草木の防壁
「トルト!」
叫んだのはハルファだろうか。それすら確認する間もなく、邪竜のブレスが僕らに迫った。思わず頭上に手を翳し、目を瞑る。無防備にドラゴンブレスを受けたら、僕なんかでは耐えられない。
ここで死んでしまうのか。そんな予想に反して、僕の元に届いた冷気はわずかだった。恐る恐る目を開くと、いつの間にかダンジョンの床を突き破って草木が生い茂っている。それが壁となって邪竜のブレスを防いだんだ。
一体、何があったんだろうか?
戸惑っていると、ローウェルが悲痛な声を上げた。
「スピラ! もういい、止めるんだ! そんなことをしたらお前が……!」
「ダメ……だよ! あたし、だって、パーティーの一員……だもん! みんなことを守れる……!」
見れば、透明化していたはずのスピラが姿を現している。手を翳し、必死の形相で何かに耐えるような様子だ。たぶん、この草木の壁を作ったのはスピラなのだろう。草木の壁はブレスを防いでいるが、ところどころ枯れはじめている。それを新たに育った草木が支えることでどうにか均衡を保っているんだ。
今までスピラがこんな力を使ったことはなかった。これほどの力を持っているのなら身を守るには十分だ。だというのに、今まで使わなかったからには、相応の理由があるはず。ローウェルの言葉から推測すると、能力の行使はスピラの寿命を削ることになるんだろう。だから、ローウェルは力を使わせなかったんだ。
それなのに、今、ここでスピラは力を使ってしまった。
僕たちを守るために……!
邪竜のブレスが止んだ。それと同時にスピラも力を使い果たしたのか草木の防壁は朽ち果てて消えてしまった。
「スピラ!」
ローウェルが倒れこむスピラを抱きとめた。ローウェルが何度も呼びかけるが、意識を失ったみたいで反応がない。ヒュウヒュウと苦しそうな呼吸音が聞こえる。明らかに普通じゃない。
「ローウェル! スピラは!?」
容態を尋ねると、ローウェルは泣きそうな顔で首を振った。
……残された時間はほとんどなさそうだ。
だったら、一刻も早く、スピラの薬を完成させないとならない。幸いなことに、残りの材料は
連続してブレスを吐くことはできないのか、ブレスを吐く兆候はない。今が邪竜を倒す絶好のチャンスだ。『破邪の剣』が攻勢をかけて邪竜の気を引いてくれている。この隙を逃してはダメだ。
まずはシャドウハイディングで気配を消す。これでおそらく影討ちが発動するだろう。だけど、普通に攻撃しても大したダメージを与えられない。急所を狙わないと。
気付かれないように、邪竜の背中に近づきシュレッディングストームの詠唱を始めた。シュレッディングストームは、ひき肉づくりに生かせないか訓練したのでかなり細かい制御ができるようになっている。今回は敢えて、殺傷能力を
一瞬で自分の身体が宙に浮いた。威力を抑えたとはいえ、多少の裂傷はできるけど今は気にしない。集中が途切れて魔法の維持が途切れるけど、それも問題はない。身を捩って、どうにか着地に成功した。
残念ながらシャドウハイディングも剥がれてしまったので、再度かけ直しだ。僕が頭の上に乗っていることに気付いているのか、邪竜が煩わしそうに頭を振った。必死に邪竜の角にしがみついて耐えるしかない。その間にも、『破邪の剣』が、そしてゼフィルが攻撃を仕掛けている。時折、眩しい雷光が邪竜を焼く。これはシロルの攻撃かな。
そうなると、邪竜もそちらに意識を向けざるを得ない。しばらく息を潜めていれば、僕の存在が次第に意識から消えていくはずだ。
そうして、邪竜の意識が完全に消えただろうタイミングを見計らって行動を開始する。一息で頭の前面に移動して、邪竜の右目に貫きの短剣を突き刺した!
邪竜が悲鳴のような咆哮を上げる。同時に頭を大きく揺さぶった。痛みに悶えているのか、それとも僕の存在を思い出して振り落とそうとしているのか。瞳に突き刺した短剣を掴んで、どうにか堪えた。
まだだ!
まだ振り落とされるわけにはいかない!
邪竜が大人しくなった隙を見計らって、もう一方の瞳も狙う。貫きの短剣はそのまま突き刺したままでいい。予備の短剣を取り出して、左目に振り下ろした。
ギャンと邪竜が甲高い叫びを上げた。今度こそ悲鳴だ。邪竜は間違いなく弱っている。それでも、竜だけあってその生命力はすさまじい。痛みに耐えかねて大暴れしているけど、まだそれだけの元気があるってことだ。
「いけるぞ!」
誰かが叫んだ。たぶんゼフィルだろう。僕は再び振り落とされないようにするだけで精一杯だ。
「油断するな! またブレスが来る!」
今度はレッセルが叫ぶ。
両目を傷つけたというのに、邪竜はゼフィルたちの位置をおおよそ把握できているみたいだ。頭部をゼフィルたちの方に向けて、ブレスを吐く体勢となった。もうスピラの防壁には頼れない。ブレスをまとめに食らえば人の身で耐えることは難しいだろう。
だけど、問題はない。
そろそろブレスが来ると読んでいた魔術師組が準備していた魔法を邪竜の大口へと投射したんだ。それらは見事に竜の口内に着弾して爆発を起こした。大きな衝撃が起きて吹き飛びそうになる。短剣からは手を離してしまったけど、どうにか邪竜の角にしがみつくことができた。
邪竜はまだ生きている。だけど、かなり苦しそうだ。やっぱり、体内への攻撃は有効みたい。巨大生物を倒すときの定番戦略だからね!
「とどめを刺す!」
「あっ、おい!」
僕は宣言して邪竜の口に飛び込んだ。レッセルが制止するように声を上げたけど、僕は止まらない。このチャンスを活かさないと!
鋭い牙の間を邪竜の喉のあたりまで進む。幸い、武器は収納リングの中にたくさんある。遺跡ダンジョンでシロルの分として分配された武器類はまだ換金せずに残っているんだ。それを一本また一本と取り出して邪竜の喉に突き刺していく。そのたびに、邪竜が暴れるけどお構いなしだ。とにかく邪竜に余裕を与えてはいけない。この状態でブレス攻撃なんてされたらひとたまりもないからね。
武器を突き刺すたびに、邪竜が身を捩るから僕の体もぐわんぐわんと揺れた。だけど、その勢いも徐々に失われていく。もう何本目かわからない短剣を邪竜に振り下ろそうとして――――耳を
邪竜を倒したんだ!
そんな達成感を感じる間もなく、僕の体は宙に投げ出される。どうにか受け身を取って衝撃を殺した。一緒に落下してきた武器類がカランカランと音を立てうるさい。
「スピラは!?」
慌ててローウェルに駆け寄った。彼に抱きかかえられたスピラはまだ息をしている。だけど、その呼吸はとてもか細い。一刻の猶予もなさそうだ。
邪竜が消えた辺りを探る。たくさんの武器類に紛れて、青い鱗と竜の肉を見つけた。念のために鑑定ルーペで確認すると、青竜の鱗と青竜の肉だ。それ以外にも骨や何かがドロップしていたみたいだけど、そんなのは後回しだ。ルーンブレイカーと貫きの短剣だけは拾って収納リングに収めた。
「肉と鱗は譲って欲しい。スピラに必要なんだ」
端的にレッセルに伝えると、彼はスピラを一瞥して頷いた。
「事情はわからないが、猶予はなさそうだな。それは構わないが……どうにかできそうなのか?」
「薬の材料はこれで揃ったから、後は薬師のところに連れて行ければ……」
「そうか。それならこれを使え」
そう言ってレッセルが手渡してくれたのは帰還のクリスタルだった。これがあればダンジョンから脱出することができる。地下水路のダンジョン化が進んだ今、おそらく、かなりの距離をショートカットできるはずだ。
「ありがとう! 残ってるアイテムは適当に拾ってくれたらいいから! あと、これも!」
収納リングからお金が入った袋を取り出してレッセルに手渡した。僕たちの都合を優先してドロップアイテムを譲って貰ったお詫びと、帰還クリスタルのお礼だ。白金貨が数枚入っているはずだから、きっと十分だろう。
ともかく、早くスピラをパールさんのところに運ばないと!
ハルファ、シロル、そしてローウェルとスピラ。みんな集まったところで、帰還のクリスタルを起動した。その直前にレッセルが何か叫んでいた気がしたけど、今はかまってられない。また今度話を聞こう。
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