第75話 初めては血の味

何とか、火に巻き込まれることなく、九尾の狐ナインテールの射程外に逃れることが出来た。


俺たちの正面には、直径60メートルほどの半球型の火が燃え盛っていた。これは要するに九尾の狐ナインテールが、自らの射程ギリギリまで、炎を出しているのだろう。


「この炎の中心に九尾の狐ナインテールがいるのはわかるが…見えてない相手に攻撃を当てるのはさすがに難しいなぁ」


激しい炎に遮られて、中の様子を見ることはできない。キースさん側は…背後の森がかなり激しく焼けている。


「範囲は直径で60メートルだが、熱さでもう10メートルは射程が広く感じるな…」


しかし、自然現象ではありえない、半球型の炎なんてものがそこに存在する以上、九尾の狐ナインテールが内側でこの炎を制御をしているのも確実だ。


つまり逃げた、ということはない。もし九尾の狐ナインテールが後退したら、射程距離の関係から、炎の半球の位置も変わってくるはずだ。


「しかし…いつまでいるのかな?」


炎の半球は未だ、その場に留まり続けている。ここから、近づくこともしないが、離れもしない。炎の半球が揺らがない以上、こちらとしては様子見で構わないのだが。


「ギフトである以上、これだけの出力を全開で出し続けるのは疲れるはずだ…そう長くはもたないと思うけどなぁ…」

「シ…シダン…そこ…」


リーゼが指差す先は、炎の半球の、こちら側のすぐ縁のところだ。そこに目を凝らしてみると…半球の中心にいるはずの九尾の狐ナインテールの姿が炎の向こうに薄っすらと見えてきたのだ。


「え?何でだ!?半球の形は変わってないのに!」


背後の森は燃え盛り、挟み打ちの反対側のキースさんたちは撤退している。それを理解している九尾の狐ナインテールは……。


もしかして、向こう側は維持をやめて、俺がいる方向の半分を維持することで、自分が移動していないかの様に見せかけていたのか!?


それは、もちろん俺らの不意を打つために!!


すでに、彼我の距離は10メートルもない。炎の中から完全に姿を現した九尾の狐ナインテールの目が再び怪しく光った。これはさっきの…炎の攻撃の予兆だ!


「ヤバい!リーゼ、退避するぞっ!」


そう言って、俺は下がろうとしたが…リーゼがまた動けない…!不意に近づいてきた九尾の狐ナインテールを見て、再び固まってしまったのだ。


「おい!リーゼッ!逃げろッ!」

「あ、ああ…あ…あんな近く…ヤツが……」

「しっかりしろ!逃げないと巻き込まれ…」


コオオオオオオン、と、俺の声を遮るように九尾の狐ナインテールの啼き声が響く。すると、九尾の狐ナインテールを中心に、膨れ上がるように炎が迫ってきた。


「ひッ…火がッ!!」

「くそっ!!要塞フォートレス!!!」


リーゼを横っ飛びで庇うように押し倒す。そして、地面にリーゼを庇うように伏せると、俺の周りを若木の根ルートで出来た半球状のドームを作りだして、覆った。


要塞フォートレスは、ギフトが進化したときに考えた技の1つ。不変硬鋼アダマンタイトと同等の硬さとされる若木の根ルートを使って自身をドーム状に覆うことで、全方向からの攻撃から、身を守ることができる。


要塞フォートレスの中で、俺はリーゼを押し倒して、覆いかぶさったままだ。まぁ、でも、とてもではないが、艶っぽい状況ではない。


「あああああ……火がっ!火がっ!迫ってくるよぉっ!!」

「リーゼ!落ち着け!俺が防御したから大丈夫だ!」

「ボクのっ!ボクのせいでっ!お母さんがっ!」


さらに錯乱したリーゼが暴れるが、当然、俺がリーゼに腕力で勝てるわけもない。リーゼを押さえつけるのに、悪いが若木の根ルートで手脚を縛らせてもらった。


それでもリーゼは、若木の根ルートを千切らんばかりの勢いで暴れる。


こういうときって、どうすればいいんだろう?


どうすればリーゼの気を逸らすことができるんだ?


この状態から?有効なギフトもないのに?


大抵のことは、どうにか治せる祝福の新葉ブレスであっても、今回は効かない。


炎に囲まれ、リーゼは錯乱し、追い詰められ、焦る思考は空転ばかりして、何も思いついてくれない。


焦った俺は、ほとんど衝動的に、押し倒しているリーゼの小さな唇に、俺の唇を強引に重ねた。


なぜ、こんな大胆なことをしたのか、わからない。しかし、咄嗟に、これが俺にいまできる、リーゼの気を最大限、別の方向に逸らせる行為だと思ったのだ。


乱暴だったからか、どちらかの唇が切れたのだろうか。俺のか、リーゼのかわからない、滲んだ血の味が一瞬だけして、2人の唇を濡らしている唾液と混ざって、すぐに薄くなっていった。


その効果は覿面で、途端にリーゼの顔が正気に戻り、そして、すぐに驚きの顔になる。俺は、正気のリーゼの顔を見ると、すぐに我に返り、慌てて唇を離した。


「落ち着け、リーゼ。あの程度の炎では、俺の若木の根ルートは燃えないから!」

「シダン?ボク…」

「いいから、戦闘を続けるぞっ!」


俺は、焦りながら、横にどく。


一体、何をしているんだ俺…。いくらこっちに好意を持ってることがわかっているからって、錯乱している女の子に、のしかかって、キスをするなんて、いろいろと言い訳出来ねぇよ。


一方でリーゼは、俺がどいたことで、押し倒され、さらに強引にキスまでされたことを理解してきたのか、茹でられたように真っ赤な顔になった。


「シダン、いまボクにキス…?」

「せ・ん・と・う!」


俺は、顔にひどい熱を感じたので、リーゼの方をみないでぶっきらぼうに言う。俺の顔が赤くなっているのは、バレているだろうが。


「シダン…ありがとう…もう大丈夫だから」


覗き見たリーゼの顔は、先程の怯えた様子がウソだったかのようにキリッとしていた。これなら、本人が言う通り、もう大丈夫だろう。


「よし。俺が若木の根ルートで、外の様子を探ったところ、こちらの正面に九尾の狐ナインテールがいる」

「うん。わかった」


俺は九尾の狐ナインテールがいる方向を指した。リーゼがそれを見て頷く。


「俺は、要塞フォートレスを解除しながら、若木の根ルートを振った風圧で炎を払う。チャンスは一瞬だけど…いけるか?」

「うん。ボクに任せてよ」

「じゃあ、3カウントで行くぞ…3…2…1、解除!」


要塞フォートレスを解除すると、周りはやはり炎の海だ。そして、囲んでいた炎は、こちらを押し潰さんばかりの勢いで押し寄せてくる。


巨人の双腕ギガントアームズッ!」


瞬時に、巨人の双腕ギガントアームズを構築して、迫りくる炎を薙ぎ払った。巨人の双腕ギガントアームズが起こした風で一瞬だけ、炎の海に穴が開く。その穴の先に、九尾の狐ナインテールが確認できた。


炎は、再び九尾の狐ナインテールの操作で元に戻ろうとする。しかし、リーゼは凛と九尾の狐ナインテールを睨みつけて、すでに攻撃体制に移っていた。


そして、まるで瞬間移動でもしたかのように九尾の狐ナインテールに迫ると、両手に構えた投擲斧トマホークで、あっさりそのクビを切り落としたのだった。


※※※※※※


「リーゼのお母さんか?」

「うん」


九尾の狐ナインテールとの戦いのあと、リーゼが一緒に来てほしいところがある、と言うので着いていった。


そこは、リザ村からは少し離れた、風通しのいい丘にある墓地だった。リザ村のこれまでの死者が眠っているのだろう。多数、建てられた腰の高さほどの木の柱と、それぞれの柱に故人の名前らしきものが刻まれていた。


「お母さん、仇は取ったよ」


両手を合わせ、目を瞑り、リーゼは語りかけるように祈る。こちらの世界でも、祈るポーズは変わらないようだ。


「いろいろ、まだ思うところはあるけど、ボクはお母さんにもらった命をこれからも精一杯生きるよ」


目を開け顔を上げ、リーゼが俺の方を見た。


「あと、シダンがね、ボクのことについては責任取ってくれると思うから安心して」

「へ?」

「だって、あんな風に押し倒されて、強引にキスされたんだもん?ボク、初めてのキスだったんだよ?ちゃんと責任取ってよね?」


目が合うと、ニコリとするリーゼ。咄嗟にしてしまったとは言え、さすがにキスはやりすぎだったか?人生、ここで決定しちゃうのか、俺。


背中の汗は、滝のように流れて止まらなかった。

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