全ては馬が証明してくれる
確執
「もういい加減にしろ! そんな馬鹿な話があるわけない!」
冬のある日、クラブハウスに怒鳴り声が響きました。
暖を取るため、大勢の人がそこにいましたが、インストラクターのその声に、周りは一瞬凍りつきました。
私が、別の人とある馬について話していた時です。
人当たりが良く争いを嫌うタイプのインストラクターが、たまたま私の話を耳にして、もう耐えきれないとばかりに怒鳴ったのでした。
「はい……すみません」
と、その話を切り上げたのですが、周りの誰もが、なぜ、彼が激怒したのか、さっぱりわからなかったことでしょう。
多分、私以外は。
私の話の内容は、こうです。
ある人が、私が毎日クラブに顔を出すことを知っていて、ある馬の世話をお願いしていました。
放牧したり、回したりしてほしい、と言われていました。
その馬は、けいくんという皮膚病がひどく、その手当も頼まれていたのですが、一向に良くならず、悩んでいたのです。
雪の積もった放牧場に放し、連れ帰ってお手入れをする。
脚部の毛にいっぱい雪の塊がついていて、なかなか取ることができません。氷の塊になっていて、こびりついているのです。
それをブラシやタオルで取るのですが……ふと、私は気がつきました。
けいくんになっている部位とこの雪の塊がついてしまう部分が一致する。
実は、馬には「雨やけど」と言われる皮膚病があり、濡れた場所に細菌が繁殖してなるのだそうです。
雨も雪も同じようなもの、もしかしたら、皮膚病の原因はそれかも知れない……と思ったのです。
そこで、その話をクラブハウスでしていたのでした。
「雪にあたるから皮膚炎になるだって? それなら、馬は皮膚病だらけだろう? なんでそんな馬鹿な話をするんですか!」
「はい……すみません」
それで、この話は終わりました。
これだけ聞けば、なんで? と思うでしょう。
でも、実は、この話だけではなく、おそらく彼の中で積り積もった私への不快感が単に爆発しただけにすぎないのです。
積極的に引退競走馬を引き取るこのクラブは、ある意味、引退競走馬の最後の砦、馬が命を繋ぐためには、重要な役割を果たしています。
しかし、私から見ると、すでに多頭飼育崩壊状態に陥っていて、かなりの数の馬が、真冬も昼夜放牧で過ごしているのが現状です。
「それで大丈夫なんですか?」
と不安げに聞く人がいれば、
「ええ、馬は寒さには意外と強いんですよ。冬毛が生えて、ちゃんと対応できるんです。狭い馬房に入れておくより、よっぽどいいんですよ」
と、ニコニコ答える。
確かにその通りの場合もありますが、物事には限度があります。
その環境下で耐えられる馬と、耐えられない馬がいる。
そして、耐えられない馬の声が、つい聞こえてしまうのが私でした。
それがクラブの方針なのだから、私が口出すことではない。
そう思い、何も言わずに耐えてきましたが、私は顔にすっかり出てしまう方なので、クラブ側からすると、嫌な客だったのです。
そのクラブのやり方に批判的だろう嫌な客が、
「雪があたれば皮膚病になるようだ」
などと、他の人に吹聴しているのを聞いて、ついに耐えきれなくなり、怒鳴った……というのが、多分、本当のところなのでしょう。
雪にあたれば皮膚病になる=昼夜放牧しているのは馬虐待だろう、と受け取られてしまった、もちろん、私にはクラブのやり方を批判する意図はありませんでしたが、クラブ側からしたら、ついに言い出したか、この野郎! だったのです。
馬の扱いに関して、価値観の違いから、私とクラブ側は全く考え方が異なりました。おそらく、馬について真剣に語り合ったら大喧嘩しかないので、お互い、いい距離をとり、触れずに、温和になんとかやってきた、という状態です。
そして、限界に達すると、このようなことが多々起きてしまう。
この事件から半年ほど経ったある初夏の日、このインストラクターと私は、クラブハウスで二人っきりで談笑していました。
「そういえば、先日、生産牧場の人に面白い話を聞いたんですよ」
全然、今までの話の流れとは違う方向に彼はいきなり切り出しました。
「仔馬を市場に出す数ヶ月前から、放牧には出さないらしいんですよ。雨に当たって皮膚病になってしまったら、見栄えが落ちますからね」
「へぇ、そうなんですか?」
と、聞いていたものの、この人、なんでいきなりそんな話を? と不思議でした。
夜になって、眠る時になり、ふと、冬のあの日を思い出しました。
「そんな馬鹿な話があるわけない!」
と、人前で私を怒鳴ったこと。
私には、雪が皮膚病の原因になっているのでは? と想定する観察力と馬に関する知識があった……のに、それを全く認めず、人前でなじったこと。
今日の話は、その時を詫びたい気持ちの表れだったのだろうと思い、少し仲直りができた気持ちと、おそらく今後もお互いにわかり合えないのだろうという複雑な気持ちがしたのでした。
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