23.三大問題児

 裏森で突如高位の妖が発生し、東間あずま研修学校の生徒3人が閉じ込められた事件。これにより、学校は1週間休校となった。その間に森は立ち入り禁止となり、調査が進められた。学校敷地内も改めて安全確認が行われたらしく、戦闘局の者が出入りしていたという。


 ほとんどの生徒にとっては突然の中期休暇で喜ばしいくらいだったのだが、あおはそうもいかなかった。体力も呪力もすっかり消耗した為に、休暇中高熱に苦しむハメになったのだ。生まれて初めての呪力空っぽ状態は、想像以上に蒼の体に負担だったらしい。


丸3日は高熱が出て、その後2日は熱こそ引いたものの体がだるくてあまり動けず。残りの2日は蒼としては体を慣らす意味でもちょっと外出したかったのだが、見事に最中さなかに阻止された。そして中期休暇の終わった朝、本当に大丈夫なのかと何度も念押しされ、本当に大丈夫だと説得して久々に学校に来れたのだった。


 そうして学校に来た蒼が最初にしたことといえば、


「そもそも、あの森は17時以降許可された生徒以外は立ち入り禁止なんですよっ‼ 自業自得もいいところです!」


 朝イチで職員室に呼び出され、この通り木賀きがの説教を大人しく聞くことであった。


 そのヒステリックさに一鞘ひさやはうんざり顔で姫織いおりは虚無の表情、蒼もズーンとうなだれるほかない。一応まだ病み上がりだというのに朝休みもなくコレはキツイ。


「けどあの時はまだ16時58分だったんで」


 一鞘がしれっと言い返している。


(結構ギリギリ‼)


 腕時計をしていない蒼は初耳の情報である。


「夕方から夜にかけては妖が活発になることぐらい知っているでしょう! そんなのは言い訳にもなりません‼」


 朝からこのテンションの怒鳴り声を浴びせられては、こちらもたまったものではない。早く終わってくれないかなーと蒼は虚空を見つめた。いい加減怒鳴られ慣れてきて、蒼もそのくらいの技能は身に付いてきていた。……というか、


「……ねぇ、何で茶音さおと先生ならともかく、木賀先生がお説教してるの?」


 木賀は説教をまくし立てることに集中し始めると、ヒソヒソ声くらいなら感知できなくなる。うつむくようにして、小声でずっと疑問に思っていたことを一鞘に尋ねると、


「何言ってんだよお前……。木賀は教頭だろ」


「えっ、木賀先生って教頭なのぉ⁉」


 思わず大声が迸り、蒼はしまったと口をおさえた。しん……とあたりは静まり返っている。あの木賀の説教すらも止んでいた。永遠にも思える沈黙の末、後ろの方で誰かが噴き出す声が聞こえた。……多分だが教師である。


「……何ですかその態度はぁッ⁉」


「ひぃっ、すみません!」


 時すでに遅しとはまさにこのことで、その後蒼は木賀の集中砲火を浴びることとなった。


 一鞘と姫織がくっくっと笑いを噛み殺していて、ますます肩身が狭かった。






 ――そうして長々とした説教が終わる頃には講義の1時間目も終わる頃で、その後講義に戻れたかというとそんなこともなく。


 蒼と姫織は、それぞれ呼び出されて裏森の変化へんげ後のことについて根掘り葉掘り教師に尋ねられた。しかしどちらかというと状況確認ばかりで、ほとんどがはいかいいえで答えればいいだけのものだった。たまにちょっと自分の方から付け足すぐらいか。


 時間こそかかったものの、楽に終えられた方だろう。一から説明となると、そうしたことが苦手で知識もあまりない蒼ならもっと時間がかかったことだろう。


 何故そうせずに済んだのかといえば、蒼と姫織が高熱でうなされたり倦怠感に悩まされていた1週間の間に、熱も出ず比較的ピンピンしていた一鞘が学校に呼び出されて事情聴取されたからであった。その時に状況説明を事細かくすべて教師に伝えてくれていたらしい。後で状況説明は全部おれがやったんだぞと一鞘に言われ、蒼と姫織は揃って彼にも頭を下げることとなった。


 何故あの森で妖が変化へんげし、結界外にいる蒼達に危害を加えたのかについては、担任の茶音から説明があった。何でも、今回騒ぎを起こした妖は、元は種子であったらしい。


 ここ何年もの妖退治の実戦訓練の記録をさらってみたのだが、しめ縄の結界内にそうした妖を放した形跡はなかった。しかし、種子であるならば結界内に持ち込む方法はいくらでもある。訓練用の妖が飲み込んで消化されずに腹の中に留まっていたとか、結界内に入った人間の服にたまたまくっついていたとか。


 一鞘の予想していた通りその妖は植物体で、しかも種子であれば妖だとは気付かれにくい。そのまま森の中に落ちて根付き、あの日まで誰にも気付かれずに、あくまで植物として成長し力を溜めていた……。


 更に学校側の調査の結果、完全に腐って死んだ植物体の妖が森の中で発見され、その妖が融合型であることが判明した。


 融合型は、文字通り別の生き物と混ざり合い自分の体の一部とすることができる妖だ。しかしあくまで“一部”としかできず、本体がその妖であることには変わりない。蒼が木の1本1本から邪気がしみ出していると感じたのも、融合型であれば合点がいくことなのであった。






 そんな日の、放課後のこと。


「……」


 一鞘は1人、バラバラと生徒達が行き来する廊下を歩いていた。日が延びた今は、この時間帯でもまだ夕日というほど空は赤く染まっていない。しかし日の光は、昼間のものとは違う蜜色に変化しようとしていた。


 ――そうして辿り着いた先は、教師陣それぞれの個室が並ぶ教師棟。ここまで来ると、生徒の姿はほとんど見当たらない。2人ほどとすれ違ったが、問題児として有名な一鞘だ、教師から呼び出しを喰らったのだろうとしか思われない。


 校舎に職員室はあるが、教師達はそれとは別に1人1人に個室があてがわれている。その部屋の内装はどれも驚くほど個性的だ。


 目的のドアの前まで来ると、一鞘は密かに深呼吸をした。……何かに緊張しているような、でもそのことを誰にも気付かれたくないような。そんな様子は生徒や教師だけでなく、姫織でさえも見ない、実に珍しい様子だった。


 息を整えた一鞘は、ドアをノックした。


風端かざはた一鞘です。……いらっしゃいますか」


「おう、入れ」


 どこか緊張した様子の一鞘に対し、ドアの向こうの声は何とも軽快なものだった。


 入室の許可を得た一鞘は、ドアを開ける。


「――来たか」


 そこにはその部屋の主――呪学の教師、国母こくぼ大河がいた。


 部屋の内装は、山小屋の中を彷彿とさせた。木造りの床に壁、天井。置かれている家具も全部木製だ。吹き抜けの2階建て構造になっており、一鞘と国母がいる1階は仕事用、2階は私的な空間としているようだ。1階部分には窓際に1人用の机と椅子があるが、中央に10人ほどで囲めそうなほど大きな丸テーブルがあり、そちらにありとあらゆる資料やら筆記具やらが置かれている。講義関連のものだろう本が、テーブルの脇の本棚にぎっしりと並んでいた。教室のよりは小さめだが、黒板もある。2階部分はここからでは見えないが、そちらに冷蔵庫やらコーヒーメーカーやらソファやらを置いていることを、一鞘は知っていた。


「今回はかなり疲れただろ」


「……もう充分休めたので」


 コーヒーの入ったマグカップ片手に笑いかける国母に対して、一鞘は随分と礼儀正しい。この態度をクラスの人間が見たら、誰もがギョッとしたことだろう。一鞘はいつも、どの教師相手であっても一応敬語を使う程度の口の利き方をしているのだから。何ならたまにタメ口も出る。


 しかし本来、国母相手には折り目正しくあるべきなのだ。……ここにいる国母大河は、【五天】の一、【たつ】の――武家たつけの人間なのだから。


 この東間研修学校は、設立して120年弱が経っている。蒼に説明した時は突っ込まれなかったが、つまりこの研修学校に通った【五天】は一鞘達の代とその前の代だけになってしまう。しかしこの地は、研修学校の形を取る以前も術の鍛錬を行う学府としての歴史を何百年も積み重ねてきていた。


 その学府であった頃から、【五天】はこの地で学ぶのがしきたりであり――そんな彼らを守り、監視する一族の者もまたこの地に集まっていた。


 国母大河は、その1人であった。


「お前もコーヒー飲むか」


「いえ、すぐに出るので」


「そうもいかない。ここに来た生徒にはコーヒーを振る舞うのが習わしだからな、俺の」


 片目をつぶってみせた国母が、手をふる一鞘を制し2階部分へと行ってしまう。一鞘は仕方なく、丸テーブルの近くに置かれた切り株をデザインした椅子に腰掛けた。国母は山登りに行ったり、大自然の中を彷徨うのが好きで、個室はそれをイメージしたもので埋め尽くされている。


 やがて、コーヒーの深い香りが漂ってきた。


「民間協力者に静井蒼を選んだのか」


 この個室の2階部分は、低めに造られている。だからコーヒーメーカーに向き合う国母の声が、1階部分にいる一鞘の耳にもきちんと届いた。


(……やっぱりその話か)


 いつか突っ込まれるとは思っていた。ある日を境に一鞘も姫織も蒼個人にかかわり過ぎている。


「学友からの民間協力者は望ましいが、まだ入学して1ヶ月ちょい。認定するには大分早過ぎないか?」


 木造りの階段を下りながら、国母が軽い調子で尋ねる。その手には、2つのマグカップ。どうやら自分の分も淹れ直したらしい。


 民間協力者。――それは、統帥五家の血筋以外での協力者だ。


 この研修学校、そしてその前身である学府に通うことが決まっている【五天】は、そこで出会う学友の中で民間協力者を見出すことが珍しくない。むしろそういった人間を認定しない例の方が極端に少ないくらいだ。


 学校、学府というものは、特殊な空間だ。独自のルールが生まれる一方で、絆も強固になりやすい。多感な10代の頃より共に過ごしてきた者であれば、信頼関係も出来上がっている。ほとんど繋がりのないよそから認定するより遥かにその後の連携も取りやすい。


 また、統帥五家そのものが特殊な世界であるが、それ以上に【五天】は――龍能を授かり、自分の一族の頂点に立つことが定められた者達は――自分が異端であるという自覚が幼い頃より強く芽生える。同じ血筋の一族の中にいてもなお。


 だからこそ、【五天】はそういった血筋でない者に、強く焦がれるという。“普通”というものに対する憧憬が強く、そうした俗世とのつながりを強く望む。学友から選定する民間協力者は、龍能者にとってこの世のよすがと言えるほど、大事なものなのだ。


 大抵は付き合いを、信頼関係を深めてから決めるので、学校、もしくは学府卒業間際に任命する。選んでいい民間協力者は基本的に1人。しかし一鞘は、その1枚きりのカードを早くも静井蒼に切ってしまったのだ。


「まぁ、1年目で民間協力者を選んだ奴もいなくはなかったらしいが」


 丸テーブルに腰を預け、国母がコーヒーを一口飲む。


「お前も勘が働いたってやつか?」


「……」


 第六感とでも呼ぶのだろうか。龍能者は確かに、そうした直感がよく働く。……まるで人とは違う角度から、物事を見ているように。


(……どうせもうバレてる)


 まだしばらく隠していたい気持ちもあったが、遅かれ早かれ本家に報告されることであった。一鞘はコーヒーの苦さに眉をしかめたのち、口を開いた。


「おれの場合は、もっと確定要素がいろいろとありました」


「ほう?」


「静井は龍能を感知できます」


「……マジか」


 露骨には驚かなかったものの、国母が引きつった笑みを見せる。


 そうした民間協力者は、過去の例にもあった。どういうワケか、どれだけ身辺調査をしても【五天】とのつながりがないのに、龍能を感じ取れるという者が。


「マジでいたんだな、そんな奴……あーぁー、だから四礎しそや結界にばっかこだわってないで個別能力の研究をもっと進めろっつってんだよ。これだから綾家りょうけの連中は」


 妖への恨みつらみに囚われていて嫌だねぇ、と国母が首をふる。国母はすっかり、一鞘の知る砕けた……というか砕け過ぎた態度に戻っていた。


「やっぱりアレは、個別能力なんですか」


「恐らくな。五家の血筋で生まれるんなら極めて確率の低い遺伝ってことで片付くが、記録によると今までの奴みーんな五家と関係ないんだしなー……」


「……今まで見つかった龍能を感知できる者は、全部で何人なんですか」


「記録全部漁ったワケじゃないから正確な数は分からんが、静井を入れても10人はいなかったハズだな」


「……【かなで】の資料があれば」


「その話はすんな」


 国母が気だるげに釘を刺す。そうしてまたカップに口をつけてから、顔をしかめてこちらを見た。


「お前まさか、奏家そうけのことまで教えてはいねぇだろうな?」


「さすがにそれは黙ってますよ」


「だよなぁ……お前と姫織のことだから、そこまでやっちゃいねぇと信じてたが」


 一鞘と姫織には、敢えて蒼に教えていない史実があった。


【五天】とは、【武】、【あや】、【律】、【舞】、【奏】の5人から成り立っている。更に広く言うと、武家、綾家、律家りつか舞家まいか、奏家の五家から。


 ――しかし約800年前、五家の中心とされていた奏家が突如として消えた。1人残らず。


 以来、【奏】のみ不在の状態で、【五天】は何とか【五天】としてのていを保ってきた。


 しかし五家のまとめ役であった奏家の穴はあまりにも大きく、この長い歴史の中で残りの四家はばらばらになってしまった。【五天】としての任のみで対面するだけ。後は水面下で一族同士の不毛な争いだ。どの家が最も龍神に忠義を尽くしているのかと。


 奏家蒸発は龍神の怒りに触れた為ではないかとする説もあったが、龍神はまるでそういった様子を見せない。それに、龍神は【五天】の中でもとりわけ【奏】を寵愛していたという。であれば、その可能性は薄い。つまり奏家は、奏家の意志で姿を消したのだ。


 このことは、残された四家以外には完全に秘されていた。いくら民間協力者に指定したとはいえ、あっさりと教えていいことではない。それに、奏家空白の時間があまりにも長い為に今となってはどういった家だったのかも謎に包まれていた。そういった資料もあったのかもしれないが、奏家はそうした資料も破棄して消えていったらしい。


「しっかし、なるほど龍能感知者な。そりゃ、他の家の奴に取られる前にキープしときたいとこだ」


 それだけで、民間協力者とするには充分な資質だ。加えて、他の家の者もそうした能力者は押さえておきたいところである。歴代の龍能者も、龍能感知者と分かるやそれだけで民間協力者とした例もあったほどだ。


「……で、それをいぶり出す為にありがたーい龍能を行使したと」


「……。まぁ」


 一鞘はさすがに気まずさを覚えて、視線を逸らした。他に目的があって――むしろそちらの方が本命であったが――使ったとは言えない。


「ま、お前はよーく頑張ってコントロールを身に付けてきたから別にいいけどさ」


 それで見事に鯛を釣れたワケだし、と国母が髪をかいた。


「……んで、他の確定要素は? お前のことだ、それだけで心酔したワケじゃあねぇだろ」


「おれも姫織も、妖を惹きつけやすい。だから結界内であっても、襲われる可能性はゼロじゃない。そうしたものに巻き込まれても大丈夫そうなやつを選んだつもりです」


「あー……そういや1年の割にすばしっこいってウワサだったか」


「特に反射速度が優れています。それに人前で体術を見せるよりも本番で力を発揮するタイプです」


「命がけになると体が動くタイプか。いいねぇ、頭イカレてて」


 普通は恐怖で動かなくなるもんだよ、と国母が笑う。皮肉のようにも取れるが、武家の人間としては褒め言葉である。


「それと龍能もそうですが、邪気や殺気といったものにもかなり敏感です。裏森で閉じ込められた時も役に立ちました」


「あぁ、それなら事情聴取で聞いた」


 一鞘の――そしてその後の蒼と姫織の事情聴取を行ったのは誰であろう、この国母であった。武家の根回しの成果である。お陰で、秘すべきことは捏造して学校側に報告を上げられたという。


「後は……」


 と続けかけた一鞘は、そこで口を噤んだ。しかし、それを聞き逃す国母ではない。


「どうした」


「……。ヘタレと見せかけて、冴嶋さえじまにゴネるあたり逆に度胸あるなって」


「ぶはッ‼」


 国母が盛大に噴き出した。


「おまっ、コーヒー飲んでたら絶対吐き出してたわ……‼ そうだった、それ職員室でも既に伝説になってるぞ!」


(……だよなぁ)


 一鞘と姫織と一緒に道場を掃除しろと言われたのに、あの冴嶋に「いえ私には別ので良くないですか……⁉」と食い下がっている様はクラスでも語り草となっている。職員室でも、絶対そうなっていると思っていた。


「なるほどな。確かにそれは肝据わってるわ」


 くっくと笑いを噛みしめている国母を後目しりめに、一鞘は黙々とコーヒーを飲んだ。何だかんだで飲み切らないとこのお兄さんはうるさいのである。


「そんな感じなんで、静井が協力者でも問題ないですよね」


 コトリと、空になったマグカップを丸テーブルの上に置いた。国母が笑いをおさめ、立ち上がった一鞘へと目を向けた。


「……まぁいいんじゃないか。本家のお偉方はうるさいかもしれんが、そんだけいろいろな方面に素質があれば大丈夫だろ」


 俺の方で身辺調査も軽くやってみたが不審な点は見当たらなかったしな、と国母がしれっと言う。もうそんなことまで、とは一鞘も思わなかった。そこまでできるからこそ監視に選ばれているのだ。


「本家の方にも報告させてもらう」


「……はい」


 一鞘はうなずき、ドアへと向かう。


「――なぁ一鞘」


 ……呼び止められると思っていた。絶対に。


 国母は、一鞘にとっては師匠の1人だった。兄のような存在でもあった。一鞘への教育を担当する者の中では比較的若く、気さくで、教え方も分かりやすかった。少し意地悪なところもあったが、それすらも憎めない愛嬌があった。本家の者と祖父は特に厳しく、一鞘が子どもらしくいることを許さなかったが、国母はこっそりと外に連れ出してくれたり、一緒に遊んでくれたりした。弟のようにかわいがってくれていたと思う。


 しかし国母が監視としてここにいる以上、ただの師弟、ただの親戚同士ではいられないのだ。


「お前、妙なこと考えちゃいないだろうな」


「……」


 だから一鞘は足を止めて、ゆっくりとふり向いた。


「【武】にできる範囲で、自由でいたいだけです」


 失礼しました、と頭を下げ、今度こそ部屋を出た。それであの問題児ぶりかと、国母がからかうようにつぶやいたのが聞こえた。






 一鞘はそうして、また廊下を歩く。国母の個室から、自分の足で、確実に遠ざかる。


 大して長く話していたワケではないが、廊下に差し込む夕方の光に、ほんのりと懐かしさすら覚えた。


 研修学校の寮に暮らしている一鞘であるが、向かう先は寮とは真逆、自分のクラスの教室であった。


 ――お前、妙なこと考えちゃいないだろうな。


 あれは国母から釘を刺されたのだ。


(……妙なこと、な)


 考えていた。少なくとも武家にとっては――四家にとっては、妙なことを。


 奏家は自分達の意志で消えた。それは、今や四家の誰もが思っていて口に出さないことである。親が口にせずとも、史実を聞けば子どもでも想像がつく。


 一鞘はそこからさらに、別の可能性を考えていた。――奏家は今も四家の近くにいるのではないか、と。


 いくら奏家が五家の中心的存在であったとはいえ、四家それぞれも矜持と歴史、そしてそれに見合うだけの実力がある。その四家が総出になっても、奏家に関する手掛かりは何ひとつ見つけられなかった。


 外部に協力者がいるのだろう。だがそれだけでなく、敢えて四家の近くで奏家自ら動向を監視している可能性が高い。


 だとするならば、【奏】もこの学校の生徒の中にいるのかもしれない。さすがにこちらは希望的観測でしかなかったが、そこに飛び込んできたのが静井蒼だ。


 ――龍能は本来、龍能者でなければ感知不能である。蒼はそれを、やってのけた。


 しかし、一鞘が「【五天】か」と尋ねても本気でワケが分からないという顔をするばかりだし、その後問い詰めても自分は【五天】ではない一般人だと言い張るしで。一鞘と姫織は、混乱を深めた。一鞘と姫織をよく分からない理論で兄妹だと見破ったのも同様だ。


 一鞘はてっきり、蒼は【文】、【律】、【舞】の誰かなんだと思っていた。しかし【五天】は正式な招集がかからない限り、顔を合わせることはない。クラスメイトかもしれなくても、お互いに身分を隠しているから知りようがないのだ。独断で会う形になってしまったから、しらばっくれているんじゃないかと思っていた。


 しかしそもそも、「お前【五天】か」と真正直に尋ねてしまった一鞘が悪手であれば、蒼の方も悪手だったと言える。龍能を感知して、講義もそっちのけでわざわざ探しに来るなんて私を見つけてくださいと言っているようなものだ。


 まさか【奏】なんじゃないかという期待が芽生えたのも一瞬だけのこと。龍能にアテられて簡単に崩れ落ちてしまうし、記録にある五家と無関係の龍能感知者の条件に見事に当てはまっている。


(……おれは、【奏】を見つけたい)


 ある時を境に、ずっと思っていたことだった。奏家がいずとも四家が力を合わせられればいいのだろうが、奏家の抜けた穴は他のどの家にも埋めようがなく、【五天】としての務めそのものにも大きな影響を及ぼしている。


 本来なら大人に話すべきことなのだろうが、それはできなかった。他の三家との争いに固執し視野の狭くなっている幹部である。しかも一鞘の持つ危機感は、それこそ龍能を宿しているからこそ感じ取れることだった。子どもの戯言だと笑い飛ばされるのがオチだ。


(だから早く、大人のいないところで、【五天】が集まらなくてはならない)


 手始めに四家を集めたかった。その為に、敢えて龍能を使った。誰かは来てくれるのではないかと。


 しかし他の3人はまるで知らんふりだった。代わりに来たのは、龍能感知者である蒼で、


(……全員引きずり出してやる)


 直面している問題に見て見ぬフリをして、日和見している3人を。それこそ、今も近くで油断なくこちらを窺い、身を隠しているであろう【奏】も。


(龍神のめいを待って、一族の言いなりになっているだけじゃダメだ)


 だから蒼の、【五天】を見抜く力があることを国母には伏せた。本家に知られれば、反対されるに決まっている。蒼は武家の根回しで、一鞘の手の届かないところへとあっという間に消えてしまう。


 教室に辿り着いた一鞘は、ガラリとドアを開けた。そこには誰もいない。


 学校の寮生である一鞘は個室をあてがわれているが、そちらだと武家の者が秘密裡に声をかけてくる可能性が高い。だから、夕食の時間まではいつ誰が来るとも知れない教室で勉強するようにしていた。


 自分の席へと歩く中、自然と自分の席の右隣の席が目に映る。


 ――やめませんッ‼


 ふいに、蒼の声が脳裏によみがえった。


 戦闘科をやめちまえ、と冴嶋に真正面から怒鳴りつけられた時のことだった。蒼がそう言い返したのを、一鞘は昨日のことのように覚えていた。その声が、とても澄んで響き渡ったことを。


 きっと泣くだろうなと思っていた。そうなっても、仕方ないとも思っていた。


 しかし蒼は泣かなかった。言い返していたのは思わずだったのだろう。クラスメイト全員が、そして冴嶋でさえも驚き、蒼自身までもそんな自分に驚いていた。


 どうやら見た目以上にタフであるらしい、と思った。もしかしたらこいつなら、とその時うっすらと予感していた。


 その後蒼の印象は、度々覆されることになるのだが。


(……変な奴仲間に引き入れちまったな)


 しかしそれは、一鞘にとっても姫織にとっても、まったく不愉快なことじゃなかった。自分でも知らない内に笑みを浮かべていた一鞘は、教書の内容に集中し始めるのだった。






「ひぇ~、疲れた~……」


 木賀に一鞘と姫織とこってり絞られた、その日の放課後。蒼はもう誰もいない廊下をよろよろと1人歩いていた。


 休んでいた分の追試(といっても小テストだが)を受け、しかもその点数があまりにも悪かったので補習をマンツーマンで受けさせられていたのだ。ちなみに教科は歴史学。


 そして嫌なことは重なるもので、やっと補修が終わって昇降口まで来たところで、水筒を教室に忘れたことに気付いたのである。暑くなってきたこの季節に口をつけた水筒を一晩置いておくのは危険過ぎた。仕方なく、教室に戻るハメとなった。


 ようやく教室に着いてガラッと扉を開けると、


「あれ、一鞘?」


 そこにいたのは、一鞘であった。呼ばれた本人は不意を突かれたような顔をして、手元にあった教書らしき本を机の中に隠してしまう。


「どうした?」


「えっと、水筒忘れちゃって……一鞘は?」


「……別に」


 一鞘はきまり悪そうな顔で目を逸らした。


 もしかして、教室に残って自習していたのだろうか。努力しているところを見られるのが嫌なタイプで、ごまかしてるとか?


(一鞘だったら、ありそう)


「そっか」とだけ言って、蒼は自分の席へと向かった。自然、一鞘に近付くことになる。よっぽど近付かなければ、瞳に浮かぶあの青い光は見えない。それでも、一鞘といる時、姫織といる時、その青い光を無意識に探してしまう。


 2人の目にひそむ、青い澄んだ光。


 ――懐かしい、と心のどこかが訴えていた。


 だから魅入られた。苦手なハズの2人の目を、我を忘れるほど見つめて。だがその時は何故懐かしいと思うのか分からなかった。


 一鞘が起こした、龍能。


 ――それが、遠い昔に助けてくれた『彼』の気配にとてもよく似ていた。思い出した。


 だから走り出していた。講義中に席を立つなんて、普段の蒼なら注目を集めるのが恥ずかしくてできない。しかもあの冴嶋の講義で。


 けれど、正体を確かめずにはいられなかったのだ。もしかしたら、あの人かもしれない。澄んだ清浄な空気。他を圧倒する清らかさ。


 しかし正体は一鞘で、一鞘があの人でないことは明らかだった。容姿が違うことは問題ではない。蒼にとっては関係ない。だって人ならざるモノには変化(へんげ)できる種がいくらでもいるし、どうであれ蒼には見抜けるのだから。


あの人は間違いなく人間ではなかった。しかし一鞘は、龍能を使えることを除けば本当にただの人だった。


(一鞘と姫織と一緒にいれば、あの人のこともいつか分かるかもしれない)


そう思ったのは、間違いなかった。だから、頑張ることに決めたのだ。そういう下心があったから。


(――でも……、)


 蒼はそっと、隣の席を窺った。右の空席を見て、それから、左の席を。そこに座る、少年を。


(……いっぱい、助けられた)


 正直に言えば、姫織よりも、一鞘の方が苦手であった。いつも不機嫌そうだし、すぐ怒鳴ってくるし、ズケズケ言ってくるし。……脅してくるし。


 それは姫織も同じだったのだろうけれど、女子で、好きなものがハッキリしていて、苦手なことも分かりやすい姫織の方が、まだ親しみが持てたのだ。


 対する一鞘はどこまでも完璧で、蒼は――嫉妬していたのだ。今、やっとそれを認められた。


 父のような立派な戦闘員になりたい。その為に父からいろいろなことを学んだ。でも苦手なものは苦手だったし、蒼の師匠である父は突然いなくなってしまった。


 一鞘は、蒼にとって自分の不出来さと父がいない現実を突きつけてくる存在だったのだ。


(……あたし、だからもしかして、嫌だったのかな)


 2人に取引を持ちかけられた時のことを、蒼は今そんな風に思っている。


 巻き込まれたくないのは紛れもない本心だった。でも心のどこかで、一鞘とかかわるようになったらもっと苦しくなるのではと、危惧していたのかもしれない。


 あの人の手がかりが見つかるかもしれない、という期待と。一鞘のそばにはいたくない、という恐れと。


 ちっとも器用に立ち回れない蒼は、相反する思いでかき乱された。でも。


 ――助けてくれた。


【武】である彼にとっては何の利点にもならないのに、あの講義で。


 ――叱ってくれた。


 命の危機的状況で、八つ当たりではなく。


 だから――……、


「……何?」


「えっ」


 怪訝そうな声に、蒼は我に返った。思いっきり、一鞘と目が合っている。どうやら、ずっと見つめてしまっていたらしい。そう自覚したら、何故か凄まじく恥ずかしくなってきて、蒼は何も考えずに口を開いた。


「あっ、いやっ、ちょっと気になったことがあるというか……!」


「気になったこと?」


【五天】のことかと思ったらしく、一鞘は顔だけ蒼に向けていたのを、体ごとこちらに向けてきた。……わ――ごめんなさい質問なんて別にないんです! 顔を両手で覆いたくなった蒼であるが、火事場の馬鹿力なのか急に思い浮かんだ。


「そういえば、サヤ達って本当の苗字は何なのっ?」


 勢いに任せて尋ねると、一鞘が見たことない表情になった。


(……。あれ?)


 あたし、何か変なこと訊いた? 真顔なような、少し目を見開いているような、かすかに怪訝なような。そんな喜怒哀楽のどれでもなさそうな顔で、一鞘は蒼を見上げている。


「……『サヤ』?」


 初めて聞く単語のように、一鞘がそう口にし――蒼は自分が何を口走ったのかをさすがに理解した。


「うわっ、ごめんなさい!」


 蒼は慌てふためいた。


「そのっ、姫織がよくサヤって呼んでるから、多分それがうつっちゃったというか……! うわー本当にごめんなさい、気を付けるから!」


 これは馴れ馴れしくすんなと怒られるパターン……‼ 両手をパンと合わせ、ひたすらに詫びるしかない。怒鳴られるか、冷え冷えとした目で蔑まれるか。どちらも覚悟をしていた蒼であったが。


「……いい」


「……。へっ?」


 そのどちらでもない声でただそう言われ、蒼はぽかんとした。思わず、一鞘の顔をまじまじと見てしまう。


「……一鞘って呼びづらいだろうから。サヤでいい」


 顔を逸らして、ぶっきらぼうに言う一鞘の顔が、わずかに赤いような。それを見た蒼も何故か、ぱっと顔を逸らしていた。


「た、確かに、一鞘ってちょっと言いづらいかもね」


「初等学校の時、出席取る時に担任がよく噛んでたぐらいだからな」


 蒼はさすがにむせた。


「そこまで言いづらいかなぁ⁉」


「さぁ。お前でも噛んだことないのにな」


「ひどっ⁉」


 心外だと訴えながらも、心のどこかでホッとしてもいた。普通に会話ができていることに。


「――ミカゼ」


「へっ?」


「おれらの苗字」


 蒼は目をぱちくりさせてから、そういえばその話だったと思い至る。


現字げんじは? 何て書くの?」


「見るに風で、見風みかぜ


 なるほど、狭『見』と『風』端は、本名から1文字ずつ持ってきていたのか。


「見風一鞘に、見風姫織か。覚えておくね」


「間違えて呼ぶなよ」


「だ、大丈夫! 下の名前で呼んでるし!」


 そこまで言ってから、蒼はふと教室の時計が目に入った。そうだ、今日は最中さなかの代わりに夕飯の買い出しに行かないといけないのだった。


「まずい……っ、そろそろ帰んないと‼」


「そうか。おれまだここにいるから」


「うん。じゃあまた明日、……サヤ!」


 蒼は教室を出て、廊下を走って行く。夕日に染められた廊下には、窓の格子の影が伸びる。それを突っ切っていく、元気な影。


 蒼は、今日一日の疲れを忘れていた。走りたいくらい、胸が弾んでいた。


(仲間だって、認められたみたいな気がした)


 それが、こんなにもうれしいなんて。


「こらっ、廊下は走らない!」


「すみませーん!」


 すれ違い様に茶音に窘められ、蒼は笑いながら通り過ぎる。


 ――三大問題児も悪くないかもな。


 橙に照らされた階段を、蒼は軽い足取りで駆け下りて行った。

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蒼天龍世記 -森緑の陣- Yura。 @aoiro-hotaru

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