私の夢は

 なんで乗馬を続けているんだろう? なんでだろう?

 別に、高い障害を飛びたいわけでも、馬場を極めたいわけでも、思いっきり草原を駆け抜けてみたいわけでもない、そんなの怖くて嫌なのに。


 長年、ずっと不思議に思っていましたが、あーこを選んだ時から、なんとなくうっすらと私のやりたいことが見えてきたように思います。

 シェルと頑張ってきたおかげで、私は馬場馬術の楽しみに目覚めました。

 どこまで行けるかはわかりませんが、シェルと一緒に馬場馬術の道を歩み続けようと、思っていました。

 おそらく、そのためには、選ぶべきはあーこではなく、もう1頭の方だったのです。でも、私は、あーこを選んだ時にホッとしたのです。


 やはり、私のスタートは変わっていない。

 私は、馬場馬術を極める、ということよりも、やっぱり、馬と仲良くなる方法を極めたい、と思っているんだ、と気がつきました。


 もしも、私に1億円あったとしたら?

 馬場馬術をやる人なら必ず夢見るようなこと、すごい馬場馬を手に入れて、一流のトレーナーを迎えて……は、きっとやらない、と思いました。

 自分の技量に自信のない私は、すごい馬を手に入れないと成績を残せないだろうし、すごい馬を手に入れてしまったら、その馬を活かしきれないプレッシャーに負けてしまう、それはちっとも楽しくないでしょう。

 身の丈に合わない背伸びした乗馬ライフになってしまうでしょう。

 それよりも、たくさんの引退競走馬を引き取って、その馬に生きる道を指し示し、いいオーナーさんを見つけてあげるよう、努力することに使う、そう思ったのです。


 私は、馬と仲良くなりたいと願い、シェルと出会って、ほぼ理想通りの乗馬ライフを手に入れました。

 でも、周りに誰も理解者がいなくて、ものすごく孤独でもあったのです。

 私と同じ魂の色を持つ人が、ゴロゴロいたとしたら? もっと乗馬は楽しかったんじゃないだろうか?

 私とシェルのような馬と人との関係が、ごく当たり前にありふれている世界だったら、もう少し居心地が良かったのでは?

 でも、皆、馬と仲良くなることよりも、どうやって馬を乗りこなすか、ということに興味が移ってしまい、もしくは、そうなるしかなかったのか、やめるしかなかったのか……誰もいなくなってしまいました。


 私の魂は、乗馬の世界では淘汰されて、消えゆくものなのだろうか?


 そんなはずはありません。

 多くの人が癒されたい今の世の中、私のような馬との関わりが、さほど悪いものでもない、むしろ、求められているのでは? という気がしてきました。



 結局、2ヶ月間、あーこを持ちました。

 私は、以前のクラブで、どうにか乗れるようになってきた新馬に乗せてもらい、その馬に経験を積ませる手助けをしてきました。

 その馬に乗って、お客さんが馬って可愛い! と癒やされるのを見て、随分と過去の自分が救われたような、嬉しい気分になったものです。

 その感覚を思い出しました。

 あーこの気持ちのいい駈歩のおかげで、ただ馬に乗れる喜び、みたいなものを感じました。

 あーこのおかげで、人間関係のモヤモヤから解放されて、スッキリしました。

 乗馬の原点に立ち帰れたような気分になりました。


 そして、あーこをクラブにお返しする時、以前のクラブで育てた新馬たちのように、レッスン馬として可愛がられ、重宝されて、人気者になるに違いない、とほくそ笑んだのでした。

 たった2ヶ月のお世話で偉そうなことを言いますが、あーこの評価は私への評価とも思っていました。先に書いたように、馬乗りの真価は、扱った馬で証明されるのですから。

 あーこに乗った人たちは、私のメッセージを受け取ってくれるかも知れない。

 そんな願いを込めました。


 まさか、その2年後に、ふたたび自分が引き取ることになろうとは!


 その内容は、すでに「Le Ciel Bleu〜わたしの青い空」のあーこの章で書いているので、ここでは省きます。

 そこでは書ききれなかったことを、こちらでは書きたいと思っています。



 私は、2017年10月から、あーこを自馬として迎えました。

 正確には、シェルがそうであるように、買い取ったわけではなく、毎月の預託料を支払って、自馬として扱わせていただく、というものです。

 もちろん、かわいそうなあーこを救いたいという気持ちはありました。

 でも、それよりも、私の中には怒りの方が大きかったのです。


 馬の状態に目を光らせ、大事に、慎重に扱っていれば、あーこはいいレッスン馬として、このクラブに貢献し、多くの人を幸せにできたはず。

 なのに、多頭飼育崩壊状態のクラブには、1頭1頭に目を配れるほどのゆとりはなく、朝から晩まで一生懸命働くスタッフは、徐々に「これでもいいか、死なないから」と、どんどん仕事が雑になって、それが平気になってしまう。

 その中で乗馬を覚えた人は、馬の必死の訴えに「わがまま」というレッテルを貼り、それを許さないことが、馬乗りとして大切なことだ、と思い込んでいる。

 そして、自分達の接し方が、馬を壊していくことにも気がつくこともなく「あいつは凶暴だから、ダメ馬だから」と笑い飛ばして乗馬を楽しんでいる、その無邪気で悪意のない残酷さが、どうしても許せない、と思ったのです。


 その人たちに文句を言っても、責めても、糾弾しても、何にもなりません。

 真実は、馬だけが証明してくれます。


 私にとってシェルは、誰がなんと思おうと、一緒にのほほん幸せに過ごせれば、それで十分の、私の大事な馬です。

 でも、あーこは違います。

 あーこは、素晴らしい乗馬として再生し、多くの人に「扱い方が変われば、馬はこんなにも変わるのか?」を見せつけ、アピールする馬にしなければなりません。

 私が、あーこを持った真の目的は、自分の魂の具現化です。

 そして、あーこを見た人が、誰から言われることもなく、自分で考えて今までの行動を見つめ直すきっかけになれば……例えば、腹帯を締める時に「わがままだから暴れる」で片付けない、たったそれだけの変化で、馬は今までよりもずっと幸せになることに、気がついてほしいと願ったのです。

 馬が好きで乗馬を始めたはずの女性に「こんな危険な馬、クラブにおいておくな!」と叫ばせないためにも……。


 あーこだけではなく、多くの馬たちが幸せになるために。


 でも、言葉で言うほど物事は簡単ではありませんでした。

 精神的にも多少病んでいたあーこは、もうすでに2年前の、素直で覚えの早い賢いあーこではありませんでした。

 神経質でカリカリしていて、近くを通る人たちには噛みつきにいくような馬になっていたのです。

 私は、散々挫折を味わいました。

 自分の実力不足に辟易し、全てを捨てて、シェルと楽しくやる日々に戻りたいな、とも思いました。

 でも、この戦いは、決して負けるわけにはいかない。

 勝ち抜いて、魂の証明をしなければならない。

 やり遂げなければ、私の乗馬ライフに最大の汚点を残して、ずっと後悔することになるのです。


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