あーことの出会い

最悪の関係

 私があーこと出会ったのは、クラブとの関係が在籍時代で最も悪い時でした。

 私が、クラブの馬を見たり触ったりするのを、クラブのインストラクターがとても嫌がっていた時期で、クラブの中でシェルと私だけが切り離されているかのような、周りから無視されたような気分になっていた時期でした。


 馬の後を追っちゃいけない、と言われて馬と触れ合って育ってきた人にとって、クラブの馬を見て周り、その過去を調べては、ああ、そうだったんだ、こうだったんだ、と楽しんでいた私は、まるで、クラブの馬をチェックして歩いている嫌な感じの人だったのでしょう。

 その頃には、嫌がられている空気を感じて、シェル以外の馬を見回って歩くことはしなくなりました。が、一時期の私は、クラブの馬のほとんどの顔と名前を一致させることができていました。それくらい、見回っていたのです。

 手が回らずに放置されている馬もいれば、おそらく一時的にここにきて、すぐに出ていくだろう馬、誰が見てもそれもうダメでしょ? と思えるほどの大怪我で引退した馬など、明らかに乗馬転用が目的ではなさそうな馬もいました。

 競馬の裏、闇の世界が垣間見えるような姿ですが、私はそんなことはどうでもようく、その馬たちがこの世に生まれて何を残して消えていくのか、に思いを馳せていました。


 馬の後を追ってはいけない……つまり、馬は転々と人の間を渡り歩きますが、一生を通じて物語を綴ってもらうことはない、相当な名馬でない限り、人知れず消えていくのです。大抵の馬は、行方知れずになる運命でした。探すことはタブー視されていました。

 手放してしまったら、引き取り先が何しようが口出しはしない、どこかで幸せに生きているのでは? というかすかな希望で罪悪感を消しながら、その実、肉にされていても、相手を責めない、それがルールだったのです。

 なので、馬の物語は常に途切れ途切れです。でも、馬は記憶力が人間以上とも言われ、過去に体験した嫌なことは決して消えません。だから、私は馬を観察して、その馬がどんな生き方をしてきたのか、想像するのが好きなのです。

 19世紀、イギリスで【黒馬物語】がベストセラーになり、以降、馬のウェルフェアに大きな影響を与えたそうです。

 全ての馬に、その馬それぞれの黒馬物語がある。

 たとえ、それが肉で終わる生涯であったとしても、意味ある命であるように記憶に留めておきたかったのです。


 私も長い間乗馬をやってきた身ですから、自分が可愛がっていた馬が出て行くのを何度も見送ってきました。

 泣いて嫌がる子供たちに、それも仕方がないんだよ、と諭す方でした。

 当時は今よりもずっと馬を救えない環境でしたし、むしろ、使えなくなった馬を誰かが重荷を背負って決断しなければならないのだな、と思っていたのです。

 馬を出す決断をする人は、誰も背負いたくない十字架を背負う、馬を養う能力も財力もない私たちの代わりに、業を背負う人たちなのだ、というのが、私の認識です。

 それは、今でも変わりません。

 全ての馬の命を全うさせるほどの土地もお金も馬を扱える人もいないうえに、馬肉には需要があります。ドッグフードやキャットフードを見れば、必ずと言っていいほど、馬肉の表示があるのです。

 おそらく馬に触れたことのない人たちよりも、多くの馬の悲鳴を聞きながら命の責任を背負うつもりはなかった、そんな私が、命の決断をする人たちを責められるはずがありません。

 命の責任を負うつもりがないということは、見て見ぬふりをして、もしくは、気がつかないふりをして、見捨てたと同じだからです。


 そう思う私は変わり者なのかも知れません。

 誤解をされていたのか、それとも、そもそも私の馬感覚が嫌われていたのか、まぁ、もしかしたら、私自身が嫌われていたのかも知れませんが、その頃はとにかくクラブの居心地が悪すぎて、シェルを連れて出ていきたいと、何度も思っていたのでした。


 シェルは故障がちの馬でした。

 何かあるたびに、私は知識や経験のある人のアドバイスが欲しいと思い、インストラクターに相談しますが、ことごとく「それは甘やかし、きちっとやらないから馬がサボっている」で一蹴されます。馬の状態を見てもくれません。

 私があまりにも馬の状態を気にするので、最初は熱心に付き合っていてくれても、そのうち、ああ、またか……面倒だな、になってしまったのかも知れません。大抵はなんでもないことが多いので、オオカミ少年のように思われていたのでしょう。

 ある時は、破行で一歩も歩けないと言っているのに、そんな馬鹿なことはない、あなたはそんな故障するほどの強い運動もさせていないだろう、どうしてそんなに馬のわがままを許しているんだ、と怒鳴られて終わりでした。

 その時は、爪楊枝くらいの木の枝が蹄に刺さっていて、それを見つけて抜いたら、二日目には普通に歩けるようになりました。

 以来、私はシェルに何があっても一切相談しなくなりました。

 レッスンも受けなくなりました。

 自分の馬は、自分でなんとかするしかない、やるっきゃないんだ、と。


 いつもそんな感じで、それが当たり前になってしまいました。

 数年後、クラブ側との関係が改善し、シェルに問題が生じた時に、インストラクターが気にして見にきてくれた時には、むしろ、びっくりして戸惑ったくらいです。

 魂の色が違う、馬への価値観が違う、と思いつつ、関係が改善されて、調教についての意見が聞きたい時は、たまにレッスンを受けるようにもなりました。

 なぜ、最悪の関係を脱したのか、さっぱりわかりません。

 私は全く変わってなくて、相変わらず自分を貫いて孤独でした。

 クラブ側が、私との付き合い方を学んだのか、それとも、少しは私のような感覚も認められるようになったのか……お客さんなんだからこれじゃあいけないな、と思ったのか。

 私からすると、私とは馬への魂の色が違うだけで、このクラブの人は善良な人たちでした。だから余計に関係が良くなかった時に傷ついたのです。

 いずれにしても、クラブの値上げの話が出るまでは、近年はクラブを出ていくことを考えなくなっていました。

 このクラブで、シェルと過ごしてシェルを引退させ、養老牧場に送って余生を過ごしてもらうんだ、と思っていたのです。


 でも、最悪な時にシェルを連れて出ていかなかった一番の理由は。

 あーこの存在でした。

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