第3話 本音のゾウリさん
今回は心を読まずとも、考えを悟られたらしい。山羊は大袈裟なため息を吐くと、妙に青紫色に燃えていた火を止めた。
「成海、お前、私が研修で教えたことをそっくり忘れたな?」
二度目はない、と凄みながらも、山羊はひと月前の話を繰り返してくれた。
漢方を扱う薬師は、患者の話を額面通りに受け取らないこと。店に入った瞬間の雰囲気や姿勢、動き、声色、顔色など、情報は口だけではなく目でも読み取ること。
鈴木さんのことをジロジロ見ていたのは、観察のためだったのか――。
「何より、女子高生が夜9時に薬種屋に入るか? それも初めての場所に、一人で」
確かにそうだ。自分が同じ状況でも、まず入らない。
「軽い風邪なら、コンビニのジェネリック医薬品の方が買いやすいだろうが」
誠にその通りだ。
風邪はあくまで口実で、本当の悩みがあるはず。山羊の確信のこもった言葉に、首を捻りながらも頷いた。
客を一人にするなと山羊に厨房を追われてから、少し経った頃。白磁の茶碗を漆塗りの盆に乗せて、悪魔は戻ってきた。
鈴木さんは青みがかった水面の薬を、少し匂ってから一口含んだ。
ん――?
「さっき煮込んでた薬って、どう見ても茶色でしたよね? この青いのは、一体?」
「薬は人間用だとは言ったが、これは薬ではないからな」
悪魔が微笑んだ瞬間。
鈴木さんの唇を伝う青い雫が膨らみ、茶碗に残っていた液体を呼び寄せくっついた。途端に、薬(?)が自ら鈴木さんの口の中に入っていった。
「山羊さん、鈴木さんに何を――」
突然青い波が目の前に溢れ、言葉が出てこなくなった。
鈴木さんの全身が、ゼリーのような半透明の青い液体に呑まれているのだ。意識を失っているのか、呼びかけても目を閉じたまま動かない。
「人間に魔界の薬は出さないって言ってたのに! 嘘つき!」
いつもやられてばかりの山羊に、初めて掴みかかった。もはや報復を恐れている場合ではない。早く止めさせなければ。
「成海、落ち着け。よく見ろ」
こんな状況で落ち着いていられるのは悪魔だけだ――!
そう反論しかけた口を、骨張った手が強引に塞いできた。
「これは『ゾウリさん』だ」
見ろ、と鼻先に近づけてきたのは、山羊の手のひらで踊る丸い液体だった。
鈴木さんを包んでいた青いぜリーは跡形もなく消え、鈴木さんはカウンターに伏せている。
「ゾウリさんは、寄生した相手の本音を一つ引き出すことができる魔生物だ。心配しなくとも、女はそのうち目を覚ますだろう」
そんなのアリか――?
いや、アリなはずない。人間は、相手の本音をそう簡単に手に入れることはできないのだから。ましてや本人の許可なく勝手にこんなことはいけない。魔界での常識は人界では非常識なことだと、この悪魔に教育しなければ。
「この女は『痩せたい』と思っている」
痩せたい――?
山羊に対する怒りは、たちまち鈴木さんへの疑問に変わっていった。
なぜ鈴木さんは痩せたいのだろうか。確かに福を呼びそうな体型だが、痩せる必要があるほど太っているようには見えない。薬に頼ってまで痩せようとする理由までは、「ゾウリさん」は引き出せなかったようだ。
「ん……? 私、何を……」
カウンターから起き上がった鈴木さんに、山羊はもっともらしい誤魔化しを吹き込み始めた。山羊の
「どうやらこの薬は合わなかったようですね」
まだ少しぼうっとしている鈴木さんに構わず、悪魔はこの世の終わりのような表情でため息を吐いた。そして言い切ったのだ。「今のあなたに合う風邪薬は一つもない」、と。
目を潤ませている鈴木さんを見ていると、二人の間に割って入っていきたくなる。しかしヘタに動くことはできない。山羊が横目で警告してくるのだ。
「なぜなら風邪は、本当の悩みではないのだから」
この悪魔は、鈴木さんが痩せたい理由が分かったというのだろうか。
指摘された鈴木さんの
「鈴木さん、あなたの本当の悩みは――恋、ですね?」
永遠に続くのでは、と疑うほどの沈黙が流れた後。
「は?」
ずっと我慢していた声が、つい飛び出てしまった。
幸い山羊の逆鱗に触れることはなく、ほっと胸を撫で下ろしたその時。
「どうして分かったんですか?」
鈴木さんの目からは今にも涙がこぼれ落ちそうになっている。目も耳も、熱があるのではないかと心配になるほど赤くなっていた。
まさか、まさか、悪魔の読みが的中したというのか――?
衝撃が消えない間に、鈴木さんは本音をポツリポツリとこぼし始めた。
好きな人に告白したいが、ぽっちゃり体型がコンプレックスになっているせいで勇気が出ない。運動して食事量を減らしても、体重は減るが体型は改善しない。
「エステとか個別ジムも考えましたけど、高校生にとって現実的じゃない金額ですし……漢方薬は体質を改善できる薬だってネットで見て、ここに来てみたんです」
自分もここの戸を叩いた時は同じだった。
「正直に話してくださってありがとうございます。ご期待に沿えるよう、できる限りのことをさせていただきますよ」
山羊のいかにも作り物の微笑みに、鈴木さんは釘付けになっていた。
騙されている。
そう言いたくても、言えるはずがなかった。
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