はよ目を覚ましてくれ

「さてと、それじゃあ行くか」


 イスラがASMRの被害に遭い、その顛末とこれから起こるであろう可能性をリーンから聞かされた翌日のことだ。

 寮から出るまでの間、カナタは少しばかりビクビクしていた。

 イスラが使っていたとされる認識を阻害する魔法が解除されている、そのことについて体に感じるような分かりやすさはないものの、何かの拍子にハイシンであることがバレやすくなったとなれば少し警戒してしまう。


「……いや、そもそもマリアとアルファナのことに関しては俺も色々思ったけど確かにそうならない方がおかしいもんな」


 自分にも甘い部分があったことは認めるしかない、そうカナタは頷いた。

 とはいえだからといってイスラが目を覚ますまでの間、別に彼女たちを傍に全く近づけさせないなどといったことは考えていない。

 マリアにもアルファナにも気持ちを伝えられ、ただでさえ多くのことに尽力してもらい助けてもらったのだ――そのことを考えれば、自分の秘密を守るために他者を無理やりに遠ざけるというやり方は出来ない。


「甘いって言われるかもしれないけど俺もガキだしな。結局なるようにしかならねえわけだ」


 そう言ってカナタは笑った。

 リーンも去り際に改めて言っていたことだが、あまり過敏になり過ぎても疲れるだけである。

 確かに魔法は解けてしまったものの、マリアやアルファナと仲が良いからといってそれでハイシンに繋がるかと言えばそうではないからだ。

 結局のところ明確にカナタがハイシンである、そう結論付ける証拠は何もないのだから。


「あれ、そう思うと気が楽になったわ」


 もちろん気を付けることは大切である。

 そのように考えを新たにしながら学院の中に足を踏み入れ、真っ直ぐに教室に向かうのだった。


「カナタぁ!」

「おっと」


 教室に入った瞬間、諸々の喧騒を吹き飛ばす柔らかい感触がカナタに襲い掛かる。

 間延びした声といきなりこうやって抱き着いてくるのは一人しかおらず、カナタにとって新しい悩みの種とも言えるアニスだった。


「おはようカナタ……なんか悩んでるのぉ?」

「……いや」


 どうやらそれなりにカナタを見ている側からすればすぐに分かることらしい。

 マリアやアルファナよりもアニスの方が先に気付いたのはそれはそれで不思議とも思えるが、流石帝国からカナタを追ってきただけはあった。

 それにこうしてカナタが色々と悩みの最中だというのに調子の変わらないアニスの様子はどこか肩の力を抜いてくれた。


「……はは、アニスはほんと変わらないな。こっちに来たばかりだけど」

「っ……」


 肩の力が抜けたからこそ自然な微笑みをカナタは浮かべた。

 アニスは目を丸くしたかと思ったらハッとするように下を向いてしまい、先ほどまでの勢いが少しばかりなくなる。

 こうなってくると当然、同じクラスに在籍するアルファナもカナタの傍に近寄って来るのも当然だった。


「カナタ様、少々よろしいですか?」

「え? あ、あぁ……」


 ただ、いつも朝に笑顔で迎えてくれる彼女とは様子が違った。

 アニスもその雰囲気を感じ取ったのかカナタから体を離したものの、しっかりと付いてくる気はあるらしい。

 リーンに言われたように早速それなりに視線が集まってしまうが、あくまで今までと特に変わらない光景だと彼らに根付いているのは大きかったようだ。


「ここで良いでしょうかね」


 騒がしさから離れ……とはいっても教室の隅に移動しただけだ。

 アルファナが周りに声が漏れないよう、怪しく思われない範囲で魔法を発動したことで会話が出来るのはカナタを含めアルファナとアニスだけになった。


「実は今朝……いいえ、昨夜と言った方が良いでしょうか。実は女神様が私の夢の中に現れたのです」

「そうなのか?」

「はい」

「??」


 どうやら今カナタの身に起きていることを直接夢という形でアルファナはイスラから聞いたらしい。

 既にこのことは別のクラスに居るマリアとも共有しているとのことで、カナタが説明をする時間は省かれた。


「なるほどねぇ? 確かに一度配信に二人は出てたしぃ、そうなると似た背丈の男性で親しくしているカナタが疑われてもおかしくはないわぁ。正直、晩餐会の時もやけに親しいって思ってたもの」


 やはりアニスのように思う人は居ると言うことだ。

 それでも思考が一旦そこで停止していたことこそがイスラの力であり、色々と問題のある女神ではあるがカナタの知らない部分で助けてくれていたことは確かだ。


「……感謝しないとだな。何だかんだ気に掛けてもらってたみたいだし」


 ちなみにリーンからイスラへの感謝は不要だと言われていた。

 そのことに関して首を傾げたものの、そのうち彼女が回復して会った時にお礼を伝えることをここに決めた。


「ですが……その、当然原因も聞きました。私たちも聴かせてもらったASMR、まさか女神様すらもあのようにしてしまうなんて」

「いや、俺もここまでとは思わなかったんだ。つうか確かにASMRって背中がゾワってする感じがあるけど、流石にあそこまでじゃないはずだぞ?」


 カナタの記憶ではASMRにあのような威力はない。

 睡眠ASMRなるものも存在しており、あくまでちょっと気持ちが良くなるくらいのもののはずなのだ。


「……でも分からないでもないかなぁ?」

「え?」

「ふむ?」


 顎に手を当てながらアニスは語り出した。


「あの時、模擬戦の時に止めを刺される感じでカナタに聴かされたけど……あ、聖女様は下品な話題は大丈夫ぅ?」

「大丈夫ですよ?」

「そう。なら遠慮なく」


 そう言ってアニスは言葉を続けた。


「おそらくその聴いた人が一番感じるであろう気持ち良さっていうか、すんなりと脳が受け入れるように変換されてるのよぉ。ただでさえそういう聴こえ方なのに大好きなカナタの声で囁かれるんだからぁ……下腹部は疼きに疼きまくってびしょ濡れになるのは当然よねぇ?」


 アニスの言葉はあまりに何も隠されていなかった。

 確かにカナタが見た感じではアニスは体をビクンビクンとさせていたが、まさかそこまでとは思わなかった。


「……一応、イスラに聴かせる時にASMR用の特殊機材を使用したんだ。それでアニスが聴いた時よりも破壊力が増したのかもしれん」

「みたいですね」

「え? あれよりもぉ?」


 イスラとの会話で既にアルファナは知っていたようだが、アニスには初耳のようでかなり興味を持ったらしい。

 ジッとカナタを見つめるその視線にはハートマークが見えるほど、今すぐにでも聴いてみたいと言い出しそうだ。


「っと、ちょっと脱線しましたが女神さまが調子を取り戻すまでは色々と気を付ける必要がありそうですね」

「そうだな」

「残念です。カナタ様を抱きしめることも、大きく実った胸の感触を楽しんでもらうことも出来ないなんて……それに二人で密会と言いますか、そういうことが出来ないのも辛いです」

「アルファナさん?」


 アルファナもアルファナで今までのことをアニスの前で隠すつもりはないらしい。

 私たちはこういうことをしたんですと、逆にアニスを煽るような様子なのもアルファナにしては珍しい。


「王国の聖女様、慈愛に満ち溢れた女性と評判だけど……やっぱり愛が絡むとそうなるのねぇ? でも良いわぁ、そういうの好きだもの」

「アニスさんならそう言うと思ってました」

「うふふ♪」


 そしてやっぱり気の合うアルファナとアニスだった。

 そんなやり取りを経ていつも通りの学院生活が始まったわけだが、やはり普通に過ごす程度でどうこうなるものではなかった。

 今の状態でまたカナタの故郷へ、なんてことになれば話は別だがその予定もなければすることもない。


「……ふぅ」


 どうやら思った以上に普通に学生として過ごしていれば問題はなさそうだ。

 いつも通りに普通以上の魔法を授業で見せても相変わらず嫉妬されたりする程度、おまけにアニスがベタベタ引っ付いてきてもいつもと変わらなかった。

 このまま何もないことを祈るが果たして……。


 イスラが目を覚ますまで、あと数日……。

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