シュウエンノヒカリ

「中々素晴らしい出来だな!」


 カナタは目の前に置かれた特性マイクを見てそう言った。

 ついにシドーの元から届けられたASMR用のマイクになるのだが、頼んでいなかったのにまるでカナタの考えを全て理解していると言わんばかりの構造だった。

 人の頭を象ったその造形はカナタとしても、相手に対し気持ちを入れ込むという点においては大いに役割を発揮してくれそうだ。


「バイノーラルマイクって言うんだったか……元の世界でもこいつを買ったりしたことは当然なかったけど、いやぁまさかこれがこの世界で見られるなんてな」


 本当にどれだけ前世での繋がりを思い出させてくれるのだとカナタはシドーに心からの感謝をした。

 今回このマイクを製作してくれたのはシドーだが、その材料となった物に関してはアテナが全面的に協力したということで、シドーだけでなく彼女にも色々とお礼を伝える必要がありそうだ。


「……とはいえ、だ」


 これで本格的なASMRの準備は整ったわけだ。

 しかしこれを多くの視聴者が聞いている配信でやるかどうかは別問題、そこに関してはまだカナタもどうしようか迷っているのだ。


「台詞的には一応女性向けのを多く考えたけど……これを同性に聴かれると思うと俺自身が地獄だわ」


 マリアやアルファナ、ミラにアニスにも聴かせたものはかなり女性向けで歯の浮くような台詞ばかり……やはりそれを男性に聴かれるというのは精神的にキツイものがあり、おそらくそれは男性視聴者も同じだろうとカナタは考えた。


「ってなると限定的にどうにか出来ないものか……それとも思い切って一回だけこれはこういうものですってことでやってみるか?」


 その後、風呂に入ってから夕飯を済ませるまでずっとカナタはどういう形で披露しようかそればかりを考えていた。


「……あ、もうこんな時間か」


 ベッドの上で横になったまま考えていれば、まだ寝るとまでは行かないがかなり時間が経っていた。

 今日は配信をするつもりはなかったので後は寝るだけではあるものの、一度考えてしまうとどうも解決しないとスッキリしないのである。


「……う~ん」


 そんな風にベッドの上で延々と考えていたのが原因なのか、かなり久しぶりにカナタにとって忘れられない女が部屋に現れた。


「何をそんなに悩んでいるのかしら?」


 音もなく現れたのは女神イスラだ。

 相変わらずの神出鬼没さは変わらず、あまりにも人間離れした美しさを帳消しにするハイシン様シャツを着ている彼女にカナタはもうリアクションすら起こせない。


「……なんだイスラか」

「なんだとは何です。カナタったら反応が冷たいわね」


 頬を膨らませたイスラはベッドに横になるカナタの元へ。

 そのままカナタと一緒にベッドの上で横になり、その美しい顔を存分にカナタに近づけてニコッと笑みを浮かべた。


「……えっと」


 まあたとえ突然の出現に反応が薄かったとはいえ、先ほども言ったがイスラの美しさは人間離れしている――つまり、カナタがそれはもう取り乱すのは当然と言えた。


「逃がさないわよ」

「むぎゅっ!?」


 しかしそこは女神の身体能力である。

 離れるために体を起こそうとしたカナタだったが、ガッチリとイスラの腕に頭を抱かれてしまいそのまま捕まるようにして胸元に誘われた。

 豊満な谷間に頭を挟まれ、その柔らかさに顔全体が押し付けられることで口から息を吸うことも出来ない。


「あ、呼吸が出来ないのね。これで大丈夫よ」

「……?」


 イスラに何かをされたと思ったら苦しくなくなった。


今直接あなたの中に空気を送り込んでいるわ。だから大丈夫、ちゃんと空気は循環しているはずよ」

「……~~~~~!!」

「こら、あまり女性の胸の中で暴れないの」


 それでもカナタとしては早く離れたいという気持ちだ。

 どうにか脱出を試みようとするカナタの姿さえも愛おしいと感じているのか、イスラは更にカナタの抱く常識を塗り替える荒業を披露した。


「それじゃあこうしましょう。これであなたは私から逃げることは出来ないわ」

「……え?」


 それは不思議な感覚だった。

 まるで体全体が何かに包まれるような感触に襲われ、カナタが疑問に思う間もなく体の自由が奪われた。


「……おい、なんだこれ」

「今私の体と同化しているの。だから逃げることは出来ないって言ったのよ」


 そう、正にその言葉の通りだった。

 抱きしめられていたカナタの体は半分ほどイスラの体と同化しており、まるで体の中に流れる血液から心臓の動きまで、その全てがイスラと全て一致しているかのような錯覚を覚える。


「良いわね。こうやって一緒になる感覚……ふふっ、ただの男女の営みでは決して到達することの出来ない極地よ?」


 確かにイスラの言う通りだが、このような極地はカナタにとって願い下げだ。

 カナタの様子から歓迎されていないことを感じ取ったイスラはおかしいわねと首を傾げ、名残惜しそうにしながらもカナタを解放してくれた。


「……酷い目に遭ったわ」

「カナタがいけないの暴れるから」

「いや、物凄く素晴らしい胸の感触だったのは認める。認めるけど相手がイスラだと物騒なんだよ色々と」

「酷いわね。私は何処にでもいる優しい女神様なのに」


 優しいの意味が違うのでは、そうは思ったがこれ以上面倒なことになるのは嫌だったのでカナタは言葉にしなかった。

 間違いなくこの世界において信仰されている神様的存在のイスラだが、彼女もバイノーラルマイクに関しては興味を持ったらしい。


「あら、これは何?」

「あぁそれは――」


 カナタはそのマイクがどんなものか、どのようにして使うものなのかを説明した。


「ASMRねぇ……それは今までの配信とは違う感じになるの?」

「そうだなぁ。それで悩んでるんだよ」


 腕を組んでまた考え始めたカナタを見てイスラはポンと手を叩いた。


「それならカナタ、早速これを使って私に聴かせてくれない?」

「……え?」

「だって気になるじゃない。やっぱりここはこの世界の女神として、一番最初にそれがどんな力を持っているのか知ることは大切よ!」

「……ふむ」


 確かにこのマイクがちゃんと機能するのか、しっかりとその効力を発揮できるのかは試してみたかった。

 その内マリアたちに協力を求めるつもりではいたが、こうしてイスラが協力を申し出てくれたのはありがたかった。


「じゃあちょっと準備するわ」

「えぇ」


 まあ何だかんだ、カナタもこのマイクを早く使ってみたかったのだ。

 準備するとは言ってもそこまで時間は掛からないものであるため、すぐにASMRを披露するための空間は出来上がった。


「これを付けるのね?」

「あぁ。本当ならヘッドホンとかだともう少し良さそうなんだが……」

「ヘッドホン?」

「あ~……まあそのイヤホンの耳全体を覆う感じのものと思ってくれ」

「なるほどねぇ」


 ヘッドホンについてはまたシドーと相談してみるか、なんてことを考えながらカナタは端末を起動した。

 既にイスラはイヤホンを耳に嵌めて準備万端、果たしてどんなことをされるのかワクワクした様子でカナタを見つめている。


(……つってもどんな台詞にするかなぁ)


 女神である彼女に響く言葉は何なのか、それを考えながら少しだけ試しにマイクに向かって息を吹きかけた。


「……えっ!?」


 その瞬間、驚いたようにイスラが声を上げた。

 耳を擦りながら目を丸くしているイスラだったが、段々と頬に赤みが増していきカナタを見つめる視線に熱が籠っていく。


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですぅ!!」

「あ……」


 ついそのまんま声を掛けてしまったのだが、イスラの様子にこのマイクがちゃんと機能していることの証だった。

 そもそもただでさえこうしたマイクがないにも関わらず、カナタの声は彼の魔力を通して聴いている相手に対し一番脳に入りやすい声として変換されるわけだが、その声に更にブーストが掛かると言えば分かりやすいかもしれない。

 カナタは一旦マイクから離れた。


「じゃあ適当に……っていうか、思ったシチュエーションを想像して喋るから後で感想を聞かせてくれ。もちろん女神であるイスラを貶めたり辱めるつもりは欠片もないからそこだけは理解しててくれ」

「大丈夫よ。たとえあなたにどんなことを言われたとしても、私にとってそれは傷つくことにはならないわ」


 そんなありがたい言葉をカナタはもらうことが出来た。

 カナタはマイクに近づき、耳の形をした部分に向かって顔を近づける。


(美しい女神を想って止まないヤンデレ男って感じで行くか)


 ヤンデレは大好物、だからこそどんな台詞が響くかもカナタは理解していた。


「イスラ……」

「っ!?」


 ビクンとイスラの体が震えた。

 カナタにはどんな声に変化して届いているかは分からないので、こうして彼女の反応を見ながら進めていく。


「なあイスラ、なんで俺以外の人間まで見てるんだよ。お前は俺だけの女神なんだ。これ以上俺を嫉妬させないでくれ」

「っ……やめ……ちょっと――」

「こんなにも愛してるのに……なあイスラ、なんでお前はいつも俺をこんな気持ちにさせるんだ? これ以上こんな気持ちにさせたら――」

「あ、ダメ……これ、脳が犯され――」

「俺だけのモノにしちまうぞ?」


 ちなみに、この台詞を口にしている時のカナタも恥ずかしかったのだ。

 それでもどうにかマイクの効力を確かめたくてやったわけだが……カナタが台詞を言えたのはそこまでだった。


「……ダメぇ♪」

「お、おい!?」

「あ、イ……っ」


 イスラの体は粒子になるように消えて行った。

 彼女のあまりな様子に大きな声をマイク越しに叫んだのが決め手だったようで、イスラは力を失い元居た場所に帰ったようだ。

 消え去る瞬間、彼女の鼻から鼻血が出ていたのととてつもなく体が痙攣していたことだけは分かった。


「……なんか甘い匂いがしねえか?」


 消え去ったイスラが座っていたはずのカナタのベッドはびしょびしょだった。

 果たしてこれは何が零れてそうなってしまったのか、取り敢えずカナタは洗濯をするためにシーツを畳んで部屋を出た。





「……おい!? 大丈夫かイスラ!!」

「今……今体に触らないで!」

「何を言っている!? 何があったんだ!?」

「あ……ああああああああ♪♪」


 遥かな空の上で何があったのか、それは女神たちにしか分からない。

 とはいえイスラがASMRの第一被害者になったことだけは確かなのだが、彼女はしばらく意識がない状態が続くことになった。

 そしてそれはイスラが使っていた魔法の効力が弱まることを意味し、カナタに掛けられていたカモフラージュが薄まることになるのだった。

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