第9話 泊まる所は

何故こんな所に癒女がいるのか。

花街のゴチャついた風景も喧騒も掠れていく程の浮いた存在を前に、ウォンジュンは困惑した。足下ではすっかり酔って崩れ落ちてしまったモリシゲがザンバラ頭を振り乱し「人生ピスタチオが無きゃ始まらないよ」などと喚きながら血吸の柄をウォンジュンの足にぶつけている。


「あ、あのー…お寺の」


「貴方、ここら辺でお酒を飲める場所知らないかしら?」


「えっ」


ウォンジュンは思わず背後の娼館を振り返った。花街で癒女と出くわしたことや話しかけられたことへの衝撃で質問を上手く咀嚼できなかった。

あぁ、さすがにここはまずかろう。花の絵をあしらわれた看板を見上げながらようやく思考が追いついてきたウォンジュンだったが、気づけばもう癒女は娼館の戸を潜っていた。閉じられた戸の前に残るは酒と香辛料の香ばしいにおいのみ。

しかし間もなく「間違えました!」という声が響き渡り、乱暴に開かれた戸から癒女が転げ出てきた。


「あ、大丈夫ですか」


「逃げるぞ!」


「えっ」


なんで、と問う間も与えられぬままウォンジュンはモリシゲ共々癒女から腕を掴まれ、引っ張る力に抗えぬまま花街を駆け出した。




花街から門前町の大通りを走り続けたのち、ウォンジュン達が辿り着いたのは快癒の寺院だった。途中、大の男を2人引っ張りながら爆速で駆けてくる不審人物の姿に2人の僧兵が「何者だ!」と棍棒を構えてきたが、不審人物もとい癒女が頭巾を払い除けながら「友達でーーーーーす!」と叫んで通り抜けたので僧兵は呆気に取られていた(「アイツ友達いないだろ」というぼやきも聞こえてきた)。

本堂の中でようやく解放されたウォンジュン達は冷たい床石に顔をつけゼェゼェと息を整えた。モリシゲは走ったことで酔いが回りに回ったらしく、ウップと怪しげな声を出したので癒女が即座にツボを差し出した。案の定モリシゲは吐いた。


「え…何…?娼館でェゲッホ何があったんですか…ゲッホゲッホ」


「色っぽいお姉さんから『そのお肌に一度触れてみたかった』って絡まれた」


「あそこ女性も利用できるんですね…ゲッホ」


あまりにしょうもない回答にウォンジュンは思わず的外れな感想を返してしまった。

それにしても何故この人は酒を飲める場所を探していたのか。ウォンジュンは癒女に問おうと向き直り、そしてアッと声を上げた。腰まで伸びていた癒女の髪が、首の輪郭が見える程短く切られているのだ。


「髪、どうしました?」


「バッサリ切ったわ。いかがかしら?」


癒女が立ち上がり、クルリと一回転してみせる。後ろ髪は項が見えるほど短い。

ウォンジュンの育ったデハンミングでは髪を短く切ることは親不孝されており、自分を含め人民は長い髪をまとめ上げている。髪を切るといえば罪人に対する刑罰として行われる行為である。

ゆえに短い髪というのは屈辱の証だとばかり捉えてきたが、今ウォンジュンの前で短い髪を揺らしている癒女の表情は晴れやかで、見惚れる程に美しい。ウォンジュンは心の底から「かっこいい」と声を漏らした。癒女が嬉しそうに笑う。


「私は7歳の頃からずーっとこのお寺に閉じ込められてきた。人間の友達はいないし、流行り物も知らない。だから癒女を退任した今、私は外に出て見聞を広めるの!第二の人生って奴ね!この髪型はその一環よ!」


仁王立ちで声高に宣言してみせた癒女の足下で、ウォンジュンは感動のあまり拍手を送った。

そこへ外陣脇の戸がキィと開く音が聞こえた。目を向ければ巡回中らしき僧兵が愕然とした様子で立っている。

俺達、あの人から見たら侵入者では。『投獄』なり『処刑』なり物騒な言葉が頭を過るウォンジュンの横から、癒女が僧兵に「兄さん、寝床を見繕って下さる?」と声をかけた。


「この方々、宿に泊まりそこねたらしくて困ってたから連れてきたの。あと黒ずくめの方は酔ってらっしゃるからお水も欲しいわ」


癒女に命じられた僧兵は困惑しながらも「すぐ持ってくる」と言って足早に本堂から立ち去った。

本当は反射的に連れてきてしまっただけであるが、正直にそう説明するとややこしくなるだろう。極めて自然な言い訳を考えついた癒女の機転にウォンジュンは感心した。実際、宿に困っていたところでもある。

間もなくウォンジュン達は数人の僧兵に案内され、僧侶達が使用する寝床の一角を借りられることになった。モリシゲは僧兵から見つかる頃には酔い潰れており、僧兵3人がかりで寝台に乗せられた。




明朝、朝食の粥を頂いた後にウォンジュンとモリシゲはようやく街を発つことにした。昨夜は寝ていたと思われる和尚に「お世話になりました」と挨拶をし、2人は荷物をまとめて寺の敷地を後にした。


「お寺の人がみんな優しくて良かったね、シゲ」


「うん」


「シゲすごい酔ってたよね。昨日のこと覚えてないんじゃない?」


「あんまり覚えてないなぁ…」


早朝の開店準備で人々が忙しなく行き交う大通りを歩きながら話していた矢先、モリシゲが「ところで」と振り返った。


「この人、誰?」


モリシゲの視線の先には肩の上まで切った白髪を揺らし、自身の丈よりもやや大きめな朱色の旗袍に白色の羽織をかけた美少女の姿がある。いつの間にか癒女が2人の後についてきていた。


「どうしたの?早く行きましょ」


まるで以前からついてきましたと言わんばかりの態度で癒女が言う。


「いや、癒女さん…」


「私シャンユンっていうの。もう癒女じゃないからシャンユンって呼んでね!」


「はい、シャンユンさん…」


癒女の笑顔に秘められた圧力に屈したウォンジュンは、仕方なく彼女を旅の仲間として受け入れたのだった。

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