信者一号、マリア・アタラシス

 アタラシアに彗星の如く現れたハイシンと名乗る男の影響力は凄まじい。

 彼の言葉によって救われた者や、道を示された者も数多く存在している。

 客観的な意見とその果てに生じるであろうリスク、それを遠慮なしにぶつけてくれるハイシンの言葉は刺さる人には刺さることが多かった。


 こんなことがあったから意見を聞かせてほしい、悩んでいるから答えを一緒に考えてはくれないか、俺はこんなことをしたんだぜ、とにかく多くの言葉がハイシンには届けられる。


『今日も読んでくぜぇ。ちなみに初見の人に言っとくが俺は身分とか一切気にせずに言うからそのつもりで居てくれ。まあお互いに匿名だし? このネットワーク上だと平等だ。だから遠慮なしに罵倒はするからそのつもりで居てくれな』


 ハイシンは本当に容赦がなかった。

 彼が気に入らなければ暴言と罵倒は当たり前できっと何人かは端末を片手にイライラするだろう。

 だが、その当事者ではない者からすれば彼の言うことはどこまでも正しかった。

 その立場に自分が居たらどうだろうか、彼の言ったリスクが実際に降りかかったらどうだろうか、それを考えることで踏み止まった者も少なくはない。


『何々、魔族が滅ぼすべき存在なのは周知のことですが……ふ~ん、この時点で俺はその考えは理解できねえな。確かに人間と魔族は争ってるが、何で仲良く出来ないんだかねぇ俺は不思議で仕方ねえよ』


 少し前、ハイシンはこのようなを言ったことがある。

 人間にとって魔族は排すべき存在なのは確かに周知の事実だが、彼は真っ向からそれに異を唱えたのだ。

 若者だけでなく、国のトップすら彼の配信を聴いていると言われており、彼の言葉は人類を裏切る言葉ではないかと波紋を呼んだ。


『争えば争うだけ被害が出るだけだろ。そりゃあ全部と仲良くは無理かもしれねえけどよ、魔族の中にも良い奴は絶対居るはずだろ。人間の中にだって魔族と争うことはせずに仲良くしたいと考えている奴も少なくないはずだ。まあ俺はこんな立場だから言えるんだがな、その辺は人間と魔族のお偉いさんに任せるしかねえべ』


 彼は歯にモノ着せぬ物言いが売りだが本当にどこまでも平等だ。

 人間と魔族、どちらかにも肩入れをすることはなくあくまで中立的な言葉を口にする。

 それもあって魔族のリスナーが一定数……やんごとなき立場のとある存在も居るのだが、ハイシンは本当に多くの存在に認知されている存在なのだ。


「あぁハイシン様……素敵なお声ですぅ。私、ハイシン様に是非お会いしたい。悩んでいた私を救っていただいたお礼を是非したい!」


 そして認知され有名なったからこそ、彼にはファンというものが存在する。

 その中でも特にハイシンを崇拝し、どんな時も彼の配信を欠かさずに見ている者たちのことをと呼ぶのだが、今ハイシンに対して熱い想いの丈をぶつけた少女もまた重度の信者だった。


 清潔なベッドの上で端末をその豊かな胸元に抱きしめている美しい女性、王国の第三王女であるマリア・アタラシスその人だ。


 彼女がハイシンを知ったのは随分と前になる。

 当時からそれなりに名前を聞いていた配信にそこまでの興味はなかったが、友人に勧められてハイシンを本格的に知ってどっぷりとハマることになった。


「本当に不思議な人です。聞きやすい声はまるで私の脳を犯し、体の隅々まであなた様に染めるかのように……あぁハイシン様、私ハイシン様に全てを捧げたい。あなたのために生きたいですわぁ!」


 恍惚とした笑みを浮かべて悶える彼女はもう重症だ。それもかなり厄介なレベルのリスナーと化してしまった。王国で人心を集める王女の姿はそこにはなく、間違いなくストーカーレベルの厄介女がそこには居た。


「今日もハイシン様に気持ちを届けることが出来たわね。ふふ、何も心配することはないのですよハイシン様。全て私のポケットマネー、ちゃんと王女としての仕事で得た報酬なのですから♪」


 自分の稼ぎを全て推しにつぎ込むただのオタクである。

 そう、ハイシンの配信に現れた名無しの王女とは彼女のことだ。ハイシンの投げ銭機能が実装されるや否や、一番分かりやすいアピールとしてお金をそれはもう大量に送っている。


「ハイシン様の生活を私が支えている……ふへ……ふへへ♪」


 気持ち悪い笑みを浮かべながらご満悦の姿にルームメイトも諦めたようにため息を吐いている。


「ちょっとマリア、アンタ酷い顔してるわよ?」

「ふへ……あぁハイシン様ぁ」

「ダメだこりゃ」


 今のマリアには誰の声も届かないようだ。

 そもそもの話、ここまでマリアがハイシンを崇拝するには理由があった。それは民との向き合い方、及びこの世の不条理を知った時のことだ。

 平和を願うマリアにとって民が安心して過ごせることこそが何よりの願いだった。


 しかし、この世の裏側の事情が彼女の心に影を落とした。

 ふとした時に奴隷市場に向かうことがあったのだ。

 王都でも奴隷は許可されているが、彼らに対して劣悪な環境をマリアは知ってしまった。

 奴隷に人権のようなものはなく使い潰されることがこの世界の常識であり、マリアも教科書からそうであると軽く教わっていた。


『……誰ですか?』

『いや、言うことを聞きますから鞭で打たないで!』

『お前ら王族には分からねえよ俺たちの苦しみは!』


 同じ人なのに普通に生きられない存在が居ることにマリアは胸を痛めた。

 どうにか出来ないかと考えても明確な答えは出てこない。

 それは国の決まりそのものに手を出すことになり、奴隷を扱うことによって利益を出す大臣も居たりして中々メスを入れづらい問題だった。


 そんな時だった――ハイシンが彼女に道を示してくれたのだ。


『奴隷制度? あぁ確かに隠れた部分じゃ見るに堪えないのが現状だな。つうかそのシステムって王都でもそうだよな。マジで腐ってるって、俺が奴隷なら絶対にいつか王族含めてぶち殺してやるって憎しみ溜めてるわ』


 その言葉にマリアは鉄格子を挟んで睨んできた目を思い出した。


『奴隷だって一つの命なんだ。誰かに望まれて産まれてきて……まあそうでない奴も残念ながら居るかもしれん。けどこの世界に産まれた以上、誰にだって生きる権利はあるしどう生きたいかを決める権利もある。奴隷制度を完全に撤廃は出来ないとしても、もう少し良い環境を与えたりする制度を新しく作っても良いかもな』


 確かに無くすのではなく新たな制度を作る、それなら出来るかもしれないとマリアは考えた。


『質問者さんがどういった立場の人かは分からないが、まあ俺みたいな人間からすれば動いてみればどうだって感じだ。昔からの決まりにメスを入れるのは鬱陶しがられることもあんだろ。けどアンタが動けば救われる命が数多くあるのも確かだ。借金のせいで売られたり、誘拐されて身売りされることもあるだろ。そんな人たちにこの世界には希望があるんだって思わせられる新しい試みを期待するぜ』


 それはハイシンにとってただただ質問に答えただけのことだ。

 だがそれがマリアを動かした――いや、マリアだけでなく彼女の兄や弟、姉や妹もハイシンの言葉を聴いていたのだ。

 王である父と王妃である母に事情を説明し、大臣も交えてマリアは国を動かした。

 古来よりある奴隷制度は変革の時を迎え、劣悪な環境は綺麗に取っ払われたのだ。

 再発防止のため国から定期的に調査が入ることにもなっており、以前のように苦しむ奴隷はもう居なくなった。


『まあ一番は奴隷そのものを無くせばいいんだがな、それが出来ないのもまた根深い問題だよなぁ』


 その言葉には確かにそうだとマリアは頷いた。

 誰かが動けば変わった問題であり、その道に進む後押しをしてくれたのは間違いなくハイシンの言葉だった。

 いや、そもそもハイシンがかなり有名になった状況で王都を名指しして言葉にしたのも大きかっただろう。


「ハイシン様……私、ハイシン様に付いていきます。これからもずっと、あなたの示す言葉は絶対であり間違いはないのです。あなたがそうしろと言ったことは全てそうするべきであり、あなたが白と言ったもの白であり黒と言ったら黒なのです」


 それから彼の配信を見続けた結果、厄介な肯定オタクが誕生したというわけだ。

 ちなみにマリアのように重度なリスナーはそれなりの数が居り、色んな国に分散しているようだ。

 もちろんシストルにも何人か居るかもしれないが、流石にあの名前でお金を送ったのは私だなどと言いだす輩は居ない。


『なんかさぁ、貴族と平民でいがみ合う必要なくね? みんな仲良くすればいいじゃんくだらねえよなマジで』


 ならば私が平民と貴族の仲を取り持ちましょう、そうマリアは魂に刻んだ。

 学園で平民と貴族の争いによく介入するマリアの根底にはこの言葉があった。

 正直彼女にとって貴族も平民もどうでも良く、こうすることでハイシンの言葉に従う喜びを見出したいだけに過ぎない――彼女は本当にハイシンの名誉信者だ。


 こうしてこのアタラシアには多くのハイシン信者が存在する。

 まさかハイシンもこのような悍ましい化け物のような感情を持った信者が生まれているとは思わないだろう。

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