最初に習うことが後々まで響く

 シェルは、ブルーリボンを2つ取ってくれて、もはや、クラブで私のことを「馬にわがままさせて喜んでいる人」と言う人はいなくなりました。ただ、もっと真剣にやらないのは勿体無い、とは言われていましたが。 

 私は、自分のやってきたことに自信を持ったし、どんなに偉そうなことを言ったとしても、扱っている馬がとんでもなければ何もならない、結局、馬乗りの真価は扱っている馬でしか証明できないのだ、と思うようになりました。


 しかしながら、馬に関していえば、私がこのクラブで居心地が良くなることはありませんでした。

 周りと魂の色が違いすぎる……つまり、馬に対する価値観や思想が違い過ぎていたのです。

 乗馬クラブは、そのクラブがどういう思想で馬を扱っているのか? を基準に選ぶべきと思います。が、なかなか、それが外からは見えないし、そうそう選べるクラブもないのですが。

 私が辛く思ったのは、無垢な状態で入ってきてここで乗馬を覚えた人は、だいたい、ここの魂の色に染まってしまうことです。

 馬を大事にする感覚に乏しく、ビシバシ酷使できれば一人前だ、っぽい思想になってしまう。

 それは、おそらくはわかっているけれど、馬の頭数が多過ぎて手が回らないから仕方がないや、で妥協しているクラブのスタッフたちよりも、無垢で無知な分、余計に痛いのです。

 中には、自分で勉強して、良し悪しを判断できる人もいるのですが……そういう人も、私と同じ歯痒さを感じてしまうことでしょう。


 確かに、馬という大きく力ある動物に接するには、気合は大事です。

 私は「馬は気合いだ! 気持ちで負けるな!」という指導についていけず、落ちこぼれてしまった人間です。

 が、そんな人間でも馬と仲良くなれる道はあるのです。

 それをなんとか、落ちこぼれそうな人たちにお伝えしたいと願うのですが、それは丸々クラブのやり方批判になってしまいます。

 自分とシェルさえ幸せならばいいじゃないか、人は人、もしも必要ならば、その人本人が悟るしかないんだから……と、時々頭をもたげるお節介心を打ち消しながら、日々を過ごしてきました。


 私は、時々、シェル以外の馬にもレッスンで乗ることがありましたが、それもプッツリやめてしまいました。

 自分の馬じゃないという気楽さがあって、それなりに楽しかったのですが、かわいそうすぎて乗れなくなってきたのです。

 元々、乗るのがそれほど好きでないのもありますが、シェルが破行しているからと、お借りした馬がもっと破行していた、という時もありました。この馬で駈歩するのか? と疑問に思ったこともありました。

 そういうことが続くと、もう自分の管理下にない馬には乗りたくない、と思うようになってしまいました。

 特に、あーこと出会う前に出会った牝馬が出されてしまった時には、自分の無力さを感じました。


 その馬は、クラブに来た時は、もう気狂いのような馬で、恐ろしくて近寄れないような馬でした。

 血統のいい馬で繁殖に上げたかったようですが、なんと、繁殖能力が低かったため、乗馬としてきたそうです。

 何もないのに汗だくになって大暴れするような馬で、競技会で火花が散るほど激しく前かきしていたので、疝痛ではないか? と周りに心配されていたほどでした。

 私のような乗り手には、縁のない馬に思われました。

 ところが、乗馬になって競技馬として活躍していたのは1年くらいで、今度はレッスン馬として使うようになったのです。

 大丈夫なのか? と思いましたが、以前が嘘のように大人しくなり、顔つきも代わり、なぜか、以前より2回りほど小さくなったような気がしました。

 シェルが故障中で、何回かレッスン馬をお借りしてレッスンを受けていたのですが、その馬がついに当たりました。

 私は、大人しくなったとはいえ、以前の気狂いぶりを見ていたので、随分とヒヤヒヤしたものですが、なんと、その馬は、私を見て喜んだのです。

 それは、あなたの妄想でしょ? と思われても仕方がない話なのですが、はっきりと、目と目が合った瞬間に「あなたがくるのを待っていた、あなたが私の最後のチャンスだから」と言われたような気がしたのです。


 その馬は、レッスン馬にするのに放牧すれば大人しくなる、ということで、昼夜放牧に回されていました。

 確かにその通り、放牧すれば馬はストレスがなくなって大人しくなるのですが、物事には加減というものがあります。

 雨に当たって全身皮膚病になり、そのストレスで激痩せしてしまい、2回りも小さくなってしまいました。

 イライラとした気迫も消え、レッスン馬として使えるようになりましたが、同時に気力も失ってしまったようです。

 破行はありませんでしたが、背中に痛みを抱えていました。そして、何よりも蹄の状態が非常に悪く、蹄鉄を通常よりもはるかに多い数の釘で止めていました。

 大人しくなって、使える馬になったな、よしよし、だったのかも知れませんが、私は、あの馬がこんなになってしまうのか? という衝撃の方が大きかったのです。


 私は、その馬の悲痛なヘルプを聞いてしまい、自分の馬以外には口を挟むべきではない、という自分の中の掟を破りました。

 正確にいうと、口は挟まなかったけれど、こっそり手を出しました。

 時々、出しては手入れをして、皮膚病が再発しないように、綺麗にしました。さらに、本当は絶対にしてはいけないことですけれど、シェルに与えていた蹄用サプリを与えました。

 でも、全ては遅過ぎました。

 ある日、その馬がレッスンで馬場に向かおうとしていた時、奇妙な音がしていたので、呼び止めました。

「蹄鉄が落ちかけているんじゃないですか?」

「え? あ? そう?」

 裏掘りすれば、蹄鉄が緩んでいることくらい気がつきそうなものなのに、乗り手はケロッとして、それでも馬場に行こうとしました。

 乗馬センター時代に、厳しく指導された身としては、こういうことに無頓着なのが許せません。

 インストラクターに事情を話して、蹄鉄を直してもらいましたが……レッスンから戻ってくると、やはり落鉄していました。

 もう、蹄鉄を打つだけの蹄がなかったのです。


 結局、私はその馬の最後のチャンスになり得なかったのでした。

 この出来事が、後に私があーこを持つことに繋がってゆくのです。

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