長月、あの子の日記帳

魚田羊/海鮮焼きそば

ある教師の独白

 私が教育大学の3年生だったころの話をします。だいたいの4年制教育大なら、大学3年生か4年生の9月に小学校の実習へ行くと思いますが。

 小学校の実習に臨むとき、実習先の教育実習担当の先生からまず言われたことがあります。


「あなたがたは、子どもの前では実習生ではなく先生です。その意識を決して忘れないようにしてください」


 大事なことです。生半可な態度も授業も、今目の前にいる子どもたちの前ではご法度。失敗も多々ありましたが、どうにかその意識を忘れず実習を遂げられたと思っています。

 ただ、どれだけ先生としての意識を持ったところで、あの頃の私たちはどうしようもなく、ひとりの教育実習生でした。"岩元先生"としてできることなどわずかしかなく、子どもたちとはひと月で赤の他人に戻る関係だったのです。


 実習期間中、子どもたちの日記を読んで返信を書くのは、実習生が担当していました。少なくとも私の配属先、3年2組では。

 私含め、実習生4人がかりで30人ぶんの日記を、毎日毎日。私たちは4人でやっているからまだ楽だけど、先生方は本当に大変だろうなと思ったのを覚えています。

 それで、ある日の休み時間に日記への返信を書いていたら、気になる日記を見つけました。佐山さんという子のものです。背が低くて少しころんとした体型の、おとなしい女の子でしたね。でも成績はよくて、発表も堂々とできる子でした。


 それまでの彼女の日記、二度返信を担当しましたが、至って普通だったと思います。普通というとあの子の生活に失礼かもしれませんが、初めて銭湯に行ったとか、9月になったのにセミの抜け殻がまだあったとか、そういう感じでした。小さいことかもしれないけど、貴重な体験や気づきの連続で、私もすごく好感を持って返信を書いた記憶があります。

 でも、その日の日記――正確には、その前日に彼女が書いたものですが――は違いました。


「9月17日

「さい近、お母さんによくおこられます。いつもはやさしいのに、なんでどうでもいいことでおこるのかわかりません。

 お母さんがおこるとき、うでがのびてきます。今まではそんなことなかったです。うでがのびるなんておかしいです。おばけみたいです。でも、わたしが部屋の電気を消すのをわすれて遊びに行こうとすると、「なにしてるの! このろくでなし!」って声がして、真っ黒いうでがのびてきます。わたしのことをつかまえます。

 こわいです。うではぬるっとしていて、きもちわるい。そういえばさい近お父さんも弟もおかしい。すぐおこる。よくけんかしてる。みんな大すきで大切な家族なのに、ばけものになっちゃった。なにかにあやつられて、そうなっちゃった気がします。たすけて、先生」


 およそ現実とは思えない内容です。単なる子どもの妄想、あるいは勘違いだと切り捨てることもできたでしょう。でも、実習生――いや、"先生"としてそうはできませんでしたし、なによりこの日記には計り知れない切迫感がありました。真っ黒な腕のことも幻覚ではないのかもしれないと思わせるような、ある種の率直さ。

 これは、見過ごすわけにいかない。黒い腕のことを横に置いたとしても、家庭環境に問題がありそうに思われる。そう感じた私は、普段より時間をかけて返信を書きました。


「こわい思いをしているのですね。何でもないことでおこられるのも、だれかがけんかしているのを近くで見てしまうのも、家族がてきのようになってしまうのも、つらいことです。先生だって苦手です。

 黒いうでのこと、先生はしんじます。しんじない人もいるかもしれませんが、それでも家のことを話せば力になってくれると思います。たんにんの先生、実習生の先生、他のクラスの先生、みん生委員さん。だれでもいいです。「この人なら話せるよ」という、学校や地いきの大人のひとに、相談してみてはどうでしょうか。もちろん、岩元先生も力になれたらと思っています。 岩元」


 いつもより大きな花丸を添えて、このように返信しました。そう間違った対応ではなかったと、今も信じています。


 返信を書いたあと、配属学級の担任の安藤先生にこのことを――腕のことは抜きで――伝えました。


「報告してくれてありがとう。まずは佐山さんに聞き取りをしてみます」


 先生は真剣な目で、そう返してくれました。


 担任の先生が動いてくれればもう大丈夫。私は安直にも、そう考えていたのです。

 実際、実習生にできることは、誠実な返信と担任への報告くらいしかなかったと思います。当時の私が考えた、精いっぱいの対応ではあった。


 でも、足りなかった。致命的に"黒い腕"への意識が欠けていました。佐山さんにとっての大問題ではあるけど、家庭への支援で解決できうると、小さく捉えていたのでしょう。

 実際、佐山さんにはその後特に変わった様子はなく、同じクラスの別の実習生に聞いても、18日以降の佐山さんの日記におかしなところはなかったとのことで。

 佐山さんの上げた声と安藤先生の対応によって、事態は収まった。そう思っていました。


 実習が終わるまであと3日。評価授業という、単位を取得するための評価に関わる最後の授業に向けて、皆が準備を進める時期の、朝のことでした。

 沈痛な面持ちをした安藤先生が、朝の会をしようとした日番の子たちを制して話し始めたのです。


「大切なお知らせがあります。このクラスの佐山さんが、昨日亡くなったとのことです。今日中にお通夜の案内を渡しますから、必ずお家の人に見せてください」


 悲鳴と悲しみと泣き声で、教室が満たされる中。私の中には、悲しみとともに後悔が浮かんでいました。

 "黒い腕"は佐山さんの幻覚でも、ただ不気味なだけの無害な存在でもなかったのです。どうしてそこに気づけなかったのかと、気づけていれば別の行動ができていたはずだと。たらればを言っても仕方ありませんが、「たすけて、先生」の叫びに応えきれなかった悔しさは決して消えない。


 その日の放課後、安藤先生からこっそり耳打ちされました。岩元先生だけに伝えたいと。


 ――佐山さんだけではなく、家族全員が家の中で亡くなっていたそうです。死因は全員、窒息死。どの遺体の首にも、黒ずんだぬめりのようなものがこびりついていた。


 どう考えても"黒い腕"です。安藤先生もあの日記を確認したそうで、17日の日記に返信したのが私であることも、当然知っています。

 でも、"黒い腕"のことなど誰にも言えません。知っているのは私を入れた3年2組の実習生と、安藤先生。それと、おそらくは警察。たったそれだけです。その警察も、日記を読んだところでどうしようもなかったのではないでしょうか。もちろん私は外部の人間ですから、実際どう処理されたかは知りませんが。

 怪異? 超常現象? いずれにしても、科学や現実的観点からは信じるわけにはいかない。幻覚として処理され、無視されるのがオチでしょう。仕方ないのです。


 私にできることは、なんだったんでしょうね。

 無事に教員――本当の先生になり、もう10年近くが経ちますが、佐山さんと"黒い腕"のことは一生考え続けると思います。あまりにも悔いが残りますし、それに――


 ――安藤先生、5年ほど前に突然死されたと聞きます。遺体には『黒ずんだぬめりのようなものがこびりついていた』そうで。

 後悔と贖罪の気持ちを忘れた瞬間、私のもとにも"黒い腕"が伸びてくる気がしてならないのです。

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長月、あの子の日記帳 魚田羊/海鮮焼きそば @tabun_menrui

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