これは大変なことになるなぁ
「よしっと、それじゃあ俺はそろそろ帰るわ」
「えぇ。またね」
「カナタ様、またお話しましょうね」
ササっと帰るカナタの背を見送り、アルファナは熱い吐息を零した。
(……カナタ様……ハイシン様……あぁ素敵、こうして憧れの彼に会えるなんて私はなんて幸せ者なのでしょうか♪)
心の中でアルファナが呟いたように、彼女はカナタがハイシンだということに気付いている。
街中で偶然出会った時に見た手、そして配信で見た手が一致したことに見事に彼女は気付けたのだ。
「……やっぱり気になるのよね。でもそんなはずはないって分かってるのに」
ボソッと呟いたマリアにアルファナは笑みを深くした。
実を言えばマリアはまだカナタの正体に気付いておらず、以前に指摘したアクセントの違いと話し方で気になっているのだ。
しかし、それでも憧れのハイシンがこんなにも傍に居るのだという発想に至れないのはある意味仕方ないことかもしれない。
(マリアもすぐに気づくでしょうけど、それまでは私だけがカナタ様のことを知っているというのも良いでしょう♪)
ちなみに、お互いにハイシンのリスナーであることを知っているのは承知済みだ。
とはいえ熱狂的なファンであることは伝えておらず、お互いに一人の時にハイシンの声を聴いて人格が変わるほどに豹変することは知らないのだ。
あくまで普通のリスナーであり、普通のファン仲間という認識だ。
「それにしても本当に珍しいわね。アルファナが異性と仲良くしているなんて」
「そうですか? 同じクラスメイトとして普通だと思いますけど」
「あら、他の人には塩対応だって聞くけど?」
「そうでしょうか。特に用もないのに話しかけられても嫌というだけです」
聖女だからと取り入ろうとする気持ちは分からないでもない。
アルファナに気に入られればそれこそ何か重大な役目を申し付けられたり、家としても特別に見られたりすることもあるだろう。
なのできっと彼らは家の方からどうにかしてアルファナに名前を覚えてもらえとでも言われているのかもしれない。
「少しマリアにも話しましたけど、カナタ様には偶然助けていただいたのです。他にも理由は当然ありますが、彼と仲良くすることにこれ以上の理由はないでしょう?」
「……まあね。でも気を付けなさいよ? 彼はあくまで平民であなたは聖女、私自身身分は気にしていないけど差別意識はいまだ根強く残っているから」
そんなことはアルファナにも百も承知だった。
だからこそカナタに迷惑が掛からないようにこうして会うときは隠れながら顔を合わせることを意識している。
本来なら必要ないのだが、学院内で誰かが傍に近づいてきても分かるように最大限に気配察知も忘れずに行っているほどの用意周到さだ。
「ハイシン様も言っていましたが、本当に差別など不毛なモノです。何故それが分からないのでしょうね」
「本当よ!! ハイシン様のお言葉を聞いていたら差別なんて……コホン、アルファナの言う通り本当に不毛だわ」
おやっと、アルファナを首を傾げたがマリアは誤魔化すようにキリッとした表情を浮かべた。
もしかしたらマリアもまた自分と同じようにハイシンに全てを捧げているのでは、そこまで考えたが今はまだ良いかとアルファナは頷いた。
「カナタ様も帰りましたし私も失礼しますね」
「そうね。私も今日は寮に戻ってゆっくりしようかしら」
そうしてアルファナはマリアと別れた。
学院に通っている以上はアルファナもマリアと同じく寮で寝泊まりしているのだが、アルファナには特別に個室が与えられている。
これでもしもカナタも個室だと知ったならば、この行動力逞しい聖女がどんな行動に出るかは怖くて想像出来ない。
「ただいま戻り……あ、そうでしたね。もう一人でした」
ただいつもの癖か、教会に戻った時と同じように挨拶をしてしまう。
一人で居ることを思い出して苦笑した彼女は荷物を置き、ベッドに腰かけて今日のことを振り返った。
「カナタ様……ハイシン様……あぁどちらの呼び方も捨てがたいですね。ですがせっかく真の名を呼ぶ許可をいただいたのです。カナタ様とお呼びしましょう」
カナタ、そう呼ぶだけでアルファナは心が満たされた。
今彼は何をしているのだろうか、夜に行う配信の準備をしているのだろうか、ずっとそんなことを瞬きもせずにアルファナは考えている。
彼女の体が向かう先は自室の壁なのだが、その先は男子寮でカナタの部屋の位置に真っ直ぐ視線が向いている。
「……………」
果たしてこれは意識しているのか、はたまたちゃんとどこにカナタの部屋があるのかを分かって行っているのかは謎だ。
「カナタ様、私はあなたに懴悔しなくてはならないことがあります」
彼女は胸の前で手を重ねた。
まるで聖女が祈りを捧げるような姿で、誰も見ていない薄暗い彼女の部屋の中なのにとても神聖な気配を漂わせている。
「私はあなたに名前呼びを許された時、一時とはいえあなたと婚姻を結ぼうなどと罪深きことを考えてしまいました」
アルファナは言葉を続ける。
自らの罪の告白を。
「私のような一介の聖女ごときがカナタ様とそのようなことを考えるなど愚かしいことです。あなた様は崇高なるお方、私のような小娘が隣に立つなどあり得ない神に等しきお方です」
決してそんなことはないし、カナタも自分のことをそのような高尚な存在とは思っていない。
しかし、アルファナの歪んだ価値観はどうにもならないみたいだ。
「ですが……ですがもしもあなた様が私のことを望んでくれるのであれば、この体も心も全て捧げさせてください。あぁカナタ様……カナタ様ぁ!」
もう無理みたいですね、そうどこからか声が聞こえてきそうだ。
このように狂ってしまっている彼女だが、ちゃんと考えるべきことは考えており持ち前の賢さは遺憾なく発揮している。
カナタはハイシンとしてアルファナの至高とも言える時間を与えてくれている。
ならばそれに対して自分も何かお返しを、そう思った彼女はまずカナタの周りを知ることにした。
『カナタ様の故郷はどちらなのですか?』
『俺の故郷? ロギンっつうド田舎だよ』
そこから彼の故郷を知り、道が悪いことも知ってすぐに指示を出した。
職権乱用? 権力の一人歩き? そんなものは知ったことか、神に等しき存在への奉仕は当たり前のことではないかとアルファナは考えたのだ。
「カナタ様、いずれハイシン様としてもお話をしたいですが……あなた様はおそらく真の名と顔を明かすことはしないでしょう。ならば何か変わる時が来るまで、私はただのクラスメイトとしてカナタ様と接します」
ハイシンの名は既にこの世界に広く知れ渡っている。
彼の存在を大きなものとして認識し、国として抱え込みたい勢力も居れば邪魔だと排除しようとする罪深い存在が居ることも分かっている。
彼を否定することは神への侮辱と同義、ならばどんな小さなことであってもカナタを侮辱、或いは暴言を吐いたものは排除されなければならないのだ。
「カナタ様、私は影よりあなたを見守り支えていきます。それが私の役目であり生きる意味、聖女としての力は全てあなた様の為に」
もはや厄介オタクなどという次元はとうに超えていた。
アルファナはとにかくカナタの役に立ちたい、それこそが彼に魅了された信者としての役目だとアルファナは本気で考えている。
「……となると、ハイシン様を奉ずる者たちを募るのも良いかもしれませんね」
ハイシンとしてのカナタに魅了され、彼をずっと追いかけている者たちで一つのコミュニティを作るのも良さそうだとアルファナは考えた。
それは所謂ファンクラブのようなものであり、全てを賭してでも彼に尽くしたいと思える者たちを集めるのだ。
「素敵ですね。果たしてどんな方たちが集まるのか今から楽しみです」
こうしてカナタの知らぬところで一つのコミュニティが結成されようとしていた。
いずれ大きくなったらカナタにも配信上で伝えるつもりであり、彼がそれを良しとして認識すれば正式な公認ファンクラブとなるわけだ。
まあカナタはともかく、発案者のアルファナもまさか思いもしなかっただろう。
貴族や平民と言った身分の違いという括りに留まらず、まさか他国の重鎮や人ならざる魔族の王、そして伝説とも呼ばれている暗殺者に高ランク冒険者、はたまた元奴隷たちが数多く集まるなど……当然予想なんて出来るわけもない。
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