第29話 幕間

当たり前とはなんだろうか。

無数の人と巡り逢い、その中で気に留まる人が居て、さらに触れ合う中で知り、人知れず恋慕に現を抜かし、時に憂い、時に喜び、その一歩の距離がもどかしく愛おしい日々。

普通、学生ですら皆経験するであろうこと。

私にはそんなものに使う暇や気力なんて無かった。


「ねぇ入夏?辛いと思うけど、まだ若いんだから落ち込んでる暇なんてないのよ」


そう、私には暇なんてない。

私にはやらなきゃいけないことがある。

これからは、いや、普通は、本来は一人で生きていかなきゃいけないんだから。

同年代の人達と比べても遅れてるんだから。

もう成人してるんだから。


「男なんぞ人類の半数も居るんだ、次がある」


私はあの人の事が好き。

今でも好き。愛してる。

けど、当たり前だった毎日はもう額縁の、画面の、私の中にしかない。

慣れないのに私のより美味しい料理も。

暑いと言いながらでも離さなかった腕も。

同じ寝床なのに手を繋ぐだけのもどかしさも。

どれだけ距離が近くても、絶対に許さない唇だって。

もう届くことはない。

別に、嫌われた訳じゃない。

ただ。

死に別れただけなのだから。


「つゆき君も幸せになって欲しいと思ってくれてるはずだから」


私にとっての幸せって何なんだろう。

ううん、私にとっての幸せが何なのかは分かりきってる。

そして、それがもう掴めないものだということも。


「帰ります」

「待ちなさい!」

「なんですか」

「…何か食べたいものはある?作るから」

「いりません」

「ろくに食べてないんでしょ?外食でも連れてってあげるから」

「食欲がないだけです」

「そんなに窶れてるのに放ってなんか…」

「私は一人がいいんです。ついてこないでください」

「じゃあ、私達、買い物してから帰るから…それまで待ってて?」


普通は同棲の彼が亡くなったなら実家に帰るのが普通なんだと思う。


「何言ってるんですか」


けど私は違う。

しばらく1人にしておいて欲しいって思うのはおかしいの?

すぐ手放せるほど私の想いは軽くないのだから。


「私の家はあのワンルームしかないんです」


幸せになって欲しいと思ってる?

確かにそうでしょう。

だけど、つゆきさんならそんな事思っても言わないはずです。

なぜなら私は。

露雪さん無しで幸せになんてなれないんだから。


「ただいまです」


無機質な音が部屋に響き、外の世界と切り離される。

靴を脱ぎ、棚からコップを取り出して蛇口を捻り、舌を濡らすだけで中身を捨てる。

連日フラッシュに当てられて、阻まれて、家から出るだけでも喉が渇くし目は回る。

どうして昨日は外出しなかったんですか、とか。

どこへ行くんですか、とか。

事故がきっかけですか、とか。

連打されるインターホンとか。

別にどうでもいいじゃん。

ほっといてよ。


「ねぇつゆきさん。あの二人って本当に、私の幸せを思ってるのかなぁ」


仮に思ってるとしても、親っぽいセリフを吐いてるだけにしか聞こえない。

そんな疑問に向き合って、考えて、答えてくれる人も、もう居ない。


「…明日から12月、か」


ホーム画面に映るあの時の紅葉も、もう散っているだろう。

つまり冬の訪れであり、二ヶ月だけの特別な期間が終わっちゃったということ。


「これでまた、同い年ですね」


今日は誕生日だった。

いい事なんてなんにもない、毎年通りの誕生日。

今年は、なんて…浮かれてたなぁ。


「そういえば」


言われたせいか、鏡に目が行った。

別に興味もない、見せたい人も居ない、俯いた姿を睨む。

最後に見たのはいつだっけ。

あぁ、あの日が最後だったっけ。


「つゆきさんには見せられないなぁ…」


傷んだ髪、生気のない肌、痩せ細った手足、目立つ頬骨、乾いた唇。

そしてなによりも…肌と見間違う程に真っ白な生え際。

もし見られたら、なんて思っても…もう見られたくない人は居ないんだ。

そうでしょう?と、赤黒く、彼に染まったワンピースに問い、身に纏う。


「…つめたい」


考えるのが面倒で、ベッドに身を投げた。

狭すぎた寝床は広くなったけど、日に日に入るのが辛くなっていく。

二人で寝ると暑いからと冷感マットを敷いたけど、もう要らない季節になっちゃったなぁ。

けど、これを退けたくない。

でも…冷たいのはもう嫌だ。

その答えは単純、出なければこの温もりは消えることはない。

それでもあの時の、どれだけ叫んでも、抱きしめても。

どれだけ強く握っても、すり抜けていくように熱が逃げていく。

私の腕の中に居たはずなのに、生命だったはずなのに、その形をした物体に変わってしまうあの感覚…。

だから、目を閉じたくなかった、考えたくなかった。

なのに、溢れてくる恐怖が、現実が私の邪魔をする。


「ずっと、暖かければいいのに」


あぁ、冷たい。

思い出したくないのにな。

でも、忘れたくない、忘れられない。


「ずっと、一緒だから…ね」


今日も私は目を閉じる。

私に刻まれた欠片であって、本物ではないとしても。

あの人に会いに行くために。







「…それが君の答えかい」


正常な精神、体調ではないからだろうか。

変な夢も見るというもの。


「恩人相手にシカトかい?」


重い瞼を開き、声の方を見る。


「なんなんですか」


目の前に立つのは見覚えのない人。


「私はつゆきさん以外に興味ないんです。邪魔しないで」


声からして、あの人ではないことはわかっていた。

だからこそ興味はない、だったら追憶の邪魔をしないで欲しい。


「それでもいいけど、ずっとここに居るつもりかい」

「つゆきさんが居るならそこに行きますが、もう居ないのであれば外に出る理由なんてありません」


それはどんな理由であれ、もう面倒になったから。

このまま…。


「死ねないよ」


…。


「死ねば一緒になれるかもしれないじゃないですか」

「無理だね、君一人が死んでもその先に彼は居ない。そしてまた、彼も君を見つけられない」

「どういうことですか」

「君はもう生命の枠から外れてるんだ。生きることを放棄したからね」


ただ引きこもっているだけなのに、そこまで言われなきゃいけないの?


「そして同じように彼も生きることを諦めた。だけど君と同じで死んではいない」


…えっ?


「…今何て?」


ありえない希望だったとしても、縋りたいほどのこともある。

嘘だったとしても、聞いてみる価値はある。


「正確には肉体は死んだけどね、中身の方を僕が預かってるんだ」

「どういうこと?」


妙なことを語る存在は、どう見ても何かしらのコスプレをした、ただの人で。

確か恩人だとか言っていたけれど、見覚えはない。


「やっとこっち見てくれたか。まぁいい、簡潔に言おうか」


差し出されたその手にはヒビだらけの水晶体。


「君たちにチャンスを与えよう。その代わりに見極めさせてくれ、僕にとって有益であるかどうかをね」


聞き終える頃には、閉じた瞼すら眩しかった。

でも、私は可能性があるのならば縋ろう。


たとえ、それが悪魔との契約だったとしても。


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