第4話 酒場のならず者
ならず者が酒場に現れるのは日没後だという。身体が大きく顔に大きな痣があり、給仕の女にウザ絡みする迷惑な客を見つけては因縁をつけて飲み代をせしめるのだとか。
それなら店としては助かるのでは。宿屋の主人の話を聞きながらウォンジュンは訝ったが、主人いわくならず者を恐れて良客まで寄りつかなくなってしまい酒場の売上が半分以上も減ってしまったのだとか。
「酒場の主人は私の親友でね…頭を悩ます姿が見てられんのです。アイツには女給を守る為の用心棒を雇うように説得するんでね、お客様はあのならず者を店から追い出して下さい」
真摯に訴える主人の顔を思い出しながら、ウォンジュンは日没が迫る酒場のカウンターで夕飯を食べながらならず者を待った。弱々しいランプの灯りに照らされた木造の酒場には、料理の配膳や食器の整理に勤しむ2〜3人の女給と、旅人らしき客が数人、テーブルに疎らに座っているのみ。
ウォンジュンはジャガイモの鉄板焼を注文した。乱切りしたジャガイモに塩をかけて鉄板で焼いただけのシンプルな品だが、疲れた身体に染み渡るような芋の優しい甘さと腹持ちの良さが嬉しかった。
ジャガイモを口に運びながら、ウォンジュンは1人の女給を捕まえてならず者について尋ねた。胸元が菱形に開いた真っ赤な旗袍を纏った長い黒髪の女給は艷やかな笑みを浮かべて「シゲのことね」と返した。
「東からの流れ者よ。この辺で賞金稼ぎしてるわ。迷惑な客も追い払ってくれるから、ウチの女の子は皆シゲのことが大好きなの」
「良客まで来なくなったって聞いたんですが」
「皆シゲを誤解してるのよ。まともに振る舞ってれば何もしないのに」
乙女の微笑みをもってならず者の話をする女給を見ながら、ウォンジュンはいよいよ腰に携えた剣を使う気が起きなくなってきた。女給に好かれた男を追い出すことなど気が引けるものだ。
しかし宿代はタダにしてほしいので何かしらの方法で男を追い出さねば。女給から「お兄さん美形ね」とアプローチを受けているのに気づかぬままウォンジュンが脳内で作戦を練っていると、スイングドアを開く音と共にドシドシと大きな足音が迫った。
「お姉さん、麦酒をジョッキで。あと豚のホルモン焼きを」
足音の主たる男はウォンジュンから席を1つ空けて隣に座ると黒髪の女給に声をかけた。女給は「待っててね〜」とにこやかに返すと、ウォンジュンのそばからスッと離れて厨房へと消えていった。
厨房でガシャガシャと作業をする音が聞こえる中、ウォンジュンは隣の男をジッと見つめた。黒い長羽織を纏った巨躯に、黒いザンバラ髪の間から窺える右目頭付近に広がっている赤黒い痣。宿屋の主人が言うならず者とはこの男だろうと思った。
この普通に飯を食おうとしている男を追い出せというのか。罪悪感が芽生え始める一方で、ウォンジュンは男を見つめるにつれ自身の中に緊張が走るのを感じた。男の体格も、精悍な顔立ちも、雰囲気も、長年慕ってきた剣術の師範に似ている気がするのだ。
「何か?」
訝しげな男の声でウォンジュンは我に返った。真っ直ぐに向けられた鋭い瞳がウォンジュンをさらに緊張させる。
「あー…すみません、知り合いに似てて」
「ナンパみたいなこと言ってる」
男が快活な笑い声を上げる。若者らしい振る舞いにウォンジュンは安心し、一緒になって笑った。
そこへ厨房から出てきた女給がジョッキから溢れんばかりに注がれた麦酒と鉄板の上でジュウジュウと音を立てるホルモンを男の前に置いた。
「いっぱい食べてねぇ」
「ありがとう、お姉さん」
女給に笑いかけてから、男が麦酒をあおった。麦酒が喉を通り抜けるごとにゴクゴクと気持ちの良い音を立てる。
それから男がホルモンに箸を伸ばした時、厨房から言い争う声が響いてきた。
「お前また余分に酒を注いだな!」
「ちょっとしたサービスじゃないの!」
「サービスする相手を間違えてんだよ!客に尻触らせるのもサービスのうちだろ!あんな疫病神ばっかり贔屓しやがって!」
『疫病神』という言葉が男を指していることは明白だった。やはりこの男が例のならず者らしい。
男にどんな言葉をかけようか迷うウォンジュンの隣で、男は無言で麦酒をあおりホルモンを食べ続ける。そして双方の器が空になると「ごちそうさま」と呟いて立ち上がり、カウンターの上に金を置いた。
「お兄さん、俺もう出ていくから店の人に代金渡しといて」
「えっちょっと」
「あとお兄さん、宿屋のおっちゃんに俺のこと『退治した』って言っといて良いよ。俺もうここには来ないから」
「えーっ…」
何故、宿屋の主人から退治を頼まれたことを知っているのか。ウォンジュンが問う間もなく男は店のスイングドアを開けて出ていってしまった。
ウォンジュンは鉄板に残っていたジャガイモを一気に頬張り水で流し込むと、近くにいた年若い女給を捕まえて自分とならず者の飯代を握らせ、さっさと店を飛び出した。
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