41. 傷の男

 会議室を出て店舗スペースへと移動すると、そこは惨憺たる有様だった。無数のお皿がひっくり返り、カレーが床にぶちまけられている。さすがにこれじゃあ、もう食べられないよ。


 なんて酷いことするんだと思ったけど、よく見たらテーブルがひとつも無くなっている。それらはゴーレム化してあったはずだ。もしものときはお客さんを守るように指示してたんだけど……その上のお皿のことは考慮してなかった。この惨状を作り出したのは、ゴーレムだったみたい。何でも無闇にゴーレム化するのはよくないね。


 店内に残っているのは数人。いずれも女性や子供のお客さんだ。外から怒号が聞こえるから、残りのお客さんと店員はそちらに違いない。本格的な衝突が始まっていると不味いと思って、慌てて外に飛び出した。


 まず、最初に視界に飛び込んできたのは、地面に埋まった人たちだ。見た目はチンピラっぽい。たぶん、バンデルト組の下っ端だ。ゴーレム化した地面が無力化するために呑み込んだみたいだね。ただ、チンピラは大勢いるので、拘束されているのはごく一部だ。残りとお客が言い争いになっているみたい。むしろ、お客さん側がヒートアップしているみたいで、プチゴーレムズとカレーまみれのウッドゴーレムがどうにか押しとどめている形だ。


「トルト」


 僕に気付いたローウェルが駆け寄ってきた。隣にはスピラもいる。ハルファも合わせてこれで四人だ。


「どういう状況?」

「主張はいつもと同じだ。ただ、今回は人数が多いな。教団からも幹部級らしき者が数人来ている。その割に目立った動きは無いが……」


 彼らの主張は、“カレー店の営業を認めない。指示に従わなければ取り壊す”といった内容。ここはバンデルト組の支配地だから許可を出すも出さないも彼ら次第だ。あからさまに敵対的なこのお店を残しておく理由はないんだから、当然の主張だね。


 とはいえ、すでに何度も下っ端を返り討ちにしている。人数だけ揃えてもどうにもならないほどカレー店の防衛力は鉄壁だ。それは、彼らもよく知ってると思うんだけどな。


 手があるとすれば、教団の幹部が使う銀の力だけど、今のところ大きな動きはないみたい。いったい、何をしに来たんだろう。


「とりあえず、幹部を捕まえよう」


 彼らの思惑はわからないけど、僕らの目的ははっきりしている。教団の情報を聞き出し、異形たちの侵蝕がどこまで進んでいるのかを把握すること。そして、銀の戦力を削ることだ。情報源であり敵の中核戦力である幹部たちを逃す手はない。


「だが、このままでは住民に被害が出るぞ」


 ローウェルの言う通り、問題はお客さんたちをどうするか、だ。お店を気に入ってくれてる良いお客さんたちなんだけど、喧嘩っ早いのが困りものだね。素直に待避してくれるといいんだけど。


『厄介なことになっているようじゃな』

『みんなカレーをダメにされて怒ってるぞ!』


 どう対処するか悩んでいると、いつの間にか足下にガルナとシロルがいた。どうやら、その辺りの様子を窺っていたみたい。


「え? お客さんたち、バンデルト組に反発してるんじゃないの?」

『もちろん、怒ってるぞ! でも、一番の原因はカレーをダメにされたからみたいだ。鉱人の親方が怒鳴ってたぞ。お腹減ってるんだな』


 シロルがもたらした情報はちょっと気の抜けるような話だった。だけど、まあ、それならなんとかなるかもしれない。


 拡声器ゴーレムを作ってから、声を張り上げる。


「お客様には大変ご迷惑をおかけしております。お詫びに特別なメニューを提供しますので店内でしばらくお待ちください」


 効果は抜群だ。


「何、特別メニュー!」

「こうしてはおれん! 俺は店に戻るぞ!」

「俺もだ! ここはお前らに任せた!」

「任せたって何だよ! さてはお前らで独占するつもりだな? そうはいかねえ!」


 お客さんは競うようにお店に入っていく。これで彼らを巻き込むことはなくなったけど、別の心配ができちゃった。咄嗟に“特別なメニュー”なんて言っちゃったけど、何も考えてないよ。どうしよう。


「おい、てめえら!」

「へい!」


 お客さんが消えて好機と見たのか、まだ埋まっていないバンデルト組のチンピラたちが僕らを取り囲むような動きを見せる。だけど、それを制した人物がいた。


「お待ちを。ここは我々に任せて貰いましょう」


 その男の顔には無数の傷があった。鈍く輝く銀の傷が。


「おい、出しゃばるな! お前らとは協力関係にあるが、あれは俺たちの獲物だ。ここまで面子めんつを潰されて黙ってられるか!」


 傷だらけの男に、バンデルト組を束ねるリーダーらしき巨漢が食ってかかる。この人数を率いているところを見ると、組でも上位幹部にあたるはずだ。


 体格差もある。あれほどの巨漢に凄まれれば怯んでしまいそうだけど、傷の男はつまらないものを見る目を向けて首を振った。


「うるさい男ですね。アナタ程度ではどうにもならないことがわかりませんか?」

「なんだと!?」


 挑発的な物言いに、巨漢がいきり立つ。しかし、傷の男は取り合わない。


「茶番に付き合うのも面倒になってきましたね。すでに教団も組も影響力は低下しているので隠れ蓑としての旨味も少ない。ここらが潮時でしょう。せっかくだから、ぱあっと盛り上げましょうかね」

「お前、一体何を……」


 訝しげに問う巨漢に、傷の男が手のひらを向けた。そこには大きな銀の傷がある。それが怪しく脈動したと思えば――……


「アァ……ガァ!?」


 気付けば巨漢が宙に吊されていた。それを為したのは銀の腕。傷の男の右手の先から、巨大な腕が生えている。


「ヒ……ガァ……止め」


 巨漢から苦しげなうめき声が漏れた。ミシリと響くのは骨が軋む音だろうか。そして、ついにそのときが訪れる。


――ビシャリ


 巨漢が弾け飛んだ。赤々としたものが地面を染めていく。あまりに唐突な出来事に、下っ端たちは状況が呑み込めず、絶句している。


 静まりかえった場に、傷の男の妙に楽しげな声が響いた。


「おっと、資源を無駄にしてしまいましたね。依り代にすべきでした」


 協力関係にあったはずのバンデルド組を資源扱いだ。この人はもう人間性を失ってしまっているらしい。

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