大人の階段上る僕はまださくらんぼ

「なあカナタ、ずっと魔界に住まないか?」

「それは無理だなぁ。ごめんな」

「……むぅ」


 公国から帰ってきてすぐ魔界に向かったカナタだが、当然彼も自分の住む場所があるので帰らないといけない。

 朝にシュロウザの胸の中で目を覚ますというハプニングはあったものの、昨日に続いてシュロウザだけでなくルシアとガルラもカナタの傍に居た。


「今度は是非、サキュバスたちの住む館に来てほしい。最高のおもてなしを約束するからね」

「やめとけよカナタ。確かにこのビッチを含めあのサキュバス共は我慢が出来る部類だが、骨の髄まで虜にされるだろうからな」

「何が悪いんだ。私たちはサキュバス――」

「ダメに決まっているだろ」

「……はい」


 シュロウザに怒られてルシアが落ち込んだ。

 カナタは相変わらずのやり取りに苦笑し、もしかしたらということでこのような提案をしてみることにした。


「今度来るときは……俺の知り合いたちを呼んでも良いのかな」

「アルファナやマリアのことか? 我は歓迎だぞ」


 どうやら全然歓迎モードらしく、カナタは良かったと笑みを浮かべた。

 その後、シュロウザに再び連れられる形でカナタは王都に転移し、そのまますぐに寮に戻った。


「……なんか色々とあったなぁ」


 今まではずっと寮に居たようなものなので、実に数日振りとなる寮の部屋がどこか懐かしい気持ちをカナタに抱かせた。

 公国に向かった時から変わっていない部屋に落ち着きを感じ、ぴょんとジャンプしてカナタはベッドにダイブした。


「これなんだよなぁ……これが落ち着くんだ」


 アテナの屋敷のベッドも気持ち良かったが、やはりこの自分のベッドというのが本当に落ち着く。

 何か甘い匂いの残り香があるような気がしないでもないが、カナタは特に気にすることなくそのままベッドの住人と化した。


「今日は配信しないとなぁ。魔界に行くなんて出来事がなければ普通に昨日の夜するつもりだったし」


 待ってくれているリスナーの人には申し訳ないと思ったが、魔界に行けるという好奇心にはやっぱり勝てなかった。

 シュロウザでの屋敷でのやり取り等は流石に恥ずかしいこともあるので省く部分はあれど、魔界が良い場所だったというのは伝えるつもりだ。


「……楽しかったなマジで」


 こういうことで比べると悪いかもしれないが、治安の良さで言えば魔界の方がしっかりしていたかもしれない。

 それだけシュロウザの統治がしっかりしているのもあるし、ルシアやガルラといった頼れる部下たちの存在も大きいはずだ。


「……それにしても」


 ベッドに顔を埋めて朝起きた時のことをカナタは思い出す。

 先ほど、カナタは目の前にシュロウザの胸があって驚いたと言ったが実際はそうではなく、若干寝ぼけた頭でこれは何だと手を伸ばしたのだ。


『……おっぱ!?』

『むぅ……かなたぁ?』


 倒れた拍子にアルファナの胸に触れ、偶然ミラの胸に手が触れたことはあったが直接肌の上から触ったのは初めてだった。


「……夢が詰まってるとはよく言ったものだなぁ」


 夢と母性が詰まっているのだと教本から得ている知識だが、正にその通りだとカナタは頷いた。

 十七歳にもなってくるとそういうことをしたいお年頃、ましてや手で触れたりすると余計に意識してしまうのも仕方ない。


「ちょっと外に行くか」


 このまま一人で部屋に居ても仕方ないと思い、カナタはサッと立ち上がった。

 外に出てカナタが向かったのはいつも買い食いをする出店が立ち並ぶ大通り、朝方ということもあって活気のある賑わいだ。


「王都も魔界も何も変わらんなぁ。平和だぜ平和」


 前世も今も争いというものはなくならない。

 今は魔族との戦いも発生せず、国と国同士の争いも奇跡的に起きていない。


“王国や帝国、公国は豊かな面も大きく相争うことはそうないだろう。しかし他の小国や交流の無い国はまた別である。小さな争いも大きな争いに発展するので、そういう意味でも外交というのは大事なのだ”


 そんな教師の言葉が脳裏に蘇る。

 願わくば大きな争いが起きないことを願う、それはカナタだけでなく今の時代を生きる全ての人が望んでいることだ。


「……あ?」


 露店で買った串肉を頬張っていると、いつぞやのデジャブを感じさせる光景をカナタは目にした。


「なあ良いだろう? 頼むから俺とさ」

「したいのなら店に来なさい。ちゃんと順序は踏むことね」

「アンタを一夜でも買える金がねえんだよ。ほら、頼むからさ」

「しつこいわね。その手を離しなさい」


 そこまで身形が良いとは言えない男にカンナが絡まれていた。

 ガシッと手首を掴まれているので逃げられないようだが、カンナから男に向ける目はこれでもかと見下げ果てたようなものだった。

 以前とは違い、今回はちゃんと傍に警備している兵が居たこともありすぐにカンナは解放されていた。


「んだよ良いだろうが別によ!」

「それ以上暴れたら牢にぶち込むぞ」


 男は連れて行かれ、カンナは手首を擦りながらため息を吐いていた。

 普段なら無事で良かったと素通りするところだが、カナタにとってはカンナは知り合いでもあるため気遣うように彼女に近づいた。


「大丈夫だったみたいですね」

「あ、カナタ君?」


 カナタを見た瞬間、鋭かった視線はすぐに柔らかなものに変化した。

 ああいった手合いが居るのはもう様式美みたいなものだが、以前にもあんな風に騒ぎになったからこそ兵の数も増えている。


「手首掴まれたみたいだけど?」

「っ……えぇ、でも大丈夫。全然大したことないから」

「?」


 カンナが頬を僅かに染めて下を向いた。

 何かに照れている様子だが、生憎とカナタにはその表情の意図が掴めずに首を傾げるだけだ。

 心なしかカナタが言葉を発するたびに肩を揺らしている気がするものの、イマイチ分からなかった。


「……?」

「どうしたんです?」


 何かに気付いたのかカンナがカナタに近づく。

 そしてボソッと、この匂いはと呟いた。


「カンナさん?」

「カナタ君、今日はこれからの予定は?」

「特にないですけど……」

「それじゃあ私に少しカナタ君の時間をくれる?」


 全然予定はないのでカンナの提案に頷いた。

 それから向かった先はカンナが勤める娼館の建物で、あまり目立たないように裏口から中に入った。


「おやカンナ……それにこの間の」

「どうも」


 途中オーナーとすれ違い、カナタはカンナの部屋に向かうのだった。

 こうして彼女の部屋に入ったのは二度目なのだが、やはりカナタはこうして高級娼婦である彼女の部屋に足を踏み入れることがどういう意味を持っているのか分かっていない。

 それは別に体の関係を持つため、というものではなくもっと深い意味が込められていた。


「カナタ君は娼婦が男性を自分の部屋に入れる意味を知ってる?」

「……ちょっと分からないんですが」

「ふふ、まあそうよね」


 娼婦が客を相手する時に使うのは清潔に保たれている且つ何かあった場合すぐに駆けつけることが出来る部屋なのだが、個人が持つ部屋には基本的に異性が足を踏み入れることはない。


「心を許しているってことよ。それ以上はそのうち……ね?」

「っ!?」


 耳元で囁かれたことでカナタは心臓を大きく鼓動させた。

 朝のシュロウザとの記憶、そしてサキュバスのルシアに感じたドキドキ以上の何かを感じさせた。


(カンナさんは人間のはずなのに何だろうこのエロさ……これが高級娼婦!)


 まあ高級娼婦という肩書がなかったとしても、一つ一つの動作が男の情欲を誘うカンナには誰だってドキドキさせられるだろう。


「ドキドキしてるの?」


 どうやらお見通しらしく、カンナはそう言いながらカナタの目の前に立った。


「うふふ~♪」

「カンナさん!?」


 目の前に立ったカンナはそのままカナタに距離を詰め、カナタの足の上に座るように体を密着させた。

 カナタとしてはソファに座っている状態なので逃げることも出来ず、ちょうど目の前にはカンナの胸部が来ている。


「ねえカナタ君、お姉さんに全部任せてみないかしら」

「あ、あの……」


 甘く囁かれると脳が蕩けてしまいそうだった。

 その言葉に身を任せればいい、そうすれば待っているのは幸せだけだと胸の奥に潜む何者かが囁く。

 それから少し時間が経ち、カナタは部屋から出てきた。

 当然その瞬間を通りがかったオーナーが見たのだが、ボーっとしているカナタは気付かなかった。


「ふむ、カンナも随分彼のことが気に入ったようだ」


 もちろんその呟きも聞こえていない。


「……………」

「カナタ君、ボーっとしてると転げちゃうわよ?」

「……あ」


 裏口に着いたところでカナタはようやく我に返った。

 娼館は客に夢を見せ癒しを提供する場とも言われているが、夢のようにフワフワとした時間だったなとカナタは思い返した。

 しかし、終わってしまえば気持ちは不思議なほど落ち着いていた。


「カナタ君、時にはやっぱり癒しって必要だと思うのよ。これはいやらしいことではなく心を癒す時間だと思って?」

「……その」

「今度はちゃんと、までね?」


 そう悪戯っぽく笑い、カンナは手を振って店の中に戻った。

 カンナの姿が見えなくなってもカナタはしばらく扉を見つめ続け、そしてようやく歩き出した。


「……凄かったなぁ」


 突然のことだったが、少しだけ娼館にハマる男の気持ちが理解できた。

 まあ人生を捧げるほどとまではいかないものの、心を癒す時間だというのは良い得て妙だった。


「何が凄かったんですか?」

「そりゃあやっぱり……え?」


 あまりにボーっとしていたせいか、傍に誰かが居ることすら気付かなかった。

 聞き覚えのある声だとは思いつつ、そちらに目を向けると――。


「こんにちはカナタ様、このようなところで会うなんて奇遇ですね?」

「……………」


 昨日の夜、別れた時と同じ白いローブを着たアルファナがそこには居た。

 カナタを見つめる表情は見惚れんばかりの笑顔、あまりにも美しすぎる笑みを彼女は浮かべていた。

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