発酵伝授

 ミンサーの導入できたので、そろそろ屋台を始めようかなと思うけれど、その前にやっておくべきことがまだあった。商業ギルドに、ディコンポジションを使った醤油づくりを伝授しないといけない。


「いやあ、大変でしたよ。こっそりとディコンポジションを習得するのは」


 ニコニコとした笑顔で語るのはルランナさん。なんと、ルランナさんは魔術師の素養があるみたいで、醤油づくりのために自らディコンポジションの習得を目指したらしい。


 ついつい忘れがちだけど、魔法のスクロールを使っても普通は一発で魔法を習得できたりはしない。何度も何度も繰り返すことで、運良く覚えられるものなんだ。そうすると、それなりの数のディコンポジションのスクロールが必要となる。でも、魔術師ギルドでそんな不人気魔法のスクロールを大量に買い込もうものなら、何かあると悟られてしまう可能性が高い。醤油づくりの詳細を伏せたいルランナさんとしては、そうなると都合が悪かった。そこで、口の固い冒険者や伝手を使って、離れた街から少しずつディコンポジションのスクロールを買い集めてバレないように工作したみたいだ。うん、たしかに大変。


 だけど、そのかいあって、ルランナさんは見事にディコンポジションを習得できたみたいだ。そこで改めて、醤油づくりについて説明することになった。


「と言っても、やることは同じですけどね」


いつもの材料を取り出して、魔法を発動するだけだ。屋台の準備のためにかなりの回数をこなしているので、かなり熟達してきた。


「はあ、見事なものですね。私も何度かやってみたんですが上手くいかないんですよね……」


それから、実際にルランナさんにも試して貰ってみたんだけど……。たしかに、最初に僕が失敗したみたいに緑だったり、黒かったり、まだらだったりのぐちゃっとしたものができあがるだけだった。


「うーん、なかなか上手くいきませんね。ルランナさんの闇魔法のレベルはどのくらいですか?」

「レベルは10ほどですが……」


 思ったよりも高い! というか、僕とほとんど変わらない。ということは魔法の技術以外の問題か。イメージ力は……ルランナさんの様子を見るに大丈夫な気がするけど。少なくともディコンポジションで醤油ができることを疑っている様子はない。


 だとしたら……?


 そういえば、パールさんが生産技能において、幸運値の影響は大きいって言っていたよね。ひょっとしたら、そのせいかも。だとしたら、ちょっと困ったことになる。僕以外に作れないんじゃ、製法を伝える意味がないからね。


「うーん。要は菌を増やせばいいんだよね。元の菌がいれば成功率が高くなったりしないかな……?」

「はい? きん……ですか?」

「ああ、いいえ。独り言です。ひとまず、醤油を作ったときの絞りかすを混ぜて試してみましょうか」


 クリーンで殺菌処理する前の絞りかすには、発酵させるための菌が残っているはずだ。もしかしたら、これでうまく行くかもしれない。


 この予測は大当たりだった! さっきまで失敗続きだったルランナさんがついに醤油づくりを成功させたんだ。クリーンで殺菌処理をして少し味見していると、味も僕が作ったものに近い。問題なさそうだ。


「成功ですね!」

「本当ですか! 成功したときの残留物を混ぜると成功率が高まるわけですか。不思議ですね。それに、トルト様、さきほどクリーンをした理由は……?」


 ルランナさんは成功を喜びながらも、しっかりと情報を逃さない。僕がクリーンを使った理由が気になっているみたいだ。以前見せたときには過熱処理をするように言ったもんね。観察力がすごい。


 どうしようか。クリーンの殺菌処理について説明するには菌に関しての知識がいる。ディコンポジションについても菌の存在を知っていた方が上手く扱えそうだ。さっきの、絞りかすを混ぜた理由にもつながるしね。


 考えた結果、菌の知識について開示することにした。証明したりはできないから、あくまで仮説としてね。目に見えない微生物の存在なんて、なかなか信じがたいと思うんだけど、ルランナさんは意外とあっさりとその知識を受け入れた。


「信じがたいですし、ひょっとしたら仮説にも誤りがあるかもしれませんが、その知識で上手くいっているのでしたら、受け入れて活用するのが現状でできる最善手ですよ」


 ルランナさんはニヤリと笑みを浮かべた。いつもの柔らかい微笑みじゃなくて、どことなく獰猛さを感じさせる笑顔だ。たぶん、これが素なんだろうね。菌の知識を使って儲けにつなげられないか、そろばんを弾いているところなんだと思う。この世界にそろばんはないみたいだけどね。


「ところで、発酵ですか? この技術があれば、他にも色々と加工品が作れそうな気がしますね?」


 さすが、ルランナさんだ。鋭い!


 実は、僕もディコンポジションで作ってみたものがあるんだ。発酵食品っていろいろあるからね。せっかくだから、ここでお披露目してもいいかもしれない。


 というわけで、僕のここ最近の成果をご紹介しよう!

 今のところうまくできたのはふたつ。


 まずは、砂糖水をアルコール発酵させたお酒!

 これは割と簡単にできあがった。自分では飲んでないけど、ローウェルに飲んで確認してもらったんだ。わりとしっかりとお酒になっているみたい。甘いのかなって思ったんだけど、全然甘くはないんだって。糖分が全部アルコールになったってことかな? ディコンポジションを調整できれば甘いお酒ができるかもしれないけど……さすがに自分で飲まないものをそこまで極めるつもりもないかな。


 そして、もう一つがチーズ!

 残念ながら農場で買うことはできなかったけど、なければ作ればいいんだよね。最初はどろどろとしたまま固まらなかったんだけど、何度か試しているうちに固形のチーズができあがるようになった。イメージ力の勝利だ! これがあれば、テリヤキバーガーの他にチーズバーガーも提供できるようになるぞ!


 あんまり人に披露する機会がないからノリノリで説明していたら、ニコニコ笑顔のルランナさんからがっしりと肩をつかまれた。おかしい。ニコニコ笑顔のはずなのに底知れない恐ろしさを感じる


「トルト様、まずはそちらについての契約を結びましょうか?」

「ひぃ!?」


 何故だか悲鳴が漏れてしまった。いや、なんか怖かったんだよ。そのあと、ルランナさんからはお説教を受けることになった。商機につながる情報を軽々しく人に話したりしないように、だって。


 僕は別に商人になるつもりはないんだけど……と思ったけど、もちろん口には出さなかった。お説教が長引くのは目に見えてるからね。

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