32. とある教団員、未知の料理と出会う
「なははは! 驚かせて悪かったな!」
「いや……もうそれはいい」
ラウヤの目の前で豪快に笑うのは、防壁を動かしたモルブデン組の戦士だ。名をゴブサというらしい。
あのとき、ラウヤは密かにゴブサの様子を窺っていた。が、思わず上げてしまった叫び声はラウヤが思うよりも大きかったらしい。すぐにニヤニヤと笑みを浮かべるゴブサに捕まってしまった。
(尋問でもされるのかと思ったが……)
明らかに怪しい行動だと自覚していたため、ラウヤは牢獄にでも入れられると覚悟していた。だが、実際に連れてこられたのは、どう見てもそうは見えないごく普通の建物だ。どうやら、敵対勢力の関係者だとは思われていないらしい。
(まあ、それならばそれで都合が良い。無駄に警戒させても仕事がやりにくくなるからな)
ラウヤが大人しく連行されていたのは、牢獄に入れられても抜け出す自身があったからだ。例え、魔法を無効化するような仕掛けがあったとしても、銀の力を無効化することはできない。最初の尋問さえ乗り越えられれば、自由に動けるという目算があった。
とはいえ、間者が近辺にうろついているとなると、どうしても警戒が厳しくなる。それを思えば、悪くない状況だ。
「で、どうして、俺をここに?」
「どうしてって、飯屋なんだから飯に決まってるだろ?」
「いや、そうなのだろうが……」
ラウヤの問いに、ゴブサが簡潔に答えた。何を当たり前のことを、と言わんばかりの態度だ。
実際に、飲食店であることは入ってすぐに知れる。店内にはテーブルと椅子がセットで幾つか並べられている。ラウヤたちの他にも客は入っており、何やら料理のようなものを食べているのだ。気づかないわけがない。当然、ラウヤも察していた。だから、聞きたいのはそういうことではない。
「何故、初対面の俺を飯屋に連れてきたのか、と聞いているんだ。それと……ここは本当に飯屋なのか? それにしては妙な香りが漂っているが……」
面倒に思いながらも、言葉を付け足す。後半、声が小さくなったのは、店側に配慮してのことだ。妙な香りと聞いて、褒め言葉ととる店はまずないだろう。余計な摩擦を引き起こさないことは潜入捜査をする上で重要だ。それでも口に出してしまったのは、どうしてもスルーできなかったからである。
強烈で妙に食欲をそそる香り。客達は同じメニューを頼み、無心で口に運んでいる。ラウヤは教団の情報収集要員として様々な国に足を運んでいるが、それでもその料理に心当たりがなかった。敢えて言えば、セファーソン氏族連合国で同じような香りのする料理を食べたことがあるが、見た目は全然違う上、香りもここまで強烈ではなかったはずだ。
「なははは! それそれ、その反応が見たくて連れてきたんだよ! 壁のときはえらく驚いてたからな! 今度も良いリアクションを見せてくれると思ったぜ!」
指まで指して笑うゴブサに、ラウヤは憮然とした表情で“そうか”とだけ返した。ゴブサの無礼な態度に気を悪くしたわけではない。戦士階級……特に下っ端は、粗暴な性格の者も多い。いちいち、気にかけていては精神をすり減らしてしまうだけだ。その手の輩と接触することが多かったラウヤは、凪いだ海のような心でスルーできる。それよりも別のことでショックを受けていた。
(良いリアクションって……もしかして、俺は潜入捜査に向いていないのでは?)
知りたくない事実だった。すでに何年も教団の下で潜入指令をやってきたというのに。とても泣きたくなった。
(いや、違う。この街がおかしいのだ。何もかもがおかしい)
自分に言い聞かせて、ラウヤはどうにか気を取り直す。
「で、結局、ここは何を出す店なんだ?」
「ああ、すまんすまん。ここはカレー屋さ。いや、今は他の料理も出すんだが、別の食堂ができたらカレー一本でやるらしい」
「……カレー」
やはり、ラウヤの知らない料理である。その反応に気を良くしたゴブサが、驚かせた詫びに奢ってやると言って店員を呼ぶ。
「ああ、ゴブサさん、いらっしゃい。そちらは……初めてのお客さんですね」
「やあ、ジェスターさん、そうなんだ。さっきこの街に来たばかりみたいでね。せっかくだから、カレーを食べさせてやろうと思ってさ」
店の奥から現れたのは、店員らしき男。飲食店の従業員にしては体格が良いがそれ以外に不審な点はない。だが、何故かラウヤは違和感を覚えた。
(どこかで見た覚えが。ジェスターねぇ? ……もしかして、バンデルト組のジェスターか!?)
人の良い笑顔を浮かべているので印象はまるで違う。だが、見間違えとは思えなかった。バンデルト組の下っ端を取りまとめているジェスターは、自ら戦いに身を投じる武闘派で、体中に無数の刀傷がある。そう、目の前の男のように。
(何故、ジェスターがここに!? 俺と同じく潜入捜査か? いや、コイツはそういう腹芸ができるタイプじゃないだろ。それすら欺瞞だったのか?)
混乱するラウヤをよそに、ゴブサとジェスターは和やかに会話している。
「カレーをとんかつトッピングで二つ頼むよ! せっかくだから豪勢にいこう!」
「ははは、ありがとうございます」
「カレーはもう、ゴッドトルトの名物だよな」
「……街の名前はゴッドトルトに決まったんですか? グレートモルブデンも候補に挙がっていたと思いますが」
「いや、でもなぁ? たしかに移住者にモルブデン組の関係者は多いが、ぶっちゃけ街の成り立ちには無関係だしさ。トルトの功績が大きすぎて、それ以外に考えられないというか……」
「でも、トルト師匠は嫌がってますよね?」
「いや、まあ、そうなんだけどね」
二人が話しているのは街の名前についてだ。できあがってからまだ僅か十日。街の名前すら決まっていない。モルブデン関係者は、自分たちの貢献度の低さから街に“モルブデン”の名を冠することに抵抗を覚え、一方、トルト関係者は当人が嫌がっていることから“トルト”の名前をつけることに慎重だった。
とはいえ、二人で話し合っても結論は出ない。ある程度のところで話を切り上げ、ジェスターは注文の料理を用意すべく厨房に戻っていく。
会話の中、街の成立に深く関わった人物トルトの名が出たが、ジェスターの思惑について考えていたラウヤは残念ながら聞き逃してしまった。やはり、潜入調査は向いていないのかもしれない。
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