10.聖女なんて
なぜ、あの女は生きているの? 確実に殺すよう、そう伝えたのに。
目障りな女。本当にむしゃくしゃする。
「わしに、一体なんの用があるっていうんだ?」
陽が落ちてすぐ、いつもの場所へ呼び出されてイライラを隠せない。
街の外れにある廃村。石造りの基礎や、屋根だけ抜けた家々の壁がぽつぽつと残っている。
ここは昔、奴隷取引で生計を立てていた村だと言ってたっけ。
ま、どうでもいいんだけど。
「そんな突き放すようなこと、言わないでくれよ。次に何をしたらいいのか、聞きに来たんじゃないか」
建物の影から男が現れた。
何をしたらいいか、だって? こっちの命令ひとつも守れないような男に用はない。
でも、この目の前に突っ立っている浅黒い肌の男を利用しなければ、イグラント王国を戦争へと仕向けることができない。
表立って、自分で動けないのが面倒くさい。
「あんたの言う通り、たくさんの娘達を尊い犠牲に選んで来た。なのに何も起きないじゃないか。まさかあんた、俺を騙そうってんじゃないだろうな?」
「何を馬鹿なことを」
頭の良い奴かと思っていたのにとんだ見当違いだったようだ。血気盛んなだけで、自分の頭で考えることができないらしい。
「わしは奴隷として連れて来られたのに、その国に肩入れしているというのかね?」
「どうだろうな。あんたは傭兵として、この国へ売られたんだろ? 踊り子や性奴隷として売られた娘達に比べれば、はるかに良い思いができただろうよ」
吐き捨てるように言う男。
奴隷として売られるとしても、ランクがあるなんて、本当に馬鹿な考え方をする。
この浅黒い肌が、イグラント王国に住む愛好家達の興味を引いて、たくさんのうら若き乙女達が犠牲になったのは、まあそれなりに? 可哀想だとは思うけど。
ウィジャラだって、イグラントの乙女の肌の白さがほしくて攫ってるんだから、同じ穴の狢よ。
「そもそも戦争までしなくたって、聖女様を連れてくることができれば、それでよかったんだ。聖女様さえ来てくれれば、他国から一目置かれる存在になるし、貿易や国交ももっと円滑に進んで国が豊かになるだろう?」
「聖女様は魔法や神殿や王族に守られているんだぞ? そんな簡単に連れ去れるわけないだろう」
この男の国も、今立っているこの国も、聖女聖女って本当に鬱陶しい。
聖女だからなんだって言うの? 行きたくもない慈善事業に参加させられたり、興味もない授業を受けさせられたり、しきたりを押し付けられたり。挙句、こうして聖女だからと命や存在を狙われ、その価値を問われるなんてたまったもんじゃない。
「聖女様はなんでもできるお方なのだろう? イグラントなんて堅苦しい国に縛られているよりも、我らの国で自由にお過ごしいただいた方がいいに決まってる」
結局、この男もそう。
聖女、という名の便利な道具くらいにしか思っていない。
でもそうして私を取り合って、イケメン達が火花を散らすのを見るのは何度見ても最高の気分にさせてくれる。
結局、それが楽しくて
「とにかく、俺達は早く聖女様を連れて来るか、戦争に勝利しなければならないんだ」
「そこだが、貴様が殺したと言う赤い目の女、まだ生きているぞ」
「なんだと!?」
「だから戦争にならぬのだ。あの女を殺さないから」
「あの女、大貴族レトゼイアの娘だと言っていたぞ!? 我らの国にも貢献している貴族の娘で、そんなことをしたら」
「そんなことをしたらなんだというのだ? 戦争を起こすのだろう? まさにうってつけの人間じゃないか」
「それはそうだが……。いや、死んでいないとはどういうことだ? 俺の呪いはその者が命を落とすまで続く呪いだぞ!?」
「わしの情報によれば、間違いなく生きている。一体どういうことだ? 確実に殺せと、そう言ったはずだが? 先の言葉通り、まさか情けをかけたのか? ウィジャラに貢献している大事な取引先だからか? 貴様の覚悟とやらはその程度のものだということか?」
「そんなこと! あるわけ」
カッと血が上ったのか、大きな声を出す男。
「大きな声を出されると困るのは、お互い様だろう?」
私は男の口を塞ぎ、睨んだ。
夜の暗闇の中、風に乗って街の音がうっすら聞こえる。虫が鳴き、そよそよと草の揺れる音が静かに響く。
こんな騒ぎを聞きつけられたらたまったもんじゃない。計画が台無し。
いいから、早く私の言う通りに動いてよ。
「―――い、わ―――」
私の手の下で男が何かを話している。
急に動いたせいで外れたフードの下の顔。それがあまりにおぞましいから、怖がっているの?
丸坊主の頭に、幾本もの痛々しい傷が走っていて、顔の半分は原型をとどめていないこの顔。
こんなに怖い顔にするつもりはなかったんだけど、舐められたら困るし、このくらいインパクトがある方が、何かとやりやすそうだったから。
「わかればいいのだ」
そっと男の顔から手を離す。男の顔の脂が手について不快。早く帰りたい。
と、男は私のその手を掴んだ。
「俺は、あんたを信じたい。だから、嘘だと、そう言ってくれ」
は? なんの話?
どこか泣きそうな、情けない顔をしている目の前の男。
と、思う間に、男は袖から白く光る何かを取り出し、私の手首に嵌めた。
「なんだ、これ、は」
バチバチと強い痛みが身体に走った。
痛い。
耐えられなくはないけど、あちこちが痛い。
電気を流されたら、こんな感じ?
「ぅぐっ……」
くらくらする頭に違う衝撃が走った。
手足の先からさらに痛みが広がっていく。
なんなの……。
「なんと……」
目の前の男は呟き、恐れ、じりじりと後ずさりをしている。
そういう間に、バチバチとした痛みはピークを迎え、ひと際強い痛みを残して、消え去った。
「なにが」
慌てて口を押さえた。
細い指が、自分の口を押さえている。
私の声だ。
変身した、男の声じゃない。
ぱっと手を見れば、やっぱり白く細く美しい私の手。
大きなフードはダボついて、裾が絡まる。
身長も縮んだ。
声も戻っている。
なんで!?
なんで!?!?!?
どうして変身魔法が解けたの!?
「おまえ、何をした!」
私の口から金切り声が上がる。
白いブレスレットを外そうとするが、どうやっても外せない。
これも魔法だっていうの!?
「なんということだ……。そんな、聖女様……」
うわ言のように呟く男を正面に見据える。
そうだ、正体がバレたなら、なかったことにしてしまえばいい。
どうせ、奴隷じゃない。
いなくなったってわかりゃしないわよ。
「なぜだ、なぜなんだ、聖女様……」
「もういらないわ」
男へ向けて業火の炎を吐き出した。
つもりだった。
「お止めなさい!!!」
私の目の前に見えない壁が作られ、男に魔力が届かない。
こんなくだらないことをするのは誰?
「信じたくないものですね。聖女と崇められた貴女が、戦争を引き起こそうと画策した黒幕だなんて」
物陰から出てきたのは女。
あいつ、エヴァリアじゃない。
「あんた、なんで生きてるのよ? こいつの呪術は本物だったのに」
「嘆かわしいことですわ。そんなことで
「黙れ! なんで今回は私の思い通りにならないわけ!? いつもいつも私の思い通りに世界が作られてたのに!」
「まぁ、大きな声ではしたない。思い上がるにもほどがありましてよ? 可哀想なウィジャラの民よ。あなたも罪を償うことになるでしょうが、こんなに震えて」
エヴァリアが男へと言葉をかける。
その声に縋るように首を垂れる男の姿を見て、もう使い物にならないことがわかった。
「うるさいうるさい! あんたを見てると虫唾が走るのよ! 私をチヤホヤするために作られた世界のクセに! その登場人物にすぎないクセに! デカい顔して私に説教するその顔、存在、全部気に食わないのよ!」
「かわいそうに。精神が不安定になってしまったのね。とはいえ、貴女の起こしたことは許されることではありませんわ」
「あんたこそ、こんなことしてタダで済むと思ってんの!? 私は聖女よ! この世界の主人公なのよ! 悪役令嬢なんかに私をどうこうできるなんて思わないで!」
「私の婚約者を、悪く言うのはやめてもらおうか」
物陰からさらに人影が出てきた。
やった、エドワードじゃない。
「エドワード様」
「エド! こんな女の言いなりになっちゃダメ! こいつ、エドのことを騙そうとしてるのよ! 私の言うことを聞いて」
「エヴィ、大丈夫かい?」
「ええ、なんともありませんわ」
「ねえ、エド! 聞いてるの!?」
「はぁ。なぜ、私が、そなたの言うことを聞かねばならないのだ?」
「なんでって決まってるじゃない! この世界のヒロインはわたし! メインキャラクターのあなたが心配して助けるべきなのは、私なのよ! この戦争の仕掛けとか、エヴァリアのせいにしちゃえばいいのよ、そうよ! 私は巻き込まれた可哀想な聖女で、それをかっこよく助けてくれれば丸く収まる」
「おだまり!!!!!!!!!!!」
空気がビリビリ揺れるほどの圧だった。
思わず怯んでしまった自分が憎い。
こんな女、どうせ断罪されて死ぬ運命なんだから。何を怖がっているのバカ。
「私は主人公なんだから当然」
「おだまり、と、聞こえなかったのかしら? 貴女に反省の色が少しでもあれば、と期待した
「……
ガチャリと言う音共に、首に何かをつけられた。
と同時に、両手は後ろ手に拘束され、前に倒れてしまった。
土と青い草の匂いが、鼻から入って来る。
身をよじって背後を見れば、冷たい瞳のユーリックが立っていた。
「ユーリック……!」
認めない。
こんなの、絶対おかしい。
どうしてエヴァリアに肩入れするわけ?
「認めないわ! 私は認めない! この世界の法則を無視するなんてあり得ないことよ!」
「泣こうと喚こうと、もう無駄なことよ。貴女の言動、行動は、全て録音録画されているわ。そうそう、これを今見ている民も多くいるはずよ」
そう言うと、エヴァリアの周りに丸い球状の魔道具がふわふわと漂ってきた。あれが全部カメラで、ライブされてたっていうの?
はぁ?
なんなの、一体。
「言い逃れなどさせませんわ。我がイグラント王国を危険に陥れ、かつ友好国のウィジャラ王国との国交を断絶させ、互いを憎しみ合うよう仕向けたこと、及び貴女の計画によって犠牲となって散ってしまった命の数々。貴女の命で1つでは到底足りませんけど」
嘘だ。
嘘だ、嘘だ!
「エド」
「気やすく名を呼ぶな」
吐き捨てるように言ったその声は、何よりも冷たく鋭い声だった。
こんな声、聞いたことない。
「ユーリック」
あなたは私を助けて命を落とす、尊いキャラクターよ?
見上げる私には目もくれずに、エヴァリアだけを見ている。
「ラジーに会わせて」
「貴様、我の名を気やすく呼ぶなど、今すぐその首を刎ねてやろうか」
朽ちかけた家の壁に背中を預けたラジアが、私を殺しそうな目で見ている。
どうして。
どうしてよ!
「あんたさえ、あんたさえいなかったら! 今頃みんな私の味方だったのに! こんなの許されないわ! 信じらんない! あり得ない! 全部壊してやる!!!」
ありったけの魔力を爆発させた。
はずなのに。
何も起こらない。
起こらないどころか、どんどん体力を消耗していく。
「みっともないですわね。貴女が何かしでかす前に、今回は先手を打たせていただきましてよ。そのお似合いの首輪は貴女の魔力を全て無効化してくれるんですの。魔道具というものは、なんて頼もしいんでしょう」
クスクスと笑うエヴァリアの顔が憎い。憎い憎い憎い。
「貴女自身の人生を振り返る猶予をたっぷりと与えたいところですが、残念ながらそういうわけにはいきませんの。3日後、処刑台でお会いしましょう?」
「連れていけ」
信じらんない。
いや、信じない。
こんなのは私の知る聖女伝説の世界じゃない。
可哀想なのは私だったじゃない。
エヴァリアなんていう悪役令嬢は無様に死ぬべきなのに。
それを少し手伝っただけじゃない。
今までだってそうしてきて、何の問題もなかったじゃない。
なのに突然、どういうことなの?
私が断罪なんか、されていいはずがない。
……そうか、これはきっと夢なんだ。
「さっさと歩け」
王宮の騎士達に引かれて、罪人のように歩いて行く。
夢だ、夢に違いない。
こんな無様な聖女がいるもんか。
「あは、あははは。あはははははは!!!!!!」
早く。
早く、次の世界よ始まって―――。
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