王国も公国も大変なんよマジで

 カナタとマリアが公国に移動したその日の夕刻、学院が終わってからアルファナは教会へと向かった。

 今日は高級娼婦であるカンナとハイシンについて語り合う予定を立てていたのだ。

 高級とはいえ娼婦であるカンナを神聖な教会に入れるなどあり得て良いのかと疑問が持たれるが、この教会に居る人々は相手が誰であっても決して態度を変えたりしないため、カンナも問題なくこの場に訪れることが出来る。


「……はぁ」

「……………」


 アルファナとカンナ、二人ともハイシンに対し……いや、もう言ってしまおう。

 ハイシンであるカナタに対して並々ならぬ想いを抱いており、数日振りに再会した二人はそれはもうカナタの話題だけをずっと話し続けた。

 しかし、その途中でアルファナがため息を吐いたのだ。

 まるで会えない恋人に想い焦がれるようなその仕草に、カンナも理解できるのか頷いていた。


「寂しいの?」

「そう……ですね。寂しいです」


 ちなみに、最初はアルファナに対してカンナは敬語だったが普通にしてほしいと言われたのでこのように砕けた口調となっている。


(……これは重症ね。まあ、彼の魅力あってこそだし当然だけど)


 娼婦ということで普段は外に出ず、予め約束をしなければカンナはカナタと出会うことはそうそうない。

 同じ学院に通いクラスも一緒、更にマリアと並んで最も距離が近いとなればアルファナの寂しさは計り知れないだろう。


「……?」


 だが、そこでカンナは首を傾げた。

 アルファナは確かに寂しがっている雰囲気を漂わせているが、それとは別に何か興奮しているような様子も見受けられた。

 表情と仕草、そして独特の香りからカンナはまさかと答えを導いた。

 娼婦として多くの男性を相手にしたからこそ磨き上げられた観察眼、それは当然のように女性にも作用する。


(もしかして聖女様……発情してるのかしら)


 発情とは少し品の無い言い方だが、そういう年頃だろうと思いカンナは決して口に出すことはしない。

 聖女も一人の人間であり女の子、愛する存在を想えばそれくらいのことは全然普通なのだから。


「……はぁ」


 とはいえ、流石に何度もため息を吐かれるとカンナも困ってしまう。

 気付けば会話は途切れてしまい、どこかアルファナは心ここに在らずといった様子なので何を話せばいいのか分からない。


「……聖女様?」

「っ……はい」

「えっと……先ほどからボーっとしていたけれど?」

「……………」


 少し間を置いてアルファナは小さくごめんなさいと口にした。

 もしかしたら何か悩みがあるのだろうかと思い、カンナはアルファナのすぐ傍に椅子を寄せた。

 まだまだカンナも若いがアルファナに比べれば年上なので、何か相談をしてほしいと問いかけた。


「違うんです……その、悩みと言いますか……声が頭から離れなくて」

「声?」


 声とは一体何か、疑問に思ったカンナにアルファナは説明した。

 いつになるかは分からないがカナタがASMRというコンテンツを世に提供しようと考えていること、そして実際にアルファナに向けた甘い囁きの録音を聴いてから脳が蕩けるようにボーっとしてしまうことを。


「……そんなに凄いの?」

「それはもう! 聖女としてはしたない表現をしますけど、まるでカナタ様の声に頭が犯されるような感覚なんです!」


 アルファナは興奮冷めやまぬ様子で捲し立てた。

 犯す犯さないの言葉など娼婦としてはしたないなどと思う次元は既に通り過ぎているのでカンナは特に何も思わなかったが、このASMRというモノには彼女も興味を示した。


「ちょっと気になるわね」

「でしたら聴いてみますか? 私に向けた言葉ではありますけど、そこまで名前は言ってないのでカンナさんも聴けると思います」

「そう? それじゃあちょっと体験してみようかしら」


 それはカンナを沼に引きずり込む無意識の罠であることを彼女は知らない。

 アルファナを端末を手渡され、自分にとって一番リラックス出来る体勢で聴いてほしいと言われた。


「それじゃあこれで」


 ソファに深く腰を沈ませ、背中も引っ付けて完全なリラックス状態だ。

 そして端末を耳元に寄せていざ、アルファナにそこまで言わせたカナタの声をカンナは全くの無防備な状態で聴いた。

 そして数十分後、アルファナに別れを告げてカンナは娼館へと戻った。


「おかえりカンナ」

「……………」

「カンナ?」


 オーナーの声が聞こえていないのか、彼女は止まらずに自室に向かう。

 実を言うと彼女はこれから予約が入っているのだが、このまま自室に向かうということはすっぽかすということに他ならない。

 今まで一切仕事に対して手を抜いたことはなく、ましてやサボったこともない彼女には珍しい光景だった。


「ごめんなさいオーナー、今日の予約は全て無しでお願い」

「あ、あぁ……それは構わないが」


 カンナはヴェネティでも一番の売り上げを誇る売れっ子、それもあってかある程度の無茶な要求も通る。


「それと」

「……っ!?」


 振り向いたカンナの視線にオーナーは体をビクッとさせた。


「今日は何があっても私の部屋に入らないで、誰も近づけないで。絶対によ? もしも破ったら許さないから」

「わ、分かった!!」


 許さない、あまりに強い意志が彼女の瞳に乗せられていたのだ。

 オーナーは約束を守るため、今日はもう絶対に彼女の部屋に誰も近づけさせないように指示を出した。

 一体彼女の身に何が起きたのか、それは結局誰にも分からなかった。





「……?」

「どうしたの?」


 日が沈んだ頃、カナタは食事を楽しみながら明後日の方向に視線を向けた。

 誰かがカナタの名前を色っぽく叫んだような意味の分からない幻聴が聴こえた気がしたからだ。


「……誰か噂でもしてんのかな」

「あら、だとしたらその通りかもね」


 どういうことだよとは突っ込まなかった。

 ちなみに、今この場所にはカナタとマリアだけでなく付いてきた同級生が一同に会している。


「ふふ、満足されているようで何よりだわ」


 そして、そんなカナタたちを楽しそうに見つめるのがアテナだった。

 ここは彼女が所有する公爵家の屋敷であり、今日カナタたちはこの立派な建物で夜を明かすことになっていた。


「それにしても……他の面々とは少し違うわよねやっぱり」


 アテナはカナタとマリアを見つめてそう言った。

 他の同級生たちもこの話に興味があるのか二人を見つめているが、先に言葉を返したのはマリアだった。


「カナタ君とはそれなりに親しくさせてもらっているけれど、誰かに邪推されるようなモノではないわ。私はある程度慣れているとはいえ彼はそうじゃない。アテナ、そういうことは止めてほしいわね」


 ハッキリとマリアはアテナに向かってそう言った。

 あくまでカナタとは誰かに噂されるような間柄ではない、そう伝える言葉だがアテナはやっぱり興味が尽きないようだ。

 とはいえカナタを最大限に配慮した言葉であることも理解できるため、カナタは続くように言葉を口にした。


「王女の心遣いには本当に感謝しています。俺は平民なので、学院の中に居場所があるかと言われればちょっと難しいところです。しかし、そんな俺を庇ってくれたり気に掛けてくれるんですよ。本当に優しい人で、王国の王女として誰にも愛される人だと俺は思っています」

「か、カナタ君……っ!」

「あら……あらあら♪」


 ……どうやら言葉のチョイスを間違えたらしかった。

 顔を真っ赤にして感動した様子のマリアと、更に面白そうに笑みを深めたアテナに見つめられるカナタは居心地の悪さを感じながら視線を逸らした。


「失礼しますアテナ様」


 そんな時だった。

 扉が開き一人の女性が姿を見せたのだが、その女性はカナタにとって見覚えのある女性だったのだ。

 伯爵令嬢リサ、現れたのは彼女だった。


「来たわねリサ」

「はい。えっと……」


 どうやらリサもどうして呼ばれたのかは分かっていないらしい。

 カナタと視線が合うと彼女はチョコンと頭を下げ、そのままアテナの傍に近づくのだった。


「実は以前、この子が極刑にされそうになった時があったのよ」


 その言葉に少しばかり空気が固まった。


「けどね、そんなこの子を救ったのがハイシン様だったのよ。彼の言葉があったから彼女は処刑を免れたようなものなのよね。まあだからといって、あの時の無力な私が許せないけれど」


 カナタだけでなく、マリアたちも公国と処刑というワードでリサがどういった人物なのか理解が出来たらしい。

 マリアに至ってはアルファナと共に声明を送ったのだから尚更だろう。


「ねえマリア、ハイシン様と唯一出会ったことがあるあなただからこそリサに色々と話をしてあげてほしいの。この子、あれからハイシン様の熱烈なファンになってしまったのよ私同様に」

「そうなの? 別に私は構わないけれど」


 それからカナタを傍に置いてマリアのハイシンに対する熱い想いが語られることになった。

 話を聞くリサだけでなく、他の同級生たちもハイシンのリスナーということでそれはもう盛り上がった。


(……やめろおおおおおおお背中がくすぐってえからさ!!!)


 当然、恥ずかしさに悶えるカナタだった。


「……フフ」


 しかし、他の面々と反応の違うカナタをアテナは妖し気に見つめていた。

 カナタはその視線に気付いていなかったが……ただ一人、ハイシンのことを話しながらも気を配っていたマリアはアテナに気付いていた。

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