ハイシンに縋れ

 ハイシン様と、確かにアテナはそう言った。

 ポカンとしていたカナタだが、サッとマリアが前に立ったことで何とか我に返ることが出来た。


「その様子だと合っていたみたいね?」

「……あ」


 カマを掛けられた段階だったらしく、それを自らの行動によって露呈させてしまったことにマリアは唇を噛んだ。


「……夕飯の時、あなた意味深な目をカナタ君に向けていたものね。まさかとは思っていたけど……はぁ、失敗したわ」

「そうだったのか?」

「えぇ……」


 まさかとカナタは目を向けた。

 アテナは口元を扇子で隠してクスクスと笑っているが、その姿も気高い印象を持つ彼女にとても似合っている。

 とはいえマリアがカナタに対して申し訳なさを感じているようなので、カナタはその必要はないとポンと肩に手を置いた。


「そんな顔すんなマリア、いつも通り笑ってろ」

「あ……カナタ君」


 ちょっとクサいセリフだったなとカナタは恥ずかしくなったが、改めてアテナに視線を向けた。

 既に誤魔化しが効く段階は通り過ぎており、嘘を言っても十中八九見抜かれて意味がないだろう――だからこそ、カナタは余裕を持って彼女を見据える。


「どうして気付いたんですか? あなたの前では――」

「敬語は止めてください」

「……………」


 カッと目を見開いてアテナにそう言われてしまった。

 あまりの圧にカナタはビクッと肩を震わせたのと同時に、もしかしたらこの人も面倒なタイプではないかと嫌な予想が出来てしまう。


「……君の前じゃ特に何も匂わせるようなことはなかったと思うんだが」

「簡単なことです」


 彼女は一歩前に出てカナタに距離を詰めた。

 バサッと音を立てて扇子を畳み、彼女は自信を持った様子で全く持って予想出来ない言葉を放つのだった。


「マリアのあなたを見つめる目があの生配信の時と同じでした。そしてマリアの隣に立っていたハイシン様の背丈も同じ、普段は機器を通しあの時は仮面越しでしたので地声の方は特定しにくいのですが、息遣いで私は確信を持ちました」


 マリアの目、背丈、そして息遣いで特定されるなど誰が予想出来ようか。

 とはいえマリアやアルファナもそうだし、ミラにさえも気付かれていたことを考えるとそういうこともあるかと思えるくらいにはカナタも影響されていた。


「……それで」

「はい」

「俺がハイシンだと分かった上で君はどうしたいんだ?」

「決まっています!」


 ででんと、背後で花火でも打ち上がったんじゃないかと言わんばかりにアテナは腰に手を当てて胸を張った。


「私も自分に出来ることであなた様に手をお貸ししたいのです! ハイシン様のファンとして、何よりあなたに夢中になってしまった者として」

「ちょ、ちょっと!?」


 ググっと更に距離を詰めてきたことでカナタは慌てて手を前に出した。

 しかし、そんなカナタを守るように再びマリアが前に立ち、鼻息を荒くして近づいてきたアテナの顔にマリアは手を当てて全力でガードをした。


「ふ、ふんぬっ!?」

「あなたを止める私が言うのもなんだけど今凄い顔してるわよ……」


 モロに人差し指が鼻の穴に若干入り込んでアテナの美しい顔が恐ろしいことになっているのだが、彼女は一切気にしていないのか血走った目でカナタを見つめている。

 流石にホラーのような恐ろしさ……まあ部屋に侵入していたミラを見た時ほどの衝撃はないが、それでも怖い光景だった。


「取り敢えず落ち着いてくれアテナさん」

「分かりましたわ!」


 サッと距離を取って彼女は息を整えた。


(……何だろう、この世界って変な人が多いな。みんな美人だし目の保養なんだけど変な人多いな)


 大事なことなので二回心の中で呟いた。

 それにしてもとカナタが考えるのは彼女も力になりたいと口にしたことだ。


「えっと……力になりたいってのは……いや、意味は分かるんだけど。生憎と今は王都以外じゃ特に活動しようとは思わないんだ。それにマリアやアルファナたちが力を貸してくれるだけで十分だしなぁ」

「ふふん! 聞いたアテナ!! ですって!!」

「ぐ……ぐぬぬ!」


 手を貸してくれるのは確かにありがたいが、あまりにも突然すぎて情報を整理出来ていないのも大きい。

 もう少し落ち着いた時ならハイシンとして何か公国における活動の地盤について話をしてもいいのだが……少し難しいところだ。


「……まあでも、ありがとうアテナさん。王都から離れたここでも、そんな風に言ってくれる人が居るのは凄く嬉しいよ」

「……ハイシン様!!」


 王都だけではなく世界中にハイシンのファンが居ることは知っているが、やはりここまで熱烈に口にしてくれることは嬉しいことだった。

 カナタの言葉にアテナは感動した様子で瞳を潤ませ、再びカナタに近づこうとしてマリアに指を鼻に入れられていた。


「……けど、この景色は本当に凄いな」


 じゃれ合う二人から視線を外し、改めて幻想的な光景を見せる庭に目を向けた。

 アテナが所有するこの城館には何か用がなければ入れはしないだろうし、そうなるとこの景色を見ることが出来るのは限られた人々だけになる。

 この美しい景色を映しながらの生配信も面白そうだが、生憎と機材が揃っていないので出来ないのが残念だった。


「アテナ、あなたもハイシン様をサポートする会の会員になりなさいこの際」

「なる!!」

「……幼児退行してる?」


 大変可愛らしい声でアテナは大きな声を上げた。

 サポートをする会とはなんぞや、その説明をマリアから聞いていた最中にマリアはあっと声を上げた。


「ハイシン様、これだけは伝えておきます」

「あ、はい」

「先ほどは暴走してしまいましたが、あなたのファンとして決して迷惑は掛けないことを誓います。ですからどうか……安心してください」

「分かってるよ。ありがとうアテナさん」


 彼女は嘘を言わない、何となくカナタはそう思えた。

 こうなってくるとこれから先、もしかしたら王都だけではなく公国でも何かしらのイベントを計画できるかもしれない。

 前世と同じ感覚でこう考えるのは甘いかもしれないが、少しは夢を見ても罰は当たらないだろう。


「……ちょい肌寒くなってきたな」


 少し寒くなってカナタは肩を震わせた。

 相変わらずマリアとアテナは話し込んでいるが、カナタと同様に少し寒そうなので中に戻ることに。


「今日は素晴らしい日だわ……あぁ♪」


 アテナは心から満足した様子だった。

 しかし、そこでカナタは一つ気になったことがある――それはリサのことだ。


「リサさんと会わなかったな」

「リサがどうしたのです?」

「いや、リサさんも外の空気を吸いたいって外に向かったんだ。それにしては出会わなかったなって」

「……………」


 ……カナタは少しばかり嫌な予感を感じていた。


「……リサが居るはずの部屋に向かいます」


 それから彼女に連れられてリサが使う予定の部屋に向かったが、残念ながらリサは部屋に居なかった。

 それから騒がしくしない程度に三人で屋敷の中を探したがリサの姿はどこにも発見できず、門を守る兵士さえもリサの姿は見ていないとのことだ。


「おかしいわね……」

「外に出たら気付くんでしょう?」

「それもそうだし侵入者が居ればすぐに反応するはず。だから誘拐の線はないと思いたいけど……」


 正体がバレたとはいえ、穏便に物事が済みそうなときに何ともキナ臭いことになってしまった。

 外に出ても中に入っても分かるのだが、同時に魔力機器の発達した公国だからこそその警戒をすり抜けるマジックアイテムもないわけではない。

 しかしここはアテナという大貴族が所有する城館、公爵に手を出そうと考える愚か者がこの国に居るとは考えづらいようだ。


「……いいえ、まさか――」

「どうしたんだ?」

「何かあるの?」


 それからアテナは話してくれたが、リサは極刑を免れたことで命は助かったものの代償として家族との絆は失われたらしい。

 義妹が魅了の魔眼を使って暴れたのが事の経緯だが、その出来事が解決し魔眼の呪縛から解放されてもなおリサを取り巻く家族の仲は冷え込んでいたようだ。


「なるほどな。それで義妹が悪いはずなのに全てをボロボロにしたリサを恨んでいるかもしれないってことか」

「……もしそうなら迂闊だわ私としたことが」


 とはいえ真実はまだ分からないが、カナタとしてもリサは一度助けた相手に他ならない。


「もしもリサさんの家族が関わってるのなら、ある意味俺も無関係じゃないか」

「ハイシン様……」


 取り敢えず、やることは決まったなとカナタは前を向いた。





「……どうしてこのような愚かなことを」

「うるさい! お前が私たちをどん底に突き落としたんだぞ!? あのまま大人しく処刑されていればあの子は目を失わなかったというのに!?」


 パシンと、リサは実の父に頬を叩かれた。

 アテナがまさかと睨んだ通り、リサが消えたのは彼女の家族が計画したことでもあった。

 結局、魔眼の有無は関係なくリサは単純にあれ以降も嫌われていた。

 妹のことしか彼らは見ておらず、妹の野望を邪魔したリサのことを家族はみんな邪魔者のように考えていたということだ。


「……何も怖くはないですよ。私にはあの方が付いている」


 あの方とは誰なのか、この場にそぐわないが敢えて言うならこの子……頭大丈夫かと問いかけたい。

 当然だがリサはアテナと違ってカナタがハイシンだとは気付いていないので、心にはずっと彼が居るという妄想に憑りつかれているだけだ。

 絶望の中に居たリサを救ってくれた光でもあるハイシン、彼のことをリサはどうしようもなく心の拠り所にしてしまっている。


「愚かなのはお前だ! 薄汚い存在なんぞに惑わされおって!!」


 彼女の家族は義妹を含めて不幸を齎したハイシンを恨んでいるため、ハイシンを信仰するリサに良い目をしないのも当然だった。


「お前が居たから全てがダメになった……お前が!!」

「……………」


 リサは決して奇跡を信じては居ない、だがハイシンだけは信じている。

 これから起こること、それは彼女という個を守るために良いことのはずなのに……更に彼女を沼に引きずり込むのだからこの世界はとことん終わっている。


「そこまでだ」

「っ!?」

「何者だ!?」


 薄暗い地下室に声が響き渡る。

 それはリサにとっての光、正に希望という名の呪いが秘められた声だった。


「……あ……あぁ!!」


 足音を立てて現れたのは黒衣を纏い仮面を被った怪しげな男、しかしリサは彼のことを知っている。

 何故なら彼はリサにとって全てと言ってもいい存在なのだから。


「ハイシン様……っ!!」


 そう、現れたのはハイシンだったのだ。




【あとがき】


完全に黒の騎士d

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