第17話 一押しの神と零点
春眠暁を覚えず。
……違うな、確かに寝てたら春が終わってたけど。
一日中寝て過ごしたのは事実ではある。
けどそれは春風で巻き上げられた桜花が舞うような夢遊ではなく、事故により入院して、身体の自由を奪われたが故のこと。
……癒着していた手の剥離を終え半月、事故から一ヶ月半が経過していた。
「桜、散っちゃいましたね」
病室の窓から見える木々は青々としており、出会い別れの季節が終わったことを伝えている。
私は先述の通り、病院のベッドの上で寝て過ごしたのだが、別れと出会いも経験した。
それは私が望んだ別れと、望まなかった出会いであったが。
「事故無ければ今頃どうしてたんだろ?」
半月前までの一ヶ月間、私の隣に座っている入夏と二心同体だった。
それが私にとっての春一番、出会いそのもの。
恋愛的な意味で好いている……というわけじゃないはず。まだ。
だけれど、私にとって唯一無二の友人で、この二十年という振り返ってみれば空っぽな人生で一番の出会いだとは思う。
「私は変わらず、浪費される時間と焦りに足を取られて、凍っている雪道を歩くように真っすぐ歩けていないと思います」
「私は……どうだろうな、まだニートしてたかも」
実家を追い出されても尚、ヒキニート。
まぁ、面接は数件受けていただろうな、だって遊ぶお金欲しいもの。
だけど私の履歴書を見て、すんなりと受け入れてくれる職場には”もう”行きたくない。
それこそ、入夏と似たような状況に陥っていたかも知れない。
「私、夏って嫌いです」
と、入夏さん。
「夏っていう名前なのに?」
「そうです。だから二重に」
まあ、私も自分の名前が嫌いなんだけれど。
「単純に花粉がですね……今年は平気みたいですが」
この季節、この地方は黄砂やPM2.5や花粉、なんかもうありとあらゆるものが飛ぶ。
私も数年前から一年を通して一番塵紙を使うのもこの季節。
「入夏という名前の由来、どうやら梅雨前の、初夏に入るこの時期の事を指すらしいです」
「夏になにか思い出でもあったのかな」
「さあ?」
「知らんのかい」
自分のスマホで軽く検索かけてみたけど、入夏というのは名前ではなく名字で使われるらしい。
でも読みはニュウカやイリナツで、”いるか”とは読まない。
「よくよく考えてみると不思議ですね、機会があれば聞いてみたいです」
「親子らしい会話では?」
「そうですね……そう思うとなんだか緊張します」
親子の距離感が掴めない、と入夏は言う。
それは度々見舞いに来る入夏母とのやり取りを見ていても、私と母で対応がまるっきり違う程に。
「寝てたからかねぇ」
「何がですか?」
「あんな大怪我してたのに、後遺症がないだなんて」
「それどころか、入院する前より健康になってる気がします」
身体が軽い、なんとなくそう感じる。
いや物は重いんだけど、筋力落ちてるはずだから。
だけど、なんか調子がいい。不思議な感覚。
「そうだ、私って実はメガネっ娘だったんです」
……え?入院中一回もメガネなんて掛けてなかったような?
そう思って首を傾げる。
「事故の時にメガネが割れちゃって、しばらくメガネを付けてなかったんです」
「あー……そう言われればあの時ー……いや覚えてないや」
「そうですか……ってそうじゃなくて、一昨日に新しいメガネを持ってきてもらったんです」
私、裸眼で遠くの山が普通に見えるから目が悪い人の気持ちはわからない。
「それで掛けてみたんですけど……逆に見辛くなっちゃって」
「もっと目が悪くなった?」
「いえ、逆です。意識してなかった……というよりかは病院だと遠くを見ることがなくて気付かなかったんですけど、視力が上がってるんです」
まあ、入院生活なんて目からすると疲労とは無縁そうだし、疲労からの低下なら元に戻るのかも?
「その事に気付いてからは色々目に入っちゃって……こんな世界だったんですね」
遠くの景色を見ているのだろう、窓に寄りかかって呟く入夏。
「あー、あー……?」
「どうしました?」
そう言われれば、私も良くなった所がある気がする。
「そういえば入院前より声が出しやすいな、小さい声で話すのに慣れたから?」
部活動で喉を潰してからというもの、小さい声が出せなくなっていたのです。
他にもよくよく考えれば痛めてから可動域の狭まっていた足首とか、ちょいちょい良くなった所がある。
「つゆきさんもあるんですね、そういうの」
「まあ、健康的な食事と休息だからかなぁ」
ヒキニートに休息は要るのかな?
……必要だったんだろう、現に実家であれほど悩まされた腹痛とか無いし。むしろ毒でも盛られてたのか?
「あ、でも簀戸先生が気になる事言ってた」
「循環の件ですか?」
「そうそう、入夏も聞いてたか」
私達二人の血が、繋がった手から互いの体を行き来していたという話。
現にこの治癒力は異常なのだから、その影響も少なからずあるんじゃないかと思ってしまう。
「入夏ってさ、背中から思いっきり跳ね飛ばされてるじゃん」
「そうですね」
「なのに脊髄とかなんの損傷もないのおかしくない?」
「…言われてみればそうかもしれません」
背中から思いっきり、特に車のバンパーなんて腰のあたりな訳で、それにあの猛スピード……下半身不随とかになってもおかしくないと思うんだ。
「背中と腰は痛かったですが、目が覚めた当日に座れるほど酷くはありませんでしたね」
そう、私たち二人は目が覚めた、事故から一週間後のあの日に身体が動かせている。
「……神業、なのかねぇ」
簀戸先生の腕が良かったのか、私らの身体が互いに生存を求めて協力したのか。
「本当に神の業だったりするのかもしれませんね」
「神なんて居ないよ」
「……そうですね」
居るなら私はここに存在してない。そう言いたいほどに産まれて来なければよかったと何度思ったか。
そう思っていると、入夏が呟く。
「……私の為に産まれてきてくれたなら?」
誰かの為に産まれてきた、なんて考えた事無かった。
それほど他人との干渉を避けてきたからというのもある。
「こうして私の命を救う為に、私を底なし沼から掬う為に今まで辛い思いをしてきたとしたら?」
……。
「それを言えば入夏を助けさせるために私に苦行を強いた、とも取れなくない?」
とっさにこういう言葉が出てくるのは私の悪い癖である。
いや、悪いのはこの癖ではなく、それを思慮なく口に出す性格の方か。
「……そうですね、今は返す言葉が見つからないです」
神なんて居ない。
自分でそう言ったけど、訂正してもいいかもしれない。
「訂正。神は居るかもしれないけど、私に微笑む神は居ない」
神計らい。
曾祖母の代から信仰している宗教にそんな言葉があった気がする。
何事も神の計らいによって起こること、苦行は神からの試練であると。
その宗教の神は現人神であり、よくあるカルト的なアレで、その教えを信者に説く。
だけど、内容は神を崇めるものより、『己を正して世を善くし、同じ志を持った人の輪を広げよう』というものが強く、まあ言ってることは割とまとも、平たく言えば綺麗事だった。
だからこそ、あの母親、あの祖母を見て痛感する。信仰する神は神に在らず、信仰や教えなんて人の妄言だと。
「つゆきさんには微笑まないとして、どんな神がいるのでしょう?」
まあ、入夏にとっては幸運だったんだろう。私との巡り合わせは。
私にとっては?……うーむ、まぁ無くはないけど、ちょっと最近入夏がやべーやつだと認識し始めてるのもあって判断保留中。
「居るとしたら……そうだなぁ、笑いの神とか?」
実際、思わぬハプニングが幾重にも噛み合い、あたかも精巧なドミノ倒しのようになる現象……まぁ奇跡があるのは知ってる。
かく言う私も、目にしたことはある。
「笑いの神、ですか」
「あとは八百万の神って考え方とか、そういうのは否定しないよ。長年生きた物に意思が宿る、とかも」
付喪神とか言うんだっけ。
人形の髪が伸びるとか、そういうの。
まあ人の髪って抜けてもちょっと伸びたりするらしいし、抜けた毛が絡まって伸びたように見えてるだけとか、そういった偶然の積み重ねなんだろうけど。
そういうのって人がある考えを持った上で生まれるんだろう。
「『もしもこうだったら面白いな』という考えは嫌いじゃない」
神話だって、星座だって、昔の人が『こうだったら面白いな』という空想なのかもしれない。
それが現実逃避の産物であったとしても。
「その『もしも』に一手貸す……”あとひと押しの神”?そんな存在が居たりして?」
そんな神、居たらもっと面白い世の中だったのかもね。
「”あと一手を押す神”ならぬ、”人の空想を推薦する”神、縮めて”人推しの神”、なんちゃって」
「ふふ、つゆきさん珍しくオヤジ臭いこと言いますね?」
正直酷いこと言っちゃった気がするから、しょーもないことでも言いたかった。
「私一応男だからね、そういうこと言う日があっても良いでしょ?」
「あぁー……今からでも女の子になりませんか?つゆきちゃん」
「無理。その呼び方されるとなんかぞわぞわするからやめい」
本名で呼ばれるより……いや本名の方が嫌だわ。
「私が私である限り、そういうのに付き合わねばならんのですよ、入夏さん?」
「うぅ……流石に零点の洒落を連発されるのは……」
思ったより酷評だった。つめたいなぁ。
「外はこんなにも暖かいと言うのに、今年は冷夏かな」
「そんな古典にすら乗ってそうなセリフ、よく言えますね……」
外は春を終え、梅雨と夏を目前に控えている。
……私も夏は嫌いだけれど、入夏となら、少しは涼しく過ごせるかもしれない。
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