日記

淡路結波

私と日記

「日記というものは三日坊主との闘いである」

 私のなかで日記はこのような認識をされている。


 私は日記を書くことが苦手だ。

 高校生までは自分の日記を書いたことがなかったし、小学校の夏休みの宿題の絵日記も毎週末にまとめて書かないといけないほどにいつも溜めていた。


 しかし日記には記録を残すといった側面がある。

 受験生の冬に筆まめな友人に日記帳をもらった。なんでくれたのかと彼に聞いたところ、ただいつものものと間違って購入してしまったからだそうだ。おそらく気まぐれである。だが、これは「大学生になったら日記を書こう」というきっかけになった。


 その後、日記を書き始めた。

 すべり止めを抑えて後期入試が終了したあと、進路は確定してはいないが私の入試が幕を下ろしたので日記を書き始めた。彼に貰った日記帳とカクヨム上での日記の二つをはじめた。だが慣れないものは急に始めるべきではなあった。どちらも三日坊主となって終わってしまった。まあ初めはこんなものなのかもしれない。


 日記は続かないので月一で書いちゃえ。

 四月の半ばで力尽き、細々と毎日書こうと努力はしたが生来のめんどくさがりには抗えず毎日更新はあきらめた。「二つを毎日更新しようとするのがダメなんだ」と結論付けたので、とにかく月一でいいから書くことにした。月一日記、略して月記である。これは割と続いた。これくらいのペースの方が向いているのかもしれない。


 懲りなかったので五年日記を始めた。

 昨年の一月に五年日記を始めた。『友もすなる日記といふものを私もしてみむとてするなり。この年の一月の朔日の日の、辰の刻に日を拝む。そのよし、いささかにものに書きつく』と、土佐日記風に書いたが、これを毎日するのは疲れるので最初だけである。二日目以降は普通の文体で書いた。一行でもいいからと書き連ねること百余り、四月の上旬まで続いた。しかしそのあとは途切れてしまった。今も書いていない。


 日記というものは三日坊主との闘いである。

 私は三日坊主の呪縛から逃れられなかった。が、三日坊主をした後すぐにまた再び書き始めればよいことを知った。ひと月に三日坊主を九回すればいいだけである。そうするとひと月当たりの記した日数が書かなかった日を上回る。ついに怠惰向けの処方箋を手に入れたのだ。


 処方箋を手に入れたからいつでも書ける準備が整った。

 でも今日は書く気が起こらないので、明日から書くことにしよう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日記 淡路結波 @yu-Awaji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ