鬼子母神のふるまい
10年以上も昔ですが、サラブレッド生産牧場に嫁いだ人が書いた「馬の瞳を見つめて」という本が話題になりました。
自分自身で生産した馬が行き場を失い、せめて安らかで幸せな死を……という思いで、安楽死をさせる、といった内容は、当時賛否両論でした。
その結論に至るまでの気持ちを丁寧に書き綴っている良い本だと思いますが、私は完全に「否」です。
馬を扱う者の自己否定……その最たる実例を見ました。
競馬に関わる仕事をして生計を立てることと、馬を愛することの狭間で揺れて、ダークサイドに陥っていく様だと思いました。
ネット上に「鬼子母神のふるまい」と感想を書いたところ、この本を読んで感動した人たちから、「あなたにはこれほどの愛馬心がわからないのか!」と痛烈な批判のメッセージが多数来ました。
感想は人それぞれですから、反論することはしませんでした。
この本の著者も、その感想を書いた私も、人の心に何らかの波を起こす、それが心地よい波か、怒りの荒波か……覚悟の上で文章を書いたのですから。
私とその人たちでは、置かれた立場が違っただけ、と思います。
きっとその人たちは不幸な馬を見過ぎてきて、しかも、何も手立てがなかったのでしょう。辛い思いをしてきて、著者にとても共感したのでしょう。
私が、なぜ「否」だったのか、今なら簡単に説明できます。
私は、あーこを手放さなければならない危機に陥りました。
そんな時、もしも、あーこの生産牧場の人がやってきて
「大変お困りのようですね、その馬を私に返してください。生産者の責任の元、安らかな死を与えますから」
と言われて
「ああよかった、ホッとしました、あなたの馬を想う心に感動いたしました」
と、私が思うか? ということなのです。
喜んでその人にあーこを返すか? ということなのです。
答えは明白でしょう。
だから「否」なのです。
本を読んだ時、私はまだシェルとは出会っていませんでしたが、自分の馬を持つ決意を、ほぼ固めていました。
その馬を守る覚悟も、生死を決める覚悟も、全て責任を持とうと決心していました。
その立場ゆえの感想であり、そして今も同じ気持ちです。
生産者が産みの母だというのなら、12年間、5年間、ずっとシェルやあーこと一緒にいた私は、育ての母です。
本当に安らかな死しか選択肢がないのであれば、生産者ではなく、今現在オーナーである私が責任を持ってそれを果たします。
手放さなければならない状況に陥っても、可能な限り「死」から遠い選択をします。
私が、与えたいのは、安らかな死ではなく、幸せな生だからです。
しかし、残念ながら、乗馬でこき使われてボロボロになって最後に屠場に送られるくらいなら、安らかに殺してあげたほうがいい、その方が馬は幸せなんだ、と多くの人が思うほどに、馬のウェルフェアはなっていないのも事実なのです。
乗馬の世界は、まだまだ、不幸な馬で満ち溢れている。
馬は使い捨て、使えなくなったら屠場に送られる。
それならば、生きているよりも安らかに殺されたほうがまだマシ。
そんな社会の目を、それは違うよ、誤解ですよ、と否定できないでいる。
私だって、ヒグマに襲われて死ぬよりは、眠るように安らかに死にたい。でも、その前に、幸せに生きたいと願っています。
馬が末長く、幸せに生きる道を指し示してあげるのが、オーナーとしての役割。そして、馬が幸せに生きられるよう努力するのが、乗馬を楽しむ者の使命だと思います。
それが、私の「否」の理由です。
この本の著者だけではなく、実際に馬への愛情が強すぎて「安らかな死」を選んでしまう人が、多々いることも事実のようです。
牧場主が追い詰められて精神的に不安定になり、このままだと馬を安楽死処分しかねないと、慌てて馬を引き取って移動させた、という話も聞きます。
私が知ってショックだった事例もあります。
乗馬をやめていた間に、かつて乗っていた馬たちが引退することになり、ある人が引き取って幸せに余生を送っている、と話を聞いてホッとしました。
私は、ずっと、その人の元でその馬たちが、幸せに過ごし、天寿を全うしたのだ、と思っていました。
でも、実際は違いました。
その人は、何年かは馬の世話をし続けましたが、やがて、色々立ち行かなくなり、精神的にも疲れ果ててしまい、手放して不幸にするくらいなら、と、全て馬を安楽死させてしまった、というのです。
その馬たちが引退する時に乗馬をやめていたし、やめていなかったとしても、引き取る覚悟はなく、いつものごとく見殺しにするだけだっただろう私です。なんとか生かそうと一大決心をして馬を引き取ったその人を責めることはできません。
しかし、どうして、幸せに生きてもらう努力を諦めてしまったのだろう、引き取り手を探すとか、誰かに援助を願うとか、最後までもがいてくれなかったのだろう? 覚悟を決めて引き取ったはずのに、どうして安易に死を選んでしまったのだろうと。
私にとっては、安らかな死だろうが、肉になろうが、お世話になった馬たちが殺されたことに変わりはありません。
救われたのだと信じていただけに、その馬たちの顔を思い出しては、沸々と怒りが湧いてきます。
安らかな死を望むのは、絶望です。
その考えは、間違っているよ、と誰もが思う世の中にしたい。
そのために、私にできること……。
その後、グリーンチャンネルで、この本の著者の牧場が養老牧場へと変わり、馬たちが健康そうでツヤツヤなのを映像で見ました。
青空の下、緑が眩しく、たんぽぽが咲いていて、馬たちがそれを食べていて……とても幸せそうに生きていました。
そして、もうかつての行為(元気な馬たちを安楽死させること)は、やっていないそうです。
ほっとしました。
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