熱意だけでは……
世の中には、馬に関わったことのない人でも馬を引き取り、その馬の天寿を全うさせたという美談がいくつかあります。
うわ、すごいなぁ、私もそうしたい……と思う人もいるでしょう。
でも、多くの人は、いろいろ自分の背負う責任や経済的なことを考えて、行動に移せないものです。多くの人が行動に移せないことを行動し、やり遂げたからこそ、美談なのです。
しかし、その美談の影には、誰も伝えようとしない失敗例の方が遥かに多いのです。
可哀想な子犬や子猫を拾ってきて、母親にダメ出しを喰らう子供たち。
このままじゃ死んじゃう、かわいそうだよ、絶対に最後まで面倒を見るから、と言って、母親を困らせます。
その気持ちは純粋で、優しさに満ち溢れていて、決して責められるものではありません。むしろ、見て見ぬふりをするよりはずっといい。
しかし、やっと許可を得て、家で飼うものの、子供は数ヶ月で飽きてしまい、結局、世話をするのは反対していた母親になってしまう。
事実、私は、このようにして、何匹もの子犬を拾ってきては、母親に押し付けてしまうような、確かに動物大好きな子供でした。
反省しています。
優しさや同情だけでは、最後まで命に責任を持つまでの、強い意志にはならないのです。
まさに、馬の世界でもそのようなことが多々あります。
買い取った馬を乗馬クラブや牧場に預け、数年後、もしくは数ヶ月後に、音信不通になってしまうオーナーさんが、残念ながら多いのです。
一時期の衝動で引き取って飽きてしまったのか、はたまた、資金繰りがつかなくなって逃げてしまったのか、人間関係のもつれなのか……。
いずれにしても、預けられた馬は行き場がなく、とはいえ、所有者の許可もなく出すことも難しく、結局、クラブや牧場の負担になってしまう。
なので、馬関係者は、できるだけそういう馬を引き受けることには、難色を示したりします。
トラブルになることも多々あります。
日々、馬の世話に明け暮れる人たちに対し、馬を愛する気持ちはないのか! と罵っては、馬を押し付けて消えてゆく。
乗馬を長くやっていると、そういう人たちをあまりにも多く見てしまうのです。
やり遂げて、美談として伝わるのは、ほんの一握りなのです。
雨の降る寒い中、入ったばかりの馬の馬房の前で、何時間も立って見ている人がいました。
この気温では寒そうな格好、聞けば、本州からこの馬に会いに来た、自分が買って引き取り、本州の方の乗馬クラブに預かってもらう約束になっているとのこと。
乗馬はやったことのない生粋の競馬ファンのようでした。
それからしばらくして、今度は、その馬を引き取るという乗馬クラブの人も、その馬にわざわざ会いに来ていました。
これだけ熱意のある人たちならば、この馬も幸せになるんだろう、なって欲しいと思っていました。
ところが。
なぜか、本州に行って数ヶ月後、その馬は再び戻ってきていました。
どうしてそうなったのかは、全く不明です。
ただわかっているのは、たったの数ヶ月で出戻った、ということだけです。
その馬は、歩様に少し問題があり、しばらくすると、クラブからもいなくなりました。オーナーが養老牧場に送ったのかも知れません。
でも、おそらく戻った時点で、オーナーに見捨てられたのだと思います。
オーナーのいる馬であれば、そのようにネームプレートに記載されますし、クラブ側の扱いも違いますから。
でも、この展開に驚きはしません。
ああ、またか……この人もダメだったんだな、と思うだけです。
純粋に馬を思う気持ちが顔に現れていて、キラキラしているのですが、この人こそはうまくやってくれよ、と希望を胸にお話を聞いたりもするのですが、聞けば聞くほど、失敗パターンだろうな……と思えてくるのです。
馬に注ぐ愛情は一緒でも、見ているだけの競馬ファンと実際馬を扱っている人には、微妙なズレがあり、話の節々にその差が垣間見えてくるのです。
残念ながら、その差を感じれば感じるほど、失敗に突き進む予感がしてしまいます。
これは人から聞いた話で正確ではないかも知れませんが……。
引退した種牡馬を引き取りたいという人々が、その馬を養老牧場に預けようとしました。
でも、その養老牧場が、馬を入れる条件として去勢をあげていたそうです。
牡馬のままですと、他の馬と分けて放牧しなければならず、しかも、扱いも難しいのです。
ところが、引き取りたいと言っていた人の大半は競馬ファン、その馬の種牡馬としての可能性を捨てきれない人もいて仲間割れになってしまい、全ては破談になってしまったそうです。
もしも、その人たちが去勢を受け入れていたら……きっとその馬は幸せに過ごせたのではないか、と思います。
本気で種牡馬として復活させたいのであれば、養老牧場ではなく、別の引き取り先を探すべきですし、おそらく、そこまでの熱意はなく、ただ可能性という無責任な夢だけは取っておきたかったのではないかと思います。
もしくは、人間の「扱いやすい」という都合だけで、去勢されるのはかわいそうだ、と思ったのかも知れません。
「去勢するなんて、虐待なんじゃないですか?」
馬と接していない人は、つい、そういう思考になりやすいのです。
確かに人の都合かも知れず、将来的には「去勢は虐待」という考え方が主流になる可能性は、ゼロではありません。ですが、馬を扱っている人たちからは、牡馬のまま年齢を重ねると、健康上問題が生じる場合も多い、という話も聞きます。
養老牧場でも、騸馬は他の馬と楽しく仲良く過ごしているのに対し、牡馬は1頭ポツンと放牧されていて、少し淋しそうです。
遠くから馬を眺めている人は、そういう知識を自分のものにしにくく、感情的な判断をしてしまうか、馬に詳しい人の話を鵜呑みにしてしまうか(当然騙されてしまう危険性もあります)になってしまい、やがてそれがはっきりとした亀裂になってしまうのです。
やり遂げるには思いの強さが必要ですが、思いの強さだけを
だから、馬を扱ったことのない人は、馬を引き取るなんてやめた方がいいよ、という話ではありません。
むしろ、恐れずどんどん引き取ってほしいと思っています。
というのも、やはり、もっとも馬にとって理想的なのは、一人のオーナーを持つことだと思うからです。
馬は人なり。出会った人との関係で、生きるも死ぬも、不幸も幸せも決まってくる、いい人との出会いがなければ、肉になって終わる一生です。
たとえ、どんな素人だとしても、やらないと始まらないことも、真実だからです。
失敗談にも、馬に対する思いや愛情が散りばめられています。
中には、成功した人よりももっと強い気持ちで、ことにあたっていただろう人も、たくさんいます。
多くの人は、美談だけ聞いて、私にもできるんじゃないだろうか? と思ってしまいます。失敗談は夢を潰されるようで聞きたくありません。
でも、本気でやり遂げたいのなら、失敗談も聞いた方がいい。
世の中、成功の可能性のない夢を可能性はゼロではないと思い続けて追いかけることが、まるで前向きであるかのように錯覚する人が多いです。
そういう人の大半は、夢を見続けることだけで終わります。
派手な夢を見るのは誰でもできるけれど、失敗しないための地道な努力は誰でもできるわけではないからです。
失敗から学ぶことは、たくさんあります。
もっとも、私もまだ成功例ではありません。
いつ、どこで、何が起きて、2頭を手放さなければならない状況に追い込まれないとも限らないからです。
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