第4話 二択

 山羊が「試飲用の薬を用意してくる」と再び奥に引っ込んでも、下手なことを言うわけにはいかない。あの悪魔の魔界耳はなのだ。


「あ、その、好きな人って、どんな人なんですか?」


 鈴木さんを振り返ると、まだ顔の熱を冷ましきれていないようだった。カウンターの向こうを見つめながら、小さな唇を震わせている。


「ええと、優しそうで、真面目そうで」


 良かった。変なヤツではなさそうだ――。


「いつも色んなジャンルの本を読んでいて。あ、この間はプログラミング言語の本とか、恋愛系のライト文芸とか」


 ん――?


 そのラインナップは、この間山羊に貸すために図書館から借りてきたものだ。渡す前に放課後の教室で、検閲がてら目を通した記憶がある。


 先走る心臓の鼓動を治めようと、大きく息を吸い込んだ。

 

「その人、『源氏物語』の新訳も一緒に持っていませんでした?」


 これで勘違いだったら、本気で痛いヤツだ――。


 そう怯えつつも、好奇心が勝ってしまった。


 最後の決め手になる質問に、鈴木さんは目を大きく見開いた。


「え……スタッフさん、どうして分かったんですか?」


 お、オレ確定――?


 その組み合わせを同時に借りているヤツなど、おそらく学校中で自分だけだろう。


 人生初の女子からの好意に、頭が真っ白になった。鈴木さんのやわらかい瞳から目が逸らせなくなる。

 

「もしかして――」

「や、山羊さんまた遅いですね! 様子見てきますね」

 

 本日二度目のセリフを残して、暖簾のれんの奥に駆け込んだ。


 わざと音を立てて厨房に入ると、悪魔は作業用の丸椅子に足を組んで座っていた。最初に何かの根を煎じていた土瓶を冷ましながら、のんきに欠伸あくびをしている。


「話は済んだか? 成海よ」

 

 あのニヤニヤは、すべて聞かせてもらったぞ、という顔だ。


 あぁ、今すぐ帰りたい――。


「もう少し付き合っていけ。『せ薬』が完成したのだからな」


 法に触れそうな単語に、赤白点滅していた頭が一瞬で元に戻った。


「痩せ薬、ですって? まさか、また魔界の生薬を使った怪しげな薬なんじゃ」


 そう簡単に痩せる薬があったら、今頃ビッグな体型に悩む人はいなくなっているはずだ。


 とにかく思いつく限りの否定を連ねていると、山羊は土瓶の中の茶色い薬を急須に注ぎ始めた。


「二度も言わせるな。これは人界に元々ある処方を再現したものだ」


 そんなに疑うのならお前が飲んでみろ、と茶碗を鼻先に押し付けられた。この甘辛いような不思議な匂いは、先ほど煎じていたものと同じだ。


 想像していた漢方薬の苦さはあまりない。何より、異変が起きない。


「でも、これで本当に痩せるんですか?」


 山羊は静かに頷くと、茶碗と急須を盆に乗せて、先に厨房から出ていってしまった。


 人と真剣に向き合おうとする姿勢だけは、ほんの少し認めてやっても良い気がする。それでもまだ不安は拭えない。


 ヤツは好青年の皮を被った、悪魔なのだ。


「鈴木さん、お待たせしました」


 相変わらず鈴木さんは、背筋を伸ばしたままでいる。


 一瞬こちらを見て何か言いかけたが、薬入りの茶碗を勧められるとそちらに視線を落とした。


「ああ、少しお待ちを」


 山羊は盆の上に乗っている茶碗をずらすと、同じものをもう一つその横に置いた。


 厨房を出るときは、確かに一つしか茶碗を持っていなかったはずなのに。


「今だけ『特別な薬』もご用意させていただいておりまして」


 あれは人を揺さぶって楽しんでいる、悪魔の目だ。


「最初の薬は、むくみや肥満の改善に効果的な『普通の薬』。そして後に出したこちらは、誰からも愛される魅力を手に入れることのできる『特別な薬』です」


 こんな怪しげな薬、誰が信じるものか。


 鈴木さんもそう思うに違いない、と振り返ると、鈴木さんは後に出された茶碗を熱心に見つめていた。


「え、でも、そんなスゴい薬、私の持ち金で買えるかどうか……」

「本当の悩みをお話しいただいたあなたに感謝の意を表して、今回は特別にタダでいいですよ」


 山羊あくまの二択。それも極端な。


 代償なしなどあり得ない。


 身に覚えのあり過ぎるやり口に、全身が勝手に震え始めてきた。

 

「代わりに――あなたが今持っている、その恋心を頂きますが」

「そんなのダメです!」


 お前に聞いているのではない、と後ろに押されてしまった。それでも山羊の背中を全力で叩いていると、悪魔お得意の「思念」が飛んできた。


『これ以上暴れれば、お前のとみなす』


 ずるい。人を簡単に黙らせる弱みを、この悪魔は最初に握っているのだから。


 握りこぶしを押さえ込み、眉根を寄せた鈴木さんの横顔を見つめることしかできなくなってしまった。

 

「恋心は一過性のものです。この『特別な薬』を飲めば、芸能人とお近づきになれるような魅力が、あなたのものになりますよ」


 本当に狡い。


 そんな風に囁かれたら、もう選択肢などないようなものではないか。


 ごく普通の顔立ちに大した取り柄のないクラスメイトより、これから出会うであろう才能にあふれたイケメンを選ぶに決まっている。


 現実とはこんなものだ、と顔を背けていると、茶碗が盆に擦れる音が響いた。


「おや、そちらでよろしいのですか?」


 演技の抜けた悪魔の声に顔を上げると、鈴木さんは「普通の薬」を飲み干していた。


「もし一時的なものだとしても……この想いは今かけがえのないもの、ですから」


 鈴木さんは店に来たばかりの頃とは真逆の、安らいだ表情で微笑んだ。


 何だろうか。これまでにないくらい、鈴木さんが輝いて見える。直視できないほどに。


「今日はありがとうございました。お薬もそうですけど、告白する勇気が湧いてきた気がします」


 薬をしっかり鞄にしまい込んだ鈴木さんを、山羊と玄関先まで見送った。


 あの薬がなくなる頃には、もしかして――。


 そんな期待を抱えながら。


「薬は確かにあなたに合ったものですが……あなたはすでに魅力的な女性だということを、どうかお忘れなく」


 半身で振り返った鈴木さんの横顔は、薄暗い中でも分かるほど火照っていた。それはもう、触れたら火傷しそうなほどに。


 さて、こちらもぼうっとしては過ごせない。


 鈴木さんの想いをどう受け止めるか、心の準備をしなければ。





―――――――――――――

明日完結です。

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