第21話 大事にされることとする事と
「ねえ、つゆきさん」
入夏と一緒に住むようになって少し経った。
「わたしって、魅力ないんですか」
消灯し、明日に備えて寝る。
今日やることはそれで終わりのはずだった。
「……一緒に寝てるのに、それだけ?」
私と入夏の間では普通だと思ってたけど、普通の男女ましてや成年した二人が同じ寝床でただ眠るだけ。そんな事おかしいというものです。
「それ以上入夏は何を望むの?」
「……どうして私を襲ってくれないんですか」
忙しいからとか、まだ本調子じゃないからとか、色々それっぽい理由はあるけれど。
本当の理由は知ってるはず。
「……私の事が大事、だからですよね」
「その通り」
まだ数ヶ月の仲。
たったそれだけで入夏の人生を壊すのは嫌だから。
「理屈では分かっているんです。だけど……」
声が詰まり、風の音が窓を抜けてくる。
けれど、誰かの心音が煩くて仕方ない。
「私、ここに居ていい理由が欲しい」
ここから出ていく理由を与えるのは簡単で。
単純に入夏が自立するか、どちらかが嫌うか、必要なければ離れるだけ。
「あのね、入夏」
「はい」
「私ね、異性とこんなに親密になるのは初めてなんだ」
正直な話、入夏の事は好きかと言われると好きに入るんだと思う。
けどこれまでの人生で三次元の人間なんてと思っているのも事実で、少し複雑な気分が続いている。
「無意識に手繋いで肩が触れて、無防備すぎる入夏が他の誰よりも近い所にいる。そんな状況で涼しい顔するのってかなり大変なのよ」
「……え?」
「そりゃあさ、据え膳なんちゃらって言葉があるように、襲うもんでしょ、普通。だけど私はそれが嫌で怖いんだ」
人間というものに失望してるからかもしれない。
或いは自分の両親がそうだったからかもしれない。
「今入夏とそういうことしても、今以上にはなれないと私は思ってる」
だからこそ、もし私達がそうであるならば、入夏とはああなりたくないんだ。
「今はまだ友達同士の方がいい、これは私の我儘」
「それってつまり失恋ってことじゃないですか……」
「……」
どうしてか、言葉に詰まる。
「ねえ、どうして否定してくれないの」
「ここで答えを出すのは早すぎるんじゃないかと私は思うんだ」
「それってキープって事ですよね」
キープ?
……キープかぁ。
確かにキープとも取れなくはない、か。
「じゃあさ、このまますり合わせもなく歪なままくっついてさ、噛み合わずに互いに傷付くだけになったらどうする?」
「それはあくまでもしもの話じゃないですか」
「うぐ、たしかに」
言葉に詰まるこんな私でも良いんだろうか。
「つゆきさん、臆病ですね」
「臆病、か……そうだな、うん、その通りだ」
だからこそ言おう。
「入夏も臆病なんじゃないの」
どうして、私を襲ってくれないんですか。
そう入夏は言った。
「私、ここに居ていい理由が、つゆきさんが私を手放さなくなる理由が欲しい」
私は先の別れが怖くて。
入夏は孤独が怖くて。
「……まだ、確固たるものはあげられないけど、今はここに居ていい、いや、居て欲しい」
「どうして?」
「こういう会話が私を立ち直らせてくれるから」
「立ち直っちゃったら?」
「立ち直ると思う?」
「自分で言っておいてどうなんですか、それ……」
今後の事を考えるなら、二人で身体を元通りにして、社会復帰する。
その一番シンプルで真っ当な選択肢は、私にとってとても辛い。
いや、怖いんだ。
でも入夏と話してるとなんとかできそうな気がしてくる。
「正直さ、私の曲がり切った性根を叩き直せる人なんて居ないと思う」
「……」
「そうだとも。傷付きたくないと思うからこそ、余計な思慮を重ね、結果的になにもしないを選択するほどにねじ曲がってるんだ」
その余計な思慮をするだけの頭があるのにどうして実行ができないのか、そこがやはり私の臆病な所が一番大きいんだと思う。
「人は膨大なタスクを目の前にすれば、まず面倒と思う。その面倒事に付き合えるかは自身の価値観でどれだけ影響あるかだと思ってる」
私がヒキニートである理由、それが臆病で面倒くさがりだからであろう。
働くこと自体は別に抵抗なんてないんだ。
それに付随する人間関係とか、クソみたいな上司とか、守られない決まりとか、そういう面倒な事が嫌なんだ。
今はどうだろうか。まぁ数ヶ月だけなら慰謝料で生活できるだろう。
けどその先は?それに居候の入夏にだけ働かせるのか?
そんなこと私は望まない。望まないんだけど……。
「……私がそのねじ曲がった性根を叩き直せばいいんですか?」
「現状無理だろうとは思ってるよ、自分でどうにもできないんだもの、他人が介入してどうになかるもんじゃない」
「私が他人でなくなれば?」
「こんな私と他人以上になりたいと、好奇心や興味本位ではなく、打算的に本気で思ってる人間が居ると思う?」
「……」
「今は無理だろうと思っている。けどその可能性があるのは現状入夏しかないと思ってる」
情けない話だ。それでも九州男児か私は。
まあべっつに、肩書なんて関係ない話ではあるんだけどさ。
……入夏にはまだ言えないけど、九州男児より優先すべきで、それに見合った振る舞いをしなきゃいけない肩書きがあるのも事実。
「つゆきさんですら解決できないことを私が解決できるんですか?」
「分からないしおおよそ無理であろう。繰り返すけどその可能性があるとするならば、私ではなく入夏だと思う」
「……私の、母子の問題を諭したように?」
「そうだとも」
入夏に出来ることが全て私に出来るわけではない。
入夏に出来ないこと、私が出来ないこと、その二つが重なった時に互いに意見を出し合える仲。
そういう親友を求めているのではないだろうか?
「……つゆきさん、私の隠し事を一つ明かしましょう」
「なんだね?」
「私、命の恩人がつゆきさんで無かった場合でもこうしてその人の家に転がり混んで、昨晩のように、先程のように肉体関係を迫ったでしょう」
そう語る入夏は冷静そのもので、瞳は私を捉えて逃さない。
「……続けて?」
「つゆきさんでなければ恐らく昨晩、いや退院する前から、私は人形になっていたはずです。なのにつゆきさんはそうしなかった。私も、無理矢理唇でも奪って寝てる間にでも既成事実を作ればよかったのに」
その選択は全てを諦めた上で、他人に全てを預ける言わば自殺のようなもの。
私でなければ肉体関係を持ったかもしれないし、さらに首輪を着けられ飼われていたかもしれない。
入夏が心からそうなりたいと思っていたか?
そうなってもいいやとは思っていたけど、嫌である事に違いはないだろう。
「私がうつ伏せで寝てたからじゃない?」
「理由、話しましたよね?」
「全て任せてしまおうという諦めでしょ?」
「はい。迂闊にも私はつゆきさんが男性と知らずに口走りましたね」
「聞いたとも」
「それを聞いた上で、聞かせた上でなぜ私の想定通りになっていないんでしょうか」
私の意思で入夏とはそういう関係でありたくないと思っているから。
でも入夏の言う通り、本当に入夏が望んでいるなら入夏が強引にでも私をその気にさせればいいだけのこと。
こんな事思うけど、私とて人類なのだから本能に抗うのは簡単ではないのだろうから、本当に入夏の裁量次第な所も有ると思う。
私は、私の理性では絶対にそういうことはしない。そう決めてはいるんだけど、この恐怖という本能に簡単に負けてしまう弱っちい理性でどこまでできるか、自分自身信用ないのだ。
「……私も、つゆきさんに対して期待しているんです。私をこの地獄から解き放ってくれなくても、その地獄の痛みに耐えうる要因になってくれる人であってほしいと」
「だから強引な自棄を起こさず結果を見送ってるんでしょ?」
「はい」
「じゃあまだ急がなくていいじゃん」
「……」
何もかも保留だからこそ、確証がない。
つまり、恋人同士でもないのに一緒に居る理由がない。
だったら『既成事実でも作り、縛り付けてしまいたい』、そう考えるのは入夏なりの解決方法で、その理屈は理解出来なくもない。
「互いに期待しあってる、それでいいんじゃない」
「……本当に、私はここに、つゆきさんの隣に居ていいの?」
「良い、というかむしろ居て欲しい」
「恋人でもないのに?」
なぁーんか違和感。
話がループする気がする。
それとなぁーんかさっきまでと反応が違う。
まるで別の目的があるかのような?
「……要するに入夏さんは私に好きと言わせたいんですの?」
ぷいっ、とそっぽを向かれました。
なんだ、そんな事だったか。
「別に良いです。でも好きでもない女の子を連れ込んでるなんて、それこそ不潔じゃないですか」
「転がり込んできたのは入夏じゃんよ……」
これは乙女心と言うやつ?めんどくさいなぁ。
じゃあ出てくか?と聞いても全力拒否するでしょう。あの時みたいに『捨てないで』って……なんでその言葉を選んだんだろうな。まぁもうあんな顔見たくないから言わないんだけど。
「そこまで私に好きと言わせたいなら私を本気で惚れさせてみたら?」
「……私にそんな魅力なんて」
「魅力を感じない相手に無意識で可愛いなんて吐くと思うか?」
「えっ?……あー!!やっぱりあの時言ってたじゃないですか!!」
あ、あの時はぐらかしてたんだっけ。
「『あーどうやって無かったことにしようかな』みたいな顔してもダメです」
ぐぬぬ、人のこと言えないけどこういうタイプって付け入る隙は与えないに限るな……。
「あーもう……なんだか目が冴えてきちゃいました」
起き上がって部屋の電気を点ける入夏。
しょうがないので私も起き上がる。
「目が冴えたって、どーすんのよ」
「……どうしましょう」
起き上がったけど、何をするでもなく。
ただぺたんと座り、長い髪を前に垂らし手で梳く入夏。
その頬は赤く、目も合わせてくれない……いや、照れてるだけか。
まぁ話の内容が内容だったし?私もなんというか、入夏の事を意識しちゃってるのかもしれない?いやしてるんだろうなぁ……。
いかんいかん、流されてたまるものか。
「そういえばなんだけど」
「……はい」
「髪、長いと大変じゃない?」
とりあえず、困ったら何か話そう。いつものように。
と、いうわけで目についた入夏の髪について。
長いとそれだけで邪魔になったり、手入れの手間とか、男の私には無い苦労があると思う。
「あー……そうですね……」
さっきの色っぽさはどこへやら、その遠い目はまあ入院中の苦労を見つめているんだろう。
「その、臭かったりしませんでしたか?」
「うちに来てから?」
「まあ、それもそうなんですが……」
入院中は基本タオルで身体を拭く。当然シャワーすら浴びられない。
じゃあ髪は?となるわけです。
入夏の頭部は怪我とかあんまりなかったけれど、それでも顔に包帯は巻いていたし、退院の数日前くらいまで片手が塞がっていたから手入れも満足にできていなかった。
まぁ当時の私が気付くほどに毛先が跳ね踊るというものです。
「正直自分のだったかわからん」
私は男であり、女ではない。なのでその辺割と雑である。
故に困るとしたら入夏の方なんだけど……。
「そうですよね、そうですよね。良かった……」
案外気にしてたんだなって、女の子らしい所あるじゃんと思った。
そして私は気にしなさすぎたんだなとも反省。
「髪、傷んじゃってて……」
入院時ほどじゃないとはいえ、手櫛を抜けた先から跳ねていくのはちょっと面白い。
「それ、もとに戻るの?」
「どうでしょう……少しはマシになっているので、頑張って梳いてけばなんとかなるかもしれません」
櫛通してけばなんとかなるもんなの?
なんかこう……オイル的なやつとかでマッサージ的な?そういうのしたりしないのかな?
「そうだ、つゆきさん」
「どったの?」
「えーっと……あった、はい、これ持って?」
櫛を手渡されました。
「……やれと?」
「はい!」
くるん、と背中を向け、振り返る。
「……どうやったらいいの?」
正直女性の髪に触れるなんてかなり億劫なんですが。
「櫛使ったこと無いんですか?」
「いやぁあるけどさ……」
自分の髪のようにガシガシやっていいもんじゃないでしょう?
「痛かったら言ってね?」
「言いません」
それって痛くないようにしろってこと?
「難しい注文だなぁ」
背中まで垂れている髪を手に取り、しっかり掴んで毛先の方から解すことにした。
手櫛は通っても目の細かい櫛はすぐに引っかかる。
それでも十回二十回と繰り返せば少しは通るようになった気がする。
「ねえ、痛くない?」
……。
返答なし。
あれ?と思って頭を上げるとそれはまぁ船漕ぎに勤しんでおられる入夏さん。
つまり痛くないってことでいいのかな?
「あのー、入夏さん?寝るならちゃんと寝るべきだと思うんですが」
てんてんてんてんてんてん。無言。
よし、寝かして電気消してもいいよね。
入夏が倒れないようにゆっくり肩と頭を支えながら……起きるなと念じながら寝かせ、ふとんを掛け、電気を消した。
「おやすみ」
寝ているからこそ返事はないんだけど、手は握れるんだなぁ。
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