上半分だけ

 竜はさすがにまずいでしょ! というか黒い竜って何? 黒竜……いや邪竜? 強いのかな? そりゃ竜だから強いよ!


 あー、考えがまとまらない。それくらい竜というのは手に負えない存在なんだ。人間がどうにか太刀打ちできるのは赤竜や青竜くらいだって言われている。しかも、そいつらだってAランク冒険者たちが全力で戦ってようやく勝てるというレベルだ。さすがに『破邪の剣』も竜が相手では荷が重いだろう。


「おいおいおい! 竜だぞ! どうするんだ、レッセル?」

「どうするも何も、ここで退いたら王都は壊滅だろ! やるしかない!」

「だよなぁ……。都合良くAランクの奴らが戻ってきてたりしねえかな」

「全く、肝心なときに役に立たない奴らだ」

「お、言うじゃねえか? 今度逢ったら告げ口しといてやるぜ」

「おい、馬鹿! やめろ!」


 こんなときなのに、ゼフィルとレッセルが軽口を叩いている。いや、こんなときだからこそ、かな。そうでもしないと、竜に威圧されて動けなくなってしまう。少しでも心を軽くしておかないと。『破邪の剣』の他のメンバーも表情は硬いけど、それでも戦うことを諦めてはいない。エイナもそうだ。


 他のみんなはどうだろう。


 ハルファは顔を青ざめて震えている。それでも、視線はしっかりと邪竜を見据えていた。彼女も戦うつもりなんだ。もしかしたら自分の使命なんだと思っているのかもしれない。なんだかハルファらしくない気がする。そっと手を握ると、ハルファは一瞬驚いたような顔をして、微かに笑った。ちょっとぎこちない気がするけど、それでもハルファには笑顔が似合う。


 シロルは巨大化した状態で、邪竜に向かって吠えていた。威嚇してるのかな? さすがに大きさに違いがありすぎてなんだか微笑ましい感じになっている。近寄って頭を撫でたら、シロルもびっくりした顔をしてから、僕の顔をべろんと舐めた。巨大化してるから、ひと舐めで大惨事だ。


 ローウェルは冷静に邪竜を観察している。スピラのためにも此処で退くわけにはいかないと思っているんだろう。ここで僕たちが退いたら、王都のダンジョン化は避けられない。そうなれば、スピラの薬を作るという目標も遠のく。スピラに残された時間はそう長くないことを考えれば、機会を逃したくはないだろうから。


 そうしている間にも召喚陣からせり上がるように邪竜がその姿を現そうとしている。どうにか、召喚陣を止めることはできないだろうか?


 そこでふと思いついた。召喚陣も魔法の一種なんだよね? だったら――


 僕は収納リングからルーンブレイカーを取り出した。付与された魔法関連の効果は軒並み無効化してくれるこの短剣なら召喚陣を破壊して邪竜の召喚を止めることができるかもしれない。


 さすがに近づくのは危ないので、僕はルーンブレイカーを投げた。石床に描かれた魔方陣にぶつかった瞬間、魔方陣が弾けたかのように一瞬だけ強烈な光を放ち、そして光を失った。


 召喚陣の無効化に成功したんだろうか?

 それはわからないけど、召喚は止まった。いや、止まったというか中断したといったほうがいいのかな。邪竜の巨躯がそれ以上召喚陣から出てくることはなかった。だけど、すでに出てきた部分が消えることもなかったんだ。


 つまり、邪竜の一部が床から生えているみたいな状態になっている!

 なんだか、すっごい間抜けな感じだ!


 どうやら、その状態から抜け出せないようだ。邪竜は必死にもがいている。地面から生えているのは上半身の一部。右手は生えてるけど、左手は埋まっている。いや、本当に埋まってるわけじゃないだろうけど。竜がもがいても抜け出せないんだから、たぶん、別の空間に置き去りにされてるんじゃないかな。どうせなら空間ごと切り裂かれて、真っ二つになってくれればよかったのに。


「なんだこりゃ……」

「くはは! トルト、お前なんかやったな!」


 レッセルは茫然と立ち尽くし、ゼフィルは大笑いしている。


「トルト……」


 ローウェルの表情は……なんだろう。さすがにこれはないだろうって表情かな? 竜のかっこよさが台無しだもんね。気持ちは分かる。でも仕方ないでしょ! 僕だってこんなことになるなんて思わなかったんだから!


 それに相手は竜だ。頭部と右手一本とはいえ侮っていい相手じゃない!


「油断しちゃ駄目だよ!」


 僕の警告と同時に、竜の咆哮が広間を揺らした。もがいても自由になれないと悟ったんだろう。その怒りを僕たちに向けるつもりみたいだ。竜がさらに唸るような声を上げると、それに呼応するように無数の氷の杭が生まれ、撃ち出された。


「ちっ、後ろに回り込め!」


 飛来する氷の杭を避け、あるいは弾き、無力化しながら僕たちは全力で竜の後方へと走る。中途半端な形で召喚されたので、竜は自由には動き回れない。せいぜい首や右手を動かせる程度だ。後ろに回り込めれば、僕たちが格段に有利になるはず。


 それでも、一方的に攻撃できるような展開にはならなかった。竜は氷の杭を自分の後方に生成し、飛ばしてきたんだ。完全に死角となっているはずなのに、それなりに精度が良い。とはいえ、気配を探るのに多少手間取るのか、正面で対峙していたときと比べると飛来する杭の数は少ない。僕たちにも十分に反撃する余裕がある。


「食らいやがれ!」


 一番槍はゼフィルだ。竜の背面、僕たちから見て左側の胴体に叩きつけるように大剣を振り下ろした。ガキンと音を立ててはじけ飛ぶ鱗。しかし、ほんの数枚だ。竜の身体には傷もついていない。


「こりゃあ、固えな!」

「集中して狙え!」


 衝撃が大きかったのか、ゼフィルは顔をしかめている。それを見たレッセルが指示を出した。『破邪の剣』はゼフィルとは逆側、左側の胴体を狙うようだ。一点に集中させないのは、さすがに全員で同じ場所を狙うと動きづらいからだろう。それに、竜の攻撃を分散させる狙いもあるはず。


 その時、邪竜の身体から黒い霧のようなものが滲み出した。霧はたちまち拡散し僕らを取り囲む。霧に捕らわれた瞬間に、全身から力が抜けるのがわかった。たぶん、疫呪の黒狼がもたらした呪いのようなものだろう。


「ハルファ!」

「うん!」


 僕が呼びかけると、意図を察したハルファが歌い出した。もちろん〈鎮めのうた〉だ。その歌声が広間を満たすと、すぐに身体の不調は回復した。霧が無効化したことがわかったのか、邪竜は不服そうに唸り声を上げる。


「はぁぁっ!」


 ローウェルの一撃が竜の身体を切り裂いた。鱗を剥いだ隙間を上手く狙ったみたいだ。それでも、竜の傷は浅い。リザードソルジャーを簡単に切り裂いたローウェルの攻撃でさえ、竜の身体に傷をつけるのは容易ではなかった。それでも、手を休めるわけにはいかない。ローウェルに続いて、僕も貫きの短剣を突き立てる。傷を狙ったおかげか、短剣はずぶりと鍔近くまで竜の身体に沈み込んだ。ただ、それでも深手を与えたとは言えない。竜の巨躯に比べて短剣の刃は短すぎる。


 それになんだかおかしい。死角から攻撃したはずなのに影討ちスキルが発動した様子はなかった。やっぱり、なんらかの形でこちらの位置を把握しているんだろう。そうなると不意打ちは難しくなる。それでも常に背後を取れるというのはかなり有利だ。なにせ、竜の攻撃で一番の脅威となるブレス攻撃を警戒しなくても済むからね。


 でも、その考えは完全な油断だった。

 突如、ぐるりと首を巡らせ、竜が僕らをその視界に捉える。大きく開いた顎の奥に、僕は白く輝く氷の息吹を見た……!

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