8.助けてくれるのね……

「馬鹿な!?」


「そ、そんなわけはないでしょう!!!」


「本当なのか!?」


 マシューとエドワードが声を上げた。


「何かの間違いではないのですか? まさか、聖女ともあろうお方が……」


 信じられない気持ちで、私も声を上げる。いくらなんでも、ワカナが、聖女本人が戦争を仕掛けて来るなんてとても信じられない。だって、どうして? なんのために?


「いいえ。残念ながら、本当のことです。お嬢様の髪の毛に誓った通り、嘘偽りなく真実でございます」


 未だかつてない程、レオンの眼差しは真剣そのものだった。


 それもそうか。聖女が黒幕だなんて、それこそ首が飛ぶだけでは済まないスキャンダラスな事実だもの。


 はぁ……。一体どういうことなんだろう……。


 この聖女伝説という物語の世界の中で、唯一しがらみもなく自由に、他人には持っていないものをたくさん持っていて、何もしなくても誰からも愛される、そんな主人公が、一体なぜ。


「わからないですわ……」


 気がつくと私の口からはそう言葉が漏れていた。


「えぇ、お嬢様の言う通りです。俺にもわかりません」


 レオンは私の言葉に頷いた。


 ふっと足の力が抜けそうになった。


 今までの、ワカナの行動が蘇ってくる。私に、エヴァリアに向けたワカナの敵意や、そのくせ絡んでくる不可解な行動。


 私は、そもそもワカナと関わりたくなかった。悪役令嬢と主人公なんて相性が悪すぎるし。だから避けていたのに。なるべく穏便に済ますようにしてきたのに。あの必死の努力はなんだったんだろう。


 ただただ一方的に嫌われていたってことなんだろうか。エヴァリアが悪役令嬢だから、理由もなく、そういうものだからと嫌っていい存在だっていうのだろうか。


わたくしが、それほどお嫌いだった、ということでしょうか」


 気丈に、嫌味っぽく言ったつもりなのに、エヴァリアにはあるまじき、弱々しい少女のように言ってしまった。


 しまったと思った時には、駆け寄ってきたエドワードにそのまま抱きしめられた。


「エヴィ、君が気にすることじゃないんだよ。君は、私の婚約者で、大貴族レトゼイアの1人娘だ。誰に後ろ指さされることもない、勇敢で思慮深い素敵で立派な女性だ。たまたま聖女と名付けられただけの人間ごときに、そんな悲しい顔をしないでくれ」


「…………」


 ごとき・・・とか。エドワードがそんなふうに励ましてくれるなんて驚いた。


 ワカナが私にしたことは許せないし、悲しいし、怒りも湧く。だから今気持ちがぐちゃぐちゃしてる。それでも、エドワードの気持ちは嬉しい。


「やっと笑ってくれたね」


 私の頬に両手をそっと添えて、私の顔を覗き込むエドワード。その顔は心から安心したような、温かな笑みだった。


 スッと通った鼻筋の両側に、大きなキリッとした瞳。長い睫毛の一本一本が、キラキラと揺れている。その微笑みに吸い込まれてしまいそう……。


「はいはい、そこまでねー」


 パンパンと手を叩くレオン。さっきまでのかしこまった調子はどこへやら、普段通りのへらへらとした口調に戻って言った。


「2人の世界に入るのはこっちの問題が片付いてからにしてくれる~?」


 ニヤニヤとこちらを見ているレオン。言われた途端に恥ずかしくなった。


 慌てて離れようとするけど、エドワードは反対にぐっと私を抱き寄せた。


「何か、問題でも?」


「んふふふふ、いや、問題はないです」


 口元に手を当てて、心から楽しそうにレオンが笑う。


「……それで? 聖女である高橋嬢がその黒幕だという確かな証拠はあるんですの?」


「いやぁ、それがねぇ」


「まさか、何もない、と?」


「うーん。どうやら姿かたちを変えてるんだよね~」


「それは……」


 自分の姿を変える、という魔法は、聖女伝説で聖女が扱える範囲外だったはず。というかレオンの専売特許で、ほとんどの人がその魔法を扱えない。とても高度な魔法のはずなのに。


 私だって原作から逸脱してると思うけど、聖女であるワカナはそれ以上だ。


「俺と同じか、それよりもすごい魔法っぽいんだよなぁ。相手はウィジャラ王国の人間で、魔法なんか知らないから。目の前にいる人間が、本当は違う姿かもしれないなんて、それこそ思いもよらないんだろうよ」


「その時の高橋嬢はどのような姿ですの?」


 私の肩にかかるエドワードの手に力がこもる。


 そういえば、私、さっきエドワードに婚約破棄を伝えたばかりなのに。こうして気遣ってくれるのは、やっぱり王子様だから、なんだろうか。


「年老いた男の姿だ。腰は曲がり、しゃがれ声で、深い皺の刻まれた顔は日に焼けて、とても偽物には見えない」


「なぜ、ウィジャラ王国の者は、その男の言うことを信じてわたくしを攫ったんですの? イグラント王国に恨みがあるのであれば、我が国の民の言葉は受け入れがたいものだと思いますけど」


「そこなんだが、聖女様が扮した男というのが、ウィジャラ王国から奴隷としてこの国に来た男らしいんだ」


 また奴隷の話。


 奴隷制度を廃止したのになくならないということは、それを欲している人間がまだまだ多く居るということ。


 人間のことを何だと思ってるんだろう。


 正義感と言うにはあまりにもおこがましいけれど、この国に住む人達を想う心が私の中にも確かにあって、その気持ちを踏みにじられるような、命をモノとして扱われていることに対する苦しさや、変えたいのにすぐにはできないもどかしさなんかがざわざわと神経を高ぶらせている。


 当事者である彼ら彼女ら、その家族や恋人、友人である彼ら彼女らの、許せない嫌悪感は、どうしようもできない悲しみはどれほどのものか、想像するだけで苦しくなる。


「100年も前に廃止した制度を、どちらの国も守っていないということですわね……」


「エヴィ、私が王となり、ウィジャラ王国でラジアが王となった時、必ずやその悪しき制度を根絶すると約束する。必ずだ。こんなことは、間違ってる」


 力強くエドワードが私に言ってくる。


 この人は婚約破棄を提案した女に、どうしてこんなにまっすぐに言葉をかけられるのだろう。


「ありがとうございます、エドワード様。ですが、今は高橋嬢を捕らえる方法を考えなくては。ウィジャラ王国の呪術師については、ラジア様が捕まえてくださるはずです。でもわたくし達が聖女を捕らえられなければ、ウィジャラ王国内にて更なる被害者を生んでしまいますわ」


「そうそう、さすがお嬢様」


 ふざけたように言ってくるレオンを睨む。


「でも証拠がないんでしょう? 高橋嬢を、聖女に罰を与えるための確かなものが。それなら、動かぬ証拠を押さえなければなりませんね」


 私がそう言うと、みんな次々に声を上げ始めた。まるで、その言葉を待っていたみたいに。


「ウィジャラ王国の呪術師と聖女が、戦争を企てているその場を押さえなければならないな」


「映像と音声を録音する魔道具でしたら、あまり流通していない精度の高いものがルクブルグ商会で持っていますので、どうぞお使いください」


「取り押さえることでしたら、俺かユーリックがいいでしょう。大貴族レトゼイアの1人娘であるお嬢様を守るために日々鍛錬している我々の方が、隊で動く騎士団よりも臨機応変に動けると思います」


「うむ。ウィジャラ王国の呪術師についてはラジアが、己の存在にかけて間違いなく探し出すはずだ。その呪術師に聖女を呼び出すように指示しよう」


 もっと聖女であるワカナを擁護したり、捕まえることに難色を示すと思っていたのに、私の想像と違っていた。まるで1つのチームのように、作戦を考えているこの光景を、私の言葉も存在も軽んじられないこの状況を、エヴァリアにも見せてあげたかった。


「なあ、言い逃れできない状況を作らなければならないってことだけど、変身する魔法を他人が解除するのって、本当に大変なんだぜ?」


「そうですわよね……。魔力を無効化する魔道具などはないんですの?」


「ないことはないですが、そうすると証拠を押さえる魔道具が作動しません。その魔道具から一定の範囲内の魔力を無効化してしまうのです」


「なるほど、そうなると目の前で変身魔法を解除させるしかないな」


「お言葉ですが、そんなことを言って聞くようなお方なんでしょうか。力づくで捕まえますと、ウィジャラ王国から更なる反感を買いそうですよ」


「何か、方法はないんでしょうか……」


 あちらを立てればこちらが立たず。


 何かいい方法はないの?


 原作の聖女伝説で、何かなかったっけ……。


 いや、そもそもこの状況がおかしいんだもん、原作知識があったって、なんの役にも立たない。


 このまま、戦争を止められないの? ラジアに言っておいて、私は約束を守ることができないの?


「ない、ことは、ない、が」


 歯切れ悪く言葉を発したのはレオンだった。

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