異世界にも炎上ってあるのかな?
「……なあお前」
「はい!」
土下座している女はカナタの呼びかけにパッと顔を上げた。
まるで飼い主に懐く犬のように、もしも尻尾が生えていたらブンブンと振っていそうな仕草だ。
とはいえ目の前の女はカナタにとって全く知らない存在であり、更に言えば自身の秘密を初めて知られてしまった存在でもある……一体どうすればいいのかとカナタは頭を悩ませた。
「……取り合えずお前は誰だ?」
「はい! ミラと申します! もう一つ名前はあるのですが、えっと……カラスという名はご存じでしょうか?」
「烏? ……あぁいやカラス……うん?」
烏ではなくカラス、そこでカナタはおやっと首を傾げた。
「……………」
取り合えず簡単に情報を整理しようと考えカナタは目の前の女を見つめた。
群青色なセミロングの髪、少し垂れ目だが幼い顔つきに良く似合っており、部屋に忍び込んでいたとは到底思わせない純真さを僅かながら感じさせる。
黒衣に身を包んでいるので首から下は見えないが……そう、この黒衣とカラスという単語にカナタはまさかと目を丸くした。
「カラス……ってまさかあの暗殺者の?」
「あ、はい! そのカラスです!」
「……………」
カラス、それは伝説者の暗殺者の名前だ。
正体は不明と言われておりそのマスクの下を見た者は存在しないのだが、まさかその暗殺者の本当の姿が女の子なんて到底信じられるわけがない。
というよりも、どんな顔が中から現れたところでそもそもこのミラと名乗った女がカラスであると証明できるものは何もない。
「……信じられねえな。だってなんでそんな伝説の暗殺者が俺の部屋に忍び込んでストーカー紛いのことをするんだ?」
「それは私があなたのファンだからです!」
「……これ、話が通じないパターンかもしれない」
前世でもこの世界でも、カナタにとってこのような手合いは初めてだった。
本当に彼女に対してどのように接すれば良いのか分からないし、これからどうしようかと考えても答えが出てこない。
「……ハイシン様、お困りですか?」
「お困りですわ」
「そうですか……原因は私ですよね?」
「ソウダネ」
何だ良く分かっているじゃないか、そんな意味を込めてジトっとした目をカナタは向けたのだが……彼女は分かりましたと口にして懐から剣を抜いた。
「っ!?」
銀色に輝く刀身は芸術的な美しさを備えているが、目の前でいきなり剣を抜かれればカナタも一歩退いて臨戦態勢を取るのは当然だ……しかし、彼女は剣をカナタに向けるのではなく自身の首元に当てた。
「死にます。さようならハイシン様」
彼女の声は本気だった。
カナタは思わず止せと大きな声を上げると、彼女はぴくっと震えながらもしっかりと手を止めた。
ただ本当に自らの喉を掻っ切ろうとしたのか首に僅かな傷が入り、血がつーっと流れ始めた。
「何してんだよお前は!!」
咄嗟に駆け寄ったカナタはハンカチを首に当てた。
深いわけではなく単純に皮膚に傷が付いたくらいだが……流石に躊躇の無い自殺未遂にカナタの心臓は悪い意味でバクバクしていた。
「取り合えず……その剣を置け」
「はい」
どこまでも従順な様子にカナタは恐怖さえ覚える。
彼女はまるでカナタを絶対の存在と見ているかのようで、その目には一種の隷属心のようなものさえ感じてしまう。
「……お前本気で死のうとしたのか?」
「はい。本気でした」
「なんで?」
「ハイシン様にご迷惑を掛けてしまったからです。あなたが私のことを迷惑だと思うのであれば、私に生きる価値などないのですから」
「……もうヤダこの子」
素直な言葉が漏れて出た。
おそらく彼女はカナタが死ねと言えば喜んで死ぬタイプ……本当にカナタにとって初めて知り合ったタイプの子だ。
あなたの為なら死ねる……ヤンデレやメンヘラを彷彿とさせるが、そんなレベルを遥かに超える女の登場にカナタは本気で泣きそうだった。
「取り合えず死ぬな。つうか迷惑は確かに迷惑だけど……ああもう、いきなりのことで俺も頭が回んねえよ」
「だ、大丈夫ですか?」
大丈夫じゃねえ誰のせいだと思ってんだよとカナタは頭を抱えた。
テーブルに置いていた飲み物を喉に通し、一旦気持ちを落ち着けるべく深く深呼吸をした。
「……取り合えずもう一度言うが死ぬな。そこで首を切ったら血が飛ぶだろ」
「あ、ではハイシン様の目が届かないところで――」
「そういう問題じゃなくて! ……何なのよ君はもうさ」
もう一度死ぬなと念を押しておいた。
見ず知らずのストーカー女がどこで死のうがどうでも良いと言えばどうでも良い、だがしかしこうして話をした以上それじゃあ知らない場所で死んできますと言われるのも気分が悪いというものだ。
「……よっこらせっと」
改めて彼女の前にカナタは腰を下ろした。
「ミラ……だっけ?」
「はい。カラスとも呼ばれていますが、カラスの正体を現時点で知っているのはハイシン様だけとなります」
「そか……俺、君の秘密を知ったから殺されるとかある?」
「誰かに殺されるのですか!? ならば私がそいつを消します!」
全く話が通じなくてカナタはあははっと渇いた笑みを浮かべた。
こんなのを伝説の暗殺者として認識しろは無理があるわけだが……簡単に何かそれを証明してほしかった。
何かないか、それを聞くと彼女は顎に手を当ててポンと何かを思い付いたようだ。
「気配を消すのが得意なので……では実際に――」
「……は?」
ミラがそう呟いた瞬間、彼女はまるで溶けるように姿を消した。
魔法を発動した形跡はなく、魔力の流れも感じ取れなかったのでミラは何も魔法を発動していない。
確かにその場に居たはず、それなのに彼女は綺麗に消えたのだ。
「あ、今私はハイシン様の目の前に居ますよ?」
「マジで?」
確かに目の前から声が聞こえた。
おそらく彼女は消えたわけではなく……いや、確かに消えたのだろうがその場には相変わらず座ったままなのだろう。
恐ろしいのは声が聞こえたはずなのにそれがどの辺りからというのも見当が付かないので、実際に手を伸ばしてみた――すると、ふにょんとした柔らかなモノに手が触れた。
「なんだ?」
「それは私の胸です」
「っ!?」
サッとカナタは手を引いた。
黒衣によって気付かなかったが、彼女はマリアやアルファナ同様に素晴らしいモノをお持ちのようだ。
咄嗟に手を引いたカナタは謝罪をしたが、姿を現したミラは普通だった。
「ハイシン様に体に触れられただけで幸せですので全然大丈夫です!」
「……………」
恥ずかしさや気まずさを超えて更に疲れが押し寄せてきた。
それからカナタもある程度は落ち着き、何故彼女がここに訪れたのか、そもそもどうしてハイシンがカナタであると気付いたのかを聞くことになった。
「今となっては許されないことですが、カナタ様を始末するようにとカラスである私に依頼が入ったのです」
「……マジかよ。それはハイシン……いや、ハイシンが俺だって気付いているわけじゃなさそうだな?」
「そうですね。相手はザンダード帝国の大したことない貴族ですが、この街でカナタ様に醜態を晒させられたと言っていました」
ザンダード帝国の貴族と醜態、そこまで話を聞いてカナタはピンと来た。
頭に浮かび上がったのはカンナを助けた際に相手をした貴族で、おそらくは彼がカナタに対して暗殺を仕向けたのではないかと考えた。
「……あんなので暗殺を依頼するのかよ」
「まあプライドは高そうでしたから。それで、私はこの王都に来てあなた様の名前だけを頼りにここを突き留めました。そしてまさかハイシン様に会えるなんて夢にも思わず……私、幸せです!」
「そうかい……それは良かったね」
まさか一歩間違えれば彼女に殺された未来があったわけで、カナタはつい身を震わせるくらいには恐ろしかった。
しかし、これもまた異世界ならではのことかと認めたくはないが改めてこの世界のことを認識した気分だった。
「もう俺を殺すつもりはないのか?」
「全然ありません! むしろお守りしたい気分です!」
「……確かにボディガードとしては……いやでも変態はお断りだしな」
伝説の暗殺者であるカラスが身の回りを守ってくれるとなれば安心出来るだろうが流石に変態度が凄まじいのもあるし、どこか狂っている部分も見受けられるので傍に置くには怖すぎた。
「……?」
っと、そこでカナタの端末が光り出した。
どうやらいつも配信に使う為のお便りが届いたようなので、カナタはもう少し落ち着きたかったためそのお便りを読んだ。
「……え」
「ハイシン様?」
届いたお便り、それはカナタにとってどういうことだと思わせる内容だった。
“ハイシン、貴様は大量虐殺者だ。
人気者になりたいが故にそこまでの暴挙に出るとは思わなかったぞ。
私たちはそれを許すことは出来ぬ。
広範囲に声を届けるためには大量の魔力を必要とするため、とてもではないがどれだけ多くの魔力を保有していても一人ではすぐに枯れてしまう。
つまり、大量の人間の魔力が必要になるということ……なあハイシンよ、貴様は一体どれだけの人間の魔力を枯らせてまでその立場を手に入れた?
どれだけの犠牲と苦しみの果てにその立場を確立させたのだ?
許せぬ、必ずや貴様に裁きを下す”
っというのが届いたお便りだった。
カナタとしては一体何を言ってるんだと目を丸くしたが、どこを発端にしたのかこの言葉はある種の広がりを見せているようだ。
無限の魔力を持つ存在は確認されておらず、それを知っているのもまたカナタ本人しか存在しない。
「……面倒なことになりそうだな」
「ハイシン様、どうされたのですか?」
心配そうに見つめてくる不審者と顔を見合わせ、果たしてどうしたものかとカナタはため息を吐いた。
前世でもネット上に小さなデマが広がることで憶測を呼び、有名人に妙なレッテルが貼られることも少なくはなかったが……どうやらそれがハイシンとしてのカナタに降りかかってきたようだ。
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