精霊化

「パール婆! いないのか、パール婆!」

「なんだい、ロー坊。騒がしいね!」


 ダンジョンから脱出した僕たちは、真っ先にパールさんの元へと急いだ。家の外からローウェルが呼びかけると、面倒くさそうな返事とともにパールさんが顔を出した。


「まったく、近所迷惑だよ。少しは――」

「パール婆! スピラが!」

「……これは。力を使ったのかい!?」


 パールさんは険しい表情を浮かべて、スピラの状態を確かめている。時間をかけても表情は晴れない。それだけ状態が良くないということだろう。


「良くないね。精霊気が枯渇しかけている……」

「竜の素材なら確保してあります!」

「本当かい!?」


 邪竜から確保した鱗と肉をパールさんに見せた。邪竜の素材というのが少し気がかりだけどね。鑑定結果では青竜の素材となっていた。実際、鱗の方は、邪竜の黒い鱗とは全く違う鮮やかな青い鱗だ。おそらく問題ないと思うんだけど。


 パールはそれらを見てしばらく考え込んだ後、小さく頷いた。


「これがあれば、薬は作れる。トルト、あんたが作りな!」

「えっ? だけど、僕は……」

「いいから、お聞き?」


 森人が精霊化するときには大量の精霊気を身体に取り込む必要がある。普通の森人――というか肉体を持つ種族には精霊気を取り込むことはできないけど、精霊化する森人にだけはそういう素養があるらしい。半精霊化は取り込みと精霊体を維持するための消費が拮抗している状態なんだって。これから作る薬は精霊気の取り込みを強化する効果がある。精霊気を十分に取り込んで、完全に精霊化すれば精霊気をほぼ無尽蔵に取り込めるようになるので命の危機もなくなるんだけど……。


 問題は、薬の効果が馴染むのに時間が掛かるってこと。今のままでは精霊気の取り込みが強化される前にスピラが力尽きてしまう可能性が高いとパールさんは苦々しい口調で言った。


「だから、あんたの幸運値にかけるのさ。前にも言っただろうが、幸運値が高ければ『会心の出来』の生産品が出来る。魔法薬の効果も強化されるだろう。効果の即効性か、強化か。どちらにせよスピラが助かる可能性は高まる」


 そういうことか。でも、僕は調薬の素人。そんな僕に、ちゃんとした魔法薬が作れるんだろうか……。


 正直に言えば、人の命を左右するこんな重要な役目を担うことには躊躇いがある。僕の失敗でスピラの命が失われてしまうことを考えると逃げてしまいたい。とても、怖い。


 だけど、ローウェルの縋るような目を見ると逃げ出すことなんて出来ない!

 それに、スピラは命を削ってまで僕たちを助けてくれた。

 だったら、今度は僕が彼女を助ける番だ!


「……わかりました。僕ができることなら!」

「よく言ったよ! なあに、私の調薬の腕は王都一さ。そんな私が補助するんだ。万が一にも失敗はないよ」


 パールさんが不敵に笑う。

 僕ひとりで作るわけじゃないんだ。パールさんが手伝ってくれるならきっと薬も上手く作れるだろう。そう信じて頑張るんだ。


「まあ、焦らないことだね。スピラは危険に見えるだろうし、実際そうなんだけど、それでも今日明日でどうにかなるわけじゃないよ。あんたがすべきことは確実に薬を作り上げることさ。落ち着いてやりな」


 そう言われて少し気持ちに余裕ができた。もちろん、早く完成させるにこしたことはないので、さっそく作業に取りかかるけどね。


 パールさんの指示に従って素材を処理していく。素材ごとに必要な下処理は違う。それらの知識面はパールさんが逐次教えてくれる。僕がすべきことは指示された処理を迅速にそして丁寧に実行すること。中には魔力の性質的に反発する素材もあるので、反発制御しながら混ぜ合わせていく。


 作業開始から数時間が経過した。窓の外は完全に暗闇に覆われている。いきなり本番の調薬に入るのは無謀だから、何度も処理の練習をしたこともあるけど抽出なんかの時間がかかる処理があったことも作業時間が長引いた理由のひとつだ。でも、そのかいあって、スピラの魔法薬をうまく作ることができた。


「……よし、これなら問題はないはずだよ。あとは効き目が出るかどうかだね。ロー坊!」

「ああ」


 パールさんは魔法薬をチェックしたあと、それローウェルへと手渡した。魔法薬は湿布みたいに貼るタイプだ。ローウェルはスピラの額にその魔法薬を貼った。しばらく様子を見ていると、徐々にスピラの呼吸がしっかりと落ち着いたものへと変わっていった。


「パールさん、どうですか?」

「ああ、これなら大丈夫だ。というよりも思った以上の効果だね。これならすぐに精霊化してしまいそうだね」


 パールさんが保証すると、ローウェルは顔を伏せて小さく「良かった」と呟いた。その言葉が涙声なのは仕方がない。それだけスピラのことが心配だったってことだ。


「あっ、スピラの身体が……!」

『ん? ピカッってしてるぞ? なんだ?』


 不意にハルファとシロルが驚いたように声を上げた。

 たしかに、スピラの身体の周りに光の粒が飛んでいるように見える。光の粒は少しずつ増えていき、やがてスピラの全身を覆った。


「パール婆、これは!」

「心配しなくてもいいよ、ロー坊。スピラは生まれ変わるのさ」


 パールさんの言うとおりだった。光はほどなく収束して――そこにいたのは僕よりも少し年上に見える少女。抱きかかえたローウェルの手の上で少し身じろぎした後、閉じていた両目をぱっちりと開いた。


「スピラ……なのか?」

「……ぅん? お兄、どうしたの?」

「どうしたのって、お前……」

「……わぁ! あたしの身体、大きくなってる!」


 ローウェルの呼びかけに、少女は無邪気に応えた。間違いなくスピラだ。どうやら止まっていた分の成長が進んだ形で精霊化したみたい。たしかに、面影が残っている。でも、精霊になっても中身は変わらないままみたいだね。


「スピラ!」

「うわぁ!」


 感極まったローウェルがスピラを抱きしめようとして……身体をすり抜けた。精霊は精神体みたいなものらしいからね。


「もう、お兄、急だとびっくりするよ」


 だけど、実体化することもできるみたい。さっきまで、うっすらと透けていたスピラの姿がしっかりと輪郭を持ったんだ。


 スピラは、そのままローウェルに手を伸ばし抱きしめた。


「ごめんね、今まで迷惑かけて。そして、ありがとう」

「いいんだ……。そんなこと……お前が無事なら……」


 涙を流しながら、ローウェルも抱きしめ返す。

ローウェルはスピラが半精霊になってから、ずっと魔法薬を作るために行動していたみたいだから、色々とこみ上げる思いがあるんだろうね。


 いつ訪れるかわからない死。二人は普段、それを感じさせなかったけど、それでもずっと恐れていたんだと思う。特に、ローウェルは無力さを感じていたのかもしれない。人生を楽しむなんて余裕はなかっただろうね。だけど、ようやくその重圧から解放されたんだ。これからは二人とも生きることを楽しめればいいな。


――――――――――――――――――――――


第二部はこれで終了です。

当初の予定だともっとのんびりとした話に

なるはずだったんですけど。

ほとんどストックがない状態で走ってるので

話の展開が予想外の方向に流れちゃいますね。


第三部はパワーアップ回?

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