残念な言い訳

 Fさんと二人、あーこの馬房を掃除していた時のこと。

 あーこが、あまりにもギーとかぎゃーとかうるさく威嚇してくるので、私は呆れて「そんな態度をとっていたら、誰にも好かれない、嫌われちゃうよ!」と言いました。

 すると、その横でFさんがそっと呟きました。

「大丈夫、嫌いになんてならないから」


 それを聞いて、私は自分の目標が達成できたのだ、と感無量になりました。

 私は、あーこを大切にしてくれるオーナーを見つけてあげることができたのだ、と。


 Fさんがあーこを持って最初の1ヶ月、あーこはFさんを観察していました。

 次の1ヶ月、Fさんを翻弄していて、彼女を大いに悩ませました。

 そして、次の1ヶ月……ついに、いい関係を構築することに成功したように思われました。

 途中、あーこは長期の故障休養を挟むこととなりました。

 その間も、Fさんは献身的に、あーこの面倒を見てくれました。その健気な頑張りに、故障した馬の世話をするのは辛い、嫌だ、という雰囲気はなく、むしろ、その間にますます絆が深まったかのように見えたのです。

 あと、問題があるとしたら、経済的なことでしょう。

 それと、あーこはA2までの馬だと思うので、それ以上を望む時、Fさんは厳しい選択を迫られるかも知れません。それでも、次の人を探すべく奔走してくれるだけの愛情を持ってくれている、だから、大丈夫、と思いました。


 あーこの故障も癒え、長く厳しい冬が終わり、いよいよ馬場も良くなって乗馬シーズンも到来、という時、Fさんはいきなりオーナーを辞めたいと言い出しました。

 いつでも離れていい約束でしたから、私に「ノー」は言えません。しかし、どうしても、その真意がわかり兼ねました。

 そして、理由を何度聞いても、やはり、わかりませんでした。


「私が乗ることで、また、あーこが故障してしまったらどうしよう? と思うと辛い。これからは、丈夫で故障の心配をしなくてもいいレッスン馬に乗って、思いっきり乗馬を楽しみたい」


 その「丈夫で故障の心配をしなくていいレッスン馬」は、約5年で消耗して消えていなくなる存在。

 誰もが馬の状態を気にせずに乗って、乗りつぶして終わる馬たちなのに。


 本当は、私に言えない別の理由があったのかも知れません。

 Fさんの本心ではない言葉なのかも知れませんが、私は、それをFさんが理由に挙げたことがショックでした。

 私は、彼女に乗る技術を教えることはできませんが、馬を大事にして乗ること、馬の気持ちを察する方法を教えてきたつもりでした。私自身が経験を積んで得てきた奥義を、彼女に伝えたつもりでした。

 しかし、それは彼女にとって、重荷にしかならなかったのです。

 結局、彼女は馬の悲鳴に耳を閉ざし、馬の状態を気にしないで乗馬を楽しむ道を選ぶと言ったのです。


 人間は、親や先生の教えを受けても、結局、自分で経験を積まないと、ああ、あの言葉は真実だった、と気が付けなかったりします。

 10年乗馬を続けて、Fさんの目の前から、自分を育ててくれた馬たちが、2頭、3頭と消えて行った時、私の言葉が重みを増すのか、それとも、その馬の屍を越えて、さらに邁進していくのか……それは、Fさんが選ぶことです。



 私はとことん落ち込みました。

 あーこのオーナー候補が消えてしまったからではありません。


 馬と人間がお互いに幸せに生きる道。

 そのためには、人間が無知で無垢なままではいられない、もっと馬のことをよく知る努力が必要なんだ、と思っていました。

 馬を扱う人、一人一人が、皆、馬のことをよく理解すれば、不幸な馬は減り、幸せな馬で溢れるのだと。


 ところが、乗馬クラブというところは、お客さんをある程度無知なままにしておきたい、実際にYouTubeで情報を発信していると、時々、余計なことを教えないでほしい、迷惑だ、というコメントをいただくことがありました。

 そういう重荷はクラブが背負うもので、お客さんはただ純粋に乗馬を楽しめればいい、余計な知識を吹き込んで苦しませないでほしい、という意見です。


 Fさんの決断は、まさにその意見の正当性を示すものでした。

 私の主張は、私の身勝手な思いで、余計なことで、誰も望んでいないのだよ、と突きつけられたように感じました。

 私は、長年、乗馬クラブは馬と仲良くする方法を教えようとしない、ただ乗り方と危険回避の方法しか教えない、とイライラしてきましたが、それは違いました。

 乗馬をしているお客さんの方が、馬の声を聞きたくない、気が重くなるような真実を知らないで楽しく過ごしたいのです。

 そのニーズに、乗馬クラブは応えている、ただそれだけなのです。


 私はすっかり孤独な気持ちになってしまいました。

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