わせ、ほぼ同時にこう言葉を続けるのだった。


『ハイシンのファンだから』


 いや説明になってねえよ、そうカナタがツッコミを入れようとしたところカンナはなるほどねと言って頷いていた。

 ミラもそれなら仕方ないですねと言ってうんうん頷いているのを見て、カナタはやっぱりこの世界おかしいよと遠い目になっていた。


「まあ良い。これから先時間はいくらでもあるのでな。本日は収穫祭の方を楽しませてもらったらすぐに帰るつもりだが」

「……ほっ」

「おいアニス、何をホッと息を吐いておる」

「えぇ? 嵐が過ぎ去れば誰でもホッとしますよぉ」

「そなた、うちの大臣と同じことを言うのだな……」

「ブッチャー大臣ですかぁ? あの方もローザ様には振り回されてますよねぇ」


 まるで気の置ける友人のようなやり取りは見ていて微笑ましい。

 歳の差はかなりあるはずだが、ローザの見た目は二十代くらいにしか見えないのである意味姉妹にも見えてしまう。


(……これがあの皇帝だって? ますます信じられん)


 帝国内で勃発した内戦、それを力で沈めた最強の皇帝とも言われているのがローザになるわけだが、流石に目の前の女性がそれであるとは全く想像が付かない。

 決して口に出したわけではないが、カナタの考えていることを察したミラが小声で呟いた。


「彼女はこんな感じですけど、単純な武力と魔法の腕に関しては帝国一と言っても過言ではありません。それだけでなく軍略や兵法に関しても彼女の右に出る者は居ないでしょう。正しく武神、軍神とも恐れられているのが彼女なのです」

「……なるほどな」


 ミラにそう言われたところで全く想像できないのが今のカナタである。

 今この場に集まっているのはハイシンシャ、暗殺者、高級娼婦、氷の魔女、そして皇帝という何とも言えないドリームな組み合わせだ。

 物語が物語ならこの面子でパーティを組んで冒険をするような世界線もあったかもしれない、そんな夢のような組み合わせにカナタはやっぱりため息を吐く。


「……はぁ。この国の王様たちだけでなく、帝国の皇帝にも気に入られているってのは嬉しいと思えば良いのかどうなのか」

「嬉しく思うが良い。そなたは公国でも気に入られているのであろう? ある意味でそなたという存在は全ての国を繋ぐ架け橋のようなものだぞ」


 そんな大それたものになったつもりはない、そう言ってカナタは苦笑した。

 こうして帝国の皇帝と知り合ったわけだが、そこでちょうどいいと思ったのかアニスがあの話題を口にした。


「ねえローザ様ぁ? 実はカナタが少し考えていることがあるらしいんだけどぉ」

「むっ? それはなんだ?」

「……あぁあれか」


 カナタもアニスの言いたいことを察し、確かにいい機会だなと考えてあの話題をローザに振ってみた。

 今までハイシンとして活動することが出来たお礼をリスナーの人に少しでも恩返しをするために、何かしらの大きなイベントを計画したいことを伝えた。

 するとローザは任せろとその豊満な胸を叩いた。


「ならばそれに余も一つ噛ませてもらおうか。既に不穏分子は徹底的に洗い流したゆえ問題なく帝国で大きなイベントが出来るだろう。無論警備についても心配するでないぞ? 余が直々にそなたが帝国に居る間片時も離れずに守ってやろう」

「お、おぉ……」


 ただの提案がまさかの大事になりそうである。

 もしこれで帝国でイベントはやらない、そう言おうものならローザは泣いてしまうかもしれない……不思議とそんな光景がカナタには予想出来た。


「大きな話になってきましたね……流石カナタ様です!」

「これはオーナーも含めて娼館の子たちみんなで出向かないとだわ!」


 それからあれよこれよという間に多くのことが話されていった。

 カナタとしても別にマイナスではないためプラス思考で計画を立てていくことを決めたわけだが、最後の最後に大イベントが待っていた。


「それじゃあカナタ君、これから私の所でASMRの実験をする?」

「そうだな。それじゃあ早速――」

「ASMR? なんだそれは」


 帝国の皇帝ローザ、彼女は負け知らずである。

 しかしその日、彼女は初めて心からの屈服を知ることとなる。




 ダメだこりゃ、そう誰かが囁いた気がした。

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