馬と向き合う孤独

「僕は馬に乗る技術よりも気合を教えたいんです」

 と、そのインストラクターは言いました。

 苦笑いです。

 その気合いが足りず、馬と仲良くなれなくて、逃げ出したのが私です。


 びびるな、気合いだ、馬に馬鹿にされないよう強く! そんなんだから馬鹿にされるんだぞ! と言われ続け、必死に食らいついてきたのに、結局、負け犬で終わった……それが過去の私です。

 この人は、やはりそんな過去の指導方法を受け、何度も逃げ出しそうになったのを乗り越えて、今に至る……つまり、私が出来なかった壁を乗り越えてきた人なのでしょう。

 死に物狂いで頑張った結果、今の自分があるのですから、当然、同じように頑張って乗り越えていきましょうよ、となるわけです。

 その状況から逃げ出して、別の道を歩み出した私は、馬を甘やかすだけの許し難い存在だったかも知れません。私のようなぬるい考えで馬を扱っていることが、耐えきれないようでした。

 馬と接するための気合を教えたい、それは私が身につけたものを全否定したいことに他なりません。


 指導の仕方は、過去のインストラクターとは比べものにならないくらい優しく、丁寧で熱心、むしろ、優しすぎて誉め殺しにあっているかのようです。

 しかも、馬術大会では、障害でも馬場馬術でも優秀な成績をおさめている立派なライダーでもあります。

 クラブにいる多くの人は、彼のレッスンを受けたがっています。

 しかし、私は、シェルを一人前にするためにはきちんとレッスンを受け、調教してもらわないければダメだ、と思いつつ、どうしても彼にシェルを委ねることができませんでした。

 今度こそ、今度こそ……と思いつつ、レッスンを重ねることができないのです。

 このままやり続けたらシェルが潰れる! という警告ランプが、私の胸に灯ってしまうのです。

 その度に、いや、それは私の甘やかしだぞ? 自分がついていけないから、馬にかこつけて逃げているんだぞ? と、自分を諌めてみるのですが、どうしても最後には、心の声に負けてしまうのです。

 馬を一人前に育てようとする気合いが足りない……と思われても仕方がありません。


 私は、何年間も、この迷いの中を行ったり来たりを繰り返し、結局、レッスンを受けないことにしました。

 自分の魂を信じて、彼の色に染まらないことにしたのです。


 誰が見ても、騎乗技術に乏しい中年おばさんが、レッスンやめて自分で馬を調教しまーす! なんて態度を取れば、周りはみんな変な顔するに決まっています。

 当然、インストラクターは「一生懸命ではない人、馬と戯れて満足な人、馬と真剣に向き合えないタイプ」というレッテルを私に貼りました。

 ことあるごとに、周りの人は「それじゃあダメだよ、ちゃんとプロに見てもらわないと」と言いました。

 その度に、私は笑って

「どうせ私は遊びの乗馬、別に大会でいい成績を取りたいとも思っていないし、のほほんのほほん、シェルと楽しく過ごせればいいんで」

 と、ごまかしてきました。

 そのうち、周りも

「あなたは馬をよくしようとは思っていないものね」

「馬と楽しく触れ合えれば満足な人だものね」

「老化防止の乗馬だもんね、気楽でいいね」

 などと、言い出すようになりました。

 私も、笑って「そうなんですよー」と合わせていました。


 でも、内心は、怒りで煮え繰り返りそうでした。

 誰が、それだけのために、毎日、自転車で40分もかけて通い、馬房を掃除して、馬の手入れをして、恐怖心と戦いながら馬に乗っているんだよ!

 本当は、インストラクターに下乗りしてもらい、指導してもらい、シェルをできる馬に調教してもらいたいに決まっているじゃないか!


 でも、それができないんだよ!

 自分でやるっきゃないんだよ!

 私の思想を否定する人に、どうして自分の馬を任せられる?

 そう言えないから、笑うしかないでしょ?


 おまえが消えて喜ぶものにおまえのオールを任せるな


 ウィル・スミスがアカデミー賞会場で平手打ちした事件で、多くの人が、彼だってあのジョークを笑っていたじゃないか? と言いました。

 もちろん、本当に面白くて笑っていたのかも知れません。

 でも、私はその後の彼のスピーチと自分の心情を重ね合わせて、いたく同情してしまいました。

 馬鹿にされている、舐められていると思っても、その場を崩さない最後の努力の方法が、笑顔だと知っているからです。

 笑って、私もあなたたちと同類なんですよ、仲間なんですよ、というふりをする。

 実は、先に語ったインストラクターに怒鳴られた話も、怒鳴り出す寸前まで、彼は笑顔で私たちの話を聞いていたのです。

 おそらく、そんな馬鹿な話、ないじゃないですか? と笑いながら話に参加しようとして、言葉にした途端、感情が爆発してしまったのでしょう。

 だから、多くの人たちが、一体何が起こったんだ? と凍りついてしまったのです。


 インストラクターに見てもらわない私は、自分の騎乗を改めるために、ビデオをよく撮影していたのですが、そこに人の声が入っていました。

「あの人は、馬にわがまま勝手させるのが楽しいんですって」

「え? そんなことでいいの? ありえないでしょ?」

 本当にありえない。

 そんな馬乗り、どこにいる? 

 侮蔑的な言葉です。

 でも、そこで笑い者になり、このクラブの雰囲気を壊さないことが、私の選んだ方法なのです。耐え忍ぶしかありません。

 気合第一が蔓延したこのクラブでは、気合を示せない人間は落ちこぼれです。

 私が、いくらそれは誤解です、そんなことを楽しんでいません、と叫んでも、仕方がないことです。


 私は、シェルと向き合い、濃密な時間を過ごしながらも、誰にも助けてもらえない、誰にも理解されていない孤独に向き合い、耐え忍んでいました。

 そして、私自身が正当に評価されるために必要なことは……自分で一生懸命弁明することじゃないことも知っていました。

 馬乗りの真価は、扱っている馬だけが証明してくれるのです。

 そう、シェルだけが私の真価を見せてくれる。

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