信者四号、高級娼婦カンナ

「お疲れ様だカンナ、今日もお客様は大満足だったぞ」

「いえ、これも仕事ですから」


 上質な部屋の一室、男性の問いかけに女性は短くそう返した。

 彼女の名前はカンナ、高級娼婦として名高い美しい女性だった。


「時間よオーナー、しばらくは一人にさせてちょうだい」

「分かっているよ。やれやれ、私も仕事がなければのお声を聴きたかったのだがな」

「ふふっ、そこは仕方ないわ」


 カンナの言葉にオーナーと呼ばれた男性は部屋を出て行った。

 彼が出て行ったのを確認し、カンナは身に着けていた仕事用のドレスを脱いで壁に掛けた。

 一糸纏わぬ姿となった彼女は正に天女のごとき美しさを秘めている。

 長く艶のある真っ赤な髪と青い瞳、少しだけ視線が鋭く他者を威圧させるような雰囲気を纏っているが、それ以上に醸し出される妖艶さが際立っていた。

 瑞々しくもある白い肌は娼婦としてどれだけの男に抱かれようとも色褪せず、凹凸の激しい肉体は二十を過ぎた今も日々を重ねるごとに色気を増していく。


「今日も満足出来る仕事だったなぁ……これも全てハイシン様のおかげだわ」


 全裸の彼女は端末を手にベッドの上に寝転がった。

 今か今かと、その端末から彼の言葉が聞こえてくるのを待っている……そして、ついにその時がやってきた。


『おっすみんな! 今日も集まってくれてっかあ!?』

「もちろんよハイシン様あああああああああっ!! どんどんぱふぱふぅ!!」


 ……そう、彼女もまた信者の一人だった。

 妖艶な美しさは相変わらずだが、その表情はまるで幼い少女のようにハイシンの声を聴いて喜びを露にしている。

 リアルタイムに聴こえてくる声をもっと近くで聴きたいと言わんばかりに、彼女は端末を頬に当ててスリスリと気持ち悪い行動を取っていた。


『今日さぁ、色々あったんだわ俺。まあ詳しくは言えないんだけどさ、まあ色々あったんだよ色々とな!』

「何か苦労されたのかしら。あぁ……ハイシン様がここにいらしてくれれば私の全てを以って癒して差し上げるのに」


 二度目になるがカンナは高級娼婦であり、平民ではまず抱くことが出来ない。

 貴族でもそれなりに金を持っている者しか相手できず、彼女の美しさに惚れ込んだ金持ちがいつも身請けしたいと訪れるほどだ。


「……ハイシン様」


 甘い吐息を零すようにカンナはハイシンの名を呟いた。

 元々カンナはスラム街で育った女性であり、このように高級娼婦と呼ばれる立場とは無縁だった。

 しかし、スラム街にふと訪れた前任のオーナーに手を引かれるように彼女は幼い頃より娼婦となった。


『お前たちのような掃き溜めにいた女も磨けば光る。良いか、お前たち身寄りのない女を引き取ってやったんだ。俺の言うことを聞き、俺の為に働け』


 それは前任オーナーの口癖だった。

 見知らぬ男に体を売るというのは慣れるまで大変だったが、それでも金を稼がないと生きていけないのだから従う他なかった。

 やり方はどうであれ、腹を空かせて死ぬよりは扱いにさえ我慢すれば遥かにマシではあったのだ。


『……今はまだ若いけれど、私たちはみんな歳を取ればダメになっていく。そうなるとまたあの場所に戻るのかな』


 それは娼婦の女性たちみんなが恐れていることだった。

 娼婦の社会的地位はかなり低く、娼婦ではない女性からも汚らわしいモノを見るような目を向けられることも多かった。

 生きてはいけるが最底辺、それが娼婦の約束された世界であり、若さという期限が切れれば捨てられるだけという悲しみを背負っていた。


「……そんな私たちをハイシン様が救ってくださったのよ」


 カンナは……いや、この娼館に生きる女性たちにとって忘れられない日があった。

 それはハイシンがある程度有名になった時、一つの娯楽としてカンナを含めた娼館に努める女性たちが彼の配信を聴いていた時のことだった。


『えっと何々……娼館に生きる女共はみんなゴミみたいな存在とは思うのですがハイシンさんはどう思いますか――』


 それはあまりにも心を引き裂く言葉だった。

 カンナはそうでもなかったが、周りに居た数人の同僚は酷いと言って涙を流す。

 結局自分たちはどこまで頑張ってもゴミと言われる存在であり、これ以上を望むことは出来ず幸せだと胸を張れる未来は決して訪れないのだと分からされた気分だ。

 だが、彼は……ハイシンは違った。


『何言ってんだお前、どういう立場でそんなアホみたいなこと言ってんだよカス』


 それはハイシンの怒りが込められた言葉だった。

 カンナもそうだし新しくオーナーになった男性、そして同僚の女性たちもポカンとした顔をして続く言葉を聴いた。


『まあ俺も色々と知ってるんだけどさ、なんで娼婦ってそんな風に言われるのかが分からないんだよ。異性に体を売るってことでその気持ちが理解出来ない人も居るかもしれないけど、彼女たちのことを素直に俺は凄いって思うぜ?』


 凄いと思うぜ、その言葉が多くの娼婦の顔を上げさせた。


『ほら、娼婦って風俗……あぁなんだ。所謂男に夢を売る仕事だろ? 日々の疲れを癒してもらうのはもちろん、一時とはいえ女性と一緒に居たいって人も少なからず居るだろうさ。なあ質問者さんよ、そんな風に癒してくれる女性たちに対してゴミだなんて今でも言えるのか?』


 ハイシンが抱いた怒りは小さくなったようにも感じたが、彼の言葉はまだまだ続いていく。

 その言葉たち一つ一つがカンナたち娼婦の心に光を差し込み、娼婦たちに対する認識の変化と社会的地位の向上に繋がった。


「好んで娼婦になる人も居るとは思う。でも大半の人はお金に困ったり、或いは家族に捨てられた若い人だったり奴隷の人も居るだろうなきっと。娼婦はずっと続けられるわけじゃない、それこそ歳を取れば段々と指名されることも少なくなる」


 それには全員が頷いた。

 どんな美しさも時の流れには勝てずに朽ち果てていく……だからこそと、ハイシンはこんな提案を口にしたのだ。


『体を売るってのは単純だけど簡単じゃない、多くの負担と色んなモノを犠牲にしてると思うんだ。ならそれなりの対価を娼婦の女性たちに払って、いずれ娼婦を辞めた時にしっかりと生きていけるお金をあげるべきだと思うんだよ俺は』


 そう言ってくれた男性は……いや、人は誰も居なかった。

 ハイシンはただ思ったことを口にしているだけ、常に彼はそう言っているのでこれも単なる思い付きであり意見の一つに過ぎない。

 しかし、こうやって実際に声が届くことはカンナたちにとって嬉しかった。


『しっかりお金を貯めてもらってさ。今までよく頑張ったって、今までここで頑張ってきてよかったって、そう思って旅立てる場所にしようぜ』


 最後の言葉はとても優しく、その頃には多くの女性が涙を流していた。

 そしてこのハイシンの言葉がきっかけとなったのかは分からないが、娼館に対する抜本的な改革が行われた。

 すぐには無理だったが、それでも時間を掛けて娼婦に対する認識は変化を齎し、懐事情も余裕を持ってもらえるようにと支払われる給料も多くなった。

 それこそ高級娼婦ともなればそれなりの財産を持てるほどに。


「……ハイシン様、あなたは何処に居るの? 私……あなたにお礼がしたいわ」


 他の国の娼婦がどうかは分からないが、少なくとも王都に住むカンナたち娼婦の待遇はこれ以上ないモノだ。

 カンナだけでなく、娼館で働く女性たちはハイシンのことを崇拝している。

 彼の声があったから、彼があそこまで言ってくれたから、だから国は動いたのだと本気で信じている。


『何があったのか聴きたいって? まあそうだな……ちょっとそれはどうなんだって思うことがあったんだよ。ま、こうやってみんなが居てくれるけど同時に俺を鬱陶しく思う連中も居るってことさ。今更だけどな!』

「……は?」


 先ほどまで過去のことを思い返していたカンナだったが、ハイシンの言葉に眉を顰めた。


「ハイシン様を鬱陶しく思う……ですって? 何処の誰かしら?」


 高級娼婦として男に夢を与える美しき女性、しかしまるで今の姿は深淵から生まれた死神のようにも見えた。

 ちなみに、カンナだけでなく娼館の女性たちが同じように怒りを露にし、彼を困らせた不届き者は誰なんだと話題が尽きなかったとか。





「き、奇遇ねカナタ君!」

「え? あ、あぁ……そっすね」


 アギラが小便お漏らし小僧になってから数日後、カナタは休日に私服姿のマリアとバッタリ出くわした。

 キッチリと着込む制服ではなく、白いワンピースのような可愛らしい姿の彼女はかなり新鮮だった。


「どうしたんだ?」

「まあちょっとお出掛けよお出掛け」

「……………」


 一国の王女が一人で出掛けて良いのかと疑問になるが、そもそも女子寮に住んでいる時点で今更かとカナタは思った。


「……それじゃあ俺はこれで」

「ちょっと待ちなさい!」


 ガシッと手首を掴まれた。

 実を言うと、アギラの件があってからやけにマリアに見られるようになったのをカナタは気にしていた。

 疑うような眼差し、あり得ないと首を振る姿、もしかしたらと期待するような視線にカナタは気が気でない。

 しかもそんなカナタとマリアを見てアルファナは楽しそうに笑うだけ、助けてくれる存在は何処にもいなかった。


「暇ならどう?」

「どうとは?」

「一緒にお出掛けよ!」

「……………」


 逃げられそうにない空気にカナタはため息を吐いた。

 しかし、ちょうどその時だった。


「離しなさいよ」

「おいおい、俺はザンダードの貴族だぜ? 良いのかよそんな態度を取っても」

「知らないわ。相手が貴族だから何だと言うの?」


 目の前で高そうな服に身を包んだ男が真っ赤な髪の美しい女性を捕まえている光景を見た。

 どうも女性の方は嫌がっているのだが男の方がしつこいらしく、カナタはマリアと顔を見合わせて頷くのだった。


「待ちな兄ちゃん」

「その手を離しなさい」


 休日返上の瞬間である。

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