醤油づくりの秘儀

「ああ、申し遅れました。私はルランナと申します。お二人のお名前を伺っても?」

「え? あ、はい。トルトです!」

「ハルファだよ!」

「わふ!」

「あら、ふふふ……」

「この子はシロルですね」


 僕たちが話しているのは、さっきの談話スペースとは違って、きちんとした個室。醤油に並々ならぬ感心を持ったルランナさんによって、あっという間に連れてこられた。もちろん、僕たちが同意したからなんだけど、なんだかいつの間にか言いくるめられていた感じ。


「トルト様、ハルファ様。屋台の手続きに関しては承知しました。手続きはやっておきますので、明日には使えますよ。使用料はこちらからお願いがありますので今回は不要です」


 一応、目的としていた屋台の手続きについては達成できたみたい。しかも、使用料が無料になった。タダより高いものはないっていうけど、今回に限ってはなんとなく狙いも分かっているからそれほど警戒はしていない。


「それで、こちらからのお願いですが……、醤油の製法を買い取らせてもらえないでしょうか」


 ルランナさんの要求は概ね予想通り。僕としては、製法を教えるのは全然構わない。ただ、商業ギルドで製法を独占するという話になるとちょっと都合が悪い。なぜなら、できるだけ醤油が広まって欲しいから。醤油が広まれば、作り方や使い方の研究も進むだろうからね。僕の料理知識はたいしたことないから、いろんな人の力によって発展させてもらったほうがいいと思うんだよね。


 そういうことを踏まえて話し合った結果、こんな感じになった。


 まず、僕は醤油の製法を商業ギルドに教えて、その管理を商業ギルドに一任する。商業ギルドは、ギルド員の中から希望者を募り、醤油の生産に携わる商人を選び製法を教える。商人は生産し売却する権利を得る代わりに、利益の一部を僕と商業ギルドに支払う。


 もちろん、このルールが適用されるのは、商業ギルドから製法を学んだ商人だ。元々、独自に醤油を作っていた翼人たちには適用されない。もし、翼人たちから学んだ商人がいたとしても同様だ。どちらの方法で作っているのか、見分けるのは簡単。僕の方法は本来の工程とはまるで違って、ディコンポジションの魔法でささっと作っちゃうからね。


 問題は、僕以外の人にディコンポジションで材料を発酵させることができるかどうかなんだよね。魔法はイメージの問題だから、僕が実際に作ってみせれば出来るようになるんじゃないかと思ってるけど。


「ほ、本当に、腐敗の魔法で、醤油ができるんですか……?」


 ここまで説明したところで、ルランナさんが及び腰になった。やっぱり、発酵の概念がないと受け入れがたいんだろうね。


「実際に作ってみましょうか」


 ルランナさんの常識を覆すには、実際に作ってみるのが一番だ。ひとまず、発酵させる前の原材料を収納リングから取り出す。原材料というのはもちろん、豆と塩と麦を混ぜた塊のことだ。まあ、この辺りは試行錯誤してより良い醤油を作って欲しいんだけど、まずは基準となる作り方として僕が作るときの材料や分量を教えた。


「で、これにディコンポジションを使うんですけど、このときイメージが重要です。腐敗のイメージはできるだけ捨てて、おいしい醤油ができるとイメージしてください」


 今度は醤油を収納リングから取り出してから、少し味見してもらう。完成形がわかっていないとイメージできないからね。ついでに、屋台で提供する予定の甘辛だれの肉串も試食して貰った。


「これが醤油。独特の旨味がありますね。今までにない味……これなら、人気が出そうですね!」


 腐敗の魔法と聞いて下がっていたルランナさんのテンションもすぐに戻ってきた。試食して貰ったのは正解だったね。あとは、実際に作って見せれば、納得して貰えるだろう。


「それではいきますよ。〈ディコンポジション〉」


 魔法で材料を発酵させる。もう何度もやっているから、安定して醤油を作ることができるようにはなったんだよね。味もかなり納得いくものができあがっている。ハルファの故郷で作っている醤油とは微妙に味が違うらしいけどね。


「この塊を絞って得られるのが醤油です」

「たしかに、さっきの醤油と同じようなものができていますね!」


 ルランナさんはすでにディコンポジションへの忌避感がないみたいだ。今できたばかりの醤油もさっそく味を確認しようとしているので、慌てて止めた。一応、僕たちもクリーンで殺菌してから使っているからね。菌のことを知らないとクリーンで殺菌するのは難しいから、過熱処理することにしておこうかな。


「ありがとうございます、トルト様。確かに醤油の製法は把握できました。ただ、問題がありまして……。闇魔法はともかくディコンポジションを使える人材がギルドにいないのです。後日改めて、ご教授いただくことは可能ですか?」

「あ、そっか。そうですね。わかりました」


 忘れてた。ディコンポジションって不人気魔法だったね。そりゃあ、使える人はいないか。魔法を使っての醤油造り、思ったよりも大変だったかも。それでも、一度造れるようになれば魔法でサクサク造れちゃうから、本来の工程に比べるとかなり楽だけどね。


 それがわかっているのか、ルランナさんは相変わらず乗り気だ。むしろ、ある程度の困難さがあったほうが、製法を特定されづらいからいいみたい。契約を結んでいない商人に模倣品を造られる心配がなくなるんだって。そういう考え方もあるんだね。


「それにしても、醤油はいい調味料ですね。さきほどの甘辛だれも素晴らしい味でした。これなら料理コンテストに参加しても、いい順位が狙えそうです」


 ルランナさんも甘辛だれを気に入ってくれたみたいで、そう言って褒めてくれた。その話の中で出てきたのが、料理コンテストの話題。どうやら、もうしばらくすると、王都でお祭りのような催しものがあるらしい。その中で料理や武具のコンテストがあって、上位を決めるみたい。上位入賞者には景品もあるので、参加者は多いって話だった。


「ねえ、トルト! 私たちも挑戦してみようよ!」


 話を聞いているうちに、ハルファは乗り気になったみたい。たしかに、醤油を使った料理で参加すれば、翼人に対するアピールにはなるかもしれないね。上位が狙えるかどうかはわからないけど、挑戦してみるのはありだ。


「ふふふ、ギルドとしては歓迎しますよ。最上位の景品は赤竜の肉なので、頑張ってくださいね」

「竜の肉……!?」


 竜といえば、強い魔物の代表格。もちろん、竜にも種族によって、強い弱いはあるけどね。最強格の竜になると人が対抗できる存在ではないって話だけど、あんまり強くない竜種なら上級冒険者には狩れるんだって。それでも、滅多にないから、その素材が市場に出回ることは稀だ。


 そして、希少なだけではなくて、素材としての価値も高いんだ。竜の肉は極上の味だって聞いたことがある。もちろん、普通なら平民が手に入れられるものじゃない。それだけ、商業ギルドはコンテストに力を入れているんだろうね。


 ただ、僕が驚いたのは、景品の豪華さに、ではない。

 実は、ローウェルの探している最後の素材が竜の肉と鱗なんだ!

 凄い偶然だよね。


「あの。鱗ってあったりはしないんですか?」

「鱗は鍛冶部門上位の景品ですね」


 あるんだ……。

 料理コンテストを頑張る理由が出来たね! 鍛冶コンテストの方はさすがにどうにもならないけど、優勝者がわかれば交渉でどうにか手に入れることもできるかもしれない。スピラの薬、思ったよりもすぐにどうにかできるかも。

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