3.出掛けなくちゃ……

『エヴィ、庭の薔薇が綺麗だったから摘んできたよ』


『エヴィ、体調はどう? 食事はちゃんととってる?』


『エヴィ、よく眠れたかい? 良い朝だよ』


『エヴィ、エヴィ……』


 エドワードは言葉の通り、本当にレトゼイア宅に泊まって暇さえあれば私の部屋に来て、私の様子を見ていた。毎日毎日、おはようからおやすみまで私の顔を見つめていて、飽きないのかと不思議な気持ちになる。


「お嬢様、お手紙が届きました」


 いい加減機嫌を窺われることにウンザリしていた頃、イリナが手紙を持ってやってきた。


「こちらへ」


 未だベッドの上で生活することを余儀なくされている私の元に、届いた手紙。来ないかもしれないと半ば諦めていたものだから、届いたというその言葉に嬉しくなった。はやる気持ちを抑えつつ急いでその手紙を受け取った。


 シンプルだけど質のいい紙に押されているのは、ルクブルグ家の封蝋印。濃い緑色の高級そうな蝋が鈍く光っていた。


『エヴァリア・レトゼイア様。薔薇よりもお美しく輝くエヴァリアお嬢様は、いかがお過ごしでしょうか。まずは、ご連絡が遅くなってしまったことをお詫びいたします。危険な目に遭ったお嬢様を、さらにまた危険な目に遭わせるわけにはいかないと、大変失礼かと思いましたが口を割るまいと考えていたのです。しかし、再三のお嬢様からのご連絡をお読みする度、そのご意思は固いように感じました。ここで私がお教えしなかった場合、より危ない橋を渡ることを選んでしまうのではと懸念し、こうしてご連絡を差し上げました』


 マシューのお手本のような文字を追いながら、嬉しくなった。教えてくれるんだ。


『つきましては、一方的であり大変恐縮ではありますが、3日後の午後に拙宅へお越しくださいませ。どうか、くれぐれも、ご自身のお身体をお気遣いくださいませ。それではお待ちしております。ルクブルグ商会マシュー・ルクブルグ』


 マシューからの手紙をたっぷり3回、ゆっくりと読み返す。3日後に来いって言ってる。まずは外出許可を取らなくちゃ。


「エヴィ? 何を真剣に読んでいるんだい?」


 ハッと気がつくとすぐそばにエドワードの顔があった。全然気がつかなかった。


「エドワード様、ノックくらいしてくださいませ」


「したとも。何度もしたのにエヴィからの返事がないから心配して入ってきたんだよ」


 そう言ってエドワードは、私の手にある手紙をじっと見る。


「その緑色の蝋はルクブルグだね。何かほしいものでもあったのかい? 言ってくれれば、私が手に入れてあげるよ」


 優しく微笑むエドワード。見慣れた笑顔だけど、エドワードが側にいる毎日だったけど、それでもイケメンパワーには慣れそうもない。


 あと、気になることがある。エドワードはエヴァリアのことが好きじゃなかったはずなのに、どうしてこんなに私によくしてくれるのだろう。こんなに毎日毎日私の顔を見ているエドワードの心境がわからない。城には聖女であるワカナだっているのに、王子がこんなところにいるなんて知れたら大変なことになる。


「エドワード様、お願いがございます」


「どんなことだい」


 深呼吸をひとつ。余裕のある顔で微笑んでいるエドワードの、キラキラとした目を見つめながら言った。


「3日後に外出しますので、その許可をお父様にとっていただきたいのです」


 エドワードの笑顔が一瞬凍った。


「それは、私の一存ではどうにもならないからね。それにほしいものがあれば私がなんでも持って来るよ」


「それではいけないのです。わたくしが直接行かなければならないのです」


「ルクブルグに、会いにか?」


 サァッと冷ややかな笑顔に変わった。吹雪いてきそうなほど冷たい笑顔だ。身震いしそうなのをぐっとこらえて返す。


「それは手段にすぎません。大切なのはその後でございます」


「そのあと、だと……」


 相変わらず顔には笑顔が張り付いているのに、目つきは鋭くなる一方だ。


 怖い。


 どうしよう。エドワードに言った方がいいかな。でも言うと心配かけるかもしれないし、私に優しくするエドワードの真意がわからなすぎて言っていいのかがわからない。


「知らなかったのは私だけか?」


「……? いえ、おそらくどなたもご存じないと思いますが……」


 レオンのことを知る人間なんて、多分、ほんの一握りだよね。エドワードは王族だけど、王族だからこそ知らないことだってあると思うし。


「…………」


 エドワードの顔から笑顔は消え失せ、深く重い溜息だけが吐き出された。


「王族には及びませんが、わたくしは誇り高きレトゼイアでございます。いつまでも籠の中の鳥ではいられません。己の翼で羽ばたき、前へ進んでいかねばなりません」


「これがどれほど重大なことかわかっているのか……!」


 静かに声を荒げるエドワード。確かに街の外れ者みたいな人間と付き合うのは、王族にとってはスキャンダラスなことかもしれない。けど。


「お言葉ですが」


「そなたは、私の婚約者なのだぞ!!!」


 ついに大きな声を出すエドワード。


 その大きな声に、慌てて部屋に入って来るレイリー。


「レイリー、大丈夫です。下がってて」


 私とエドワードを交互に見て、渋々扉の外へ出て行った。


「大きな声を出して、すまない。……だが、そなたは私の婚約者なのだ。他の男と逢瀬など……」


 エドワードは私が他の男と恋仲になってるなんて勘違いしていたの?


 ……いやいや、きっと婚約者が他の男の家を1人で訪ねることでこうむる他者からの目を気にしているだけだ。


 っていうか、他の人と恋仲になったっていいじゃない、ね? エドワードはどうせワカナとくっつくシナリオなんだし……。


「逢瀬だなんてとんでもございません。わたくしは情報を買いに行くのです。わたくしを亡き者にしようと画策した、その首謀者の情報を買いに行くのです」


 私がそう言うと、エドワードは一瞬キョトンとした顔をして、みるみる顔を赤らめた。


「エドワード様を巻き込んでしまうのが恐ろしくて伝えるかどうか悩んでいたのですが……」


「情報を、買いに行く、のか」


「はい。この街で様々な裏の仕事を生業とする者がいるという噂を耳にしたのです。その者から情報を買うために、ルクブルグ商会3代目に案内していただこうというわけなのです」


 俯くエドワード。


 一体どういう反応なんだろう。表情が見えないから、何を考えているのかがわからない。


 一つため息をついてから顔を上げたエドワードは、いつもの優しい完璧な王子スマイルに戻っていた。


「すまない、早とちりしていたようだ。そういうことなら、私も力添えしよう」


「ありがとうございます」


 毎日見ていたのと変わらない笑顔。でもどこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。


 エドワードの優しさや、気遣いに触れている内に、私もエヴァリアの気持ちがわかるようになってきた。そりゃこれだけ素敵なんだもん、好きになっちゃうよね。


 にこにこと爽やかな笑顔を見せているエドワードの顔を見ながら、でも、と、思い直す。


 私は、エヴァリアは、この人と婚約破棄をしなければいけない。そのことについて、今まで何もアクションを起こしてこなかったけど。この世界が、あの原作のシナリオ通りに進むのなら、避けて通れない。


 生死の境を彷徨っている時、エヴァリアに会って、幸せにすると約束した。彼女は死んでしまったけど、それでも私はまだエヴァリアと共に生きてるつもりだし、彼女が幸せに感じる人生を送るべきだと思っている。彼女は「今までと違う人生になっている」って言ってたけど、実際原作と異なることはとても多いけれど、それでも世界の大筋はあのシナリオをなぞっている。


 エドワードと一緒にいることが、エヴァリアの人生にとって幸せにならないのなら、彼女には申し訳ないけど……。


「エドワード様、大切なお話がございます」


「そうだな、では参ろうか」


 私の言葉を食い気味にもぎ取って、エスコートするために手を差し出すエドワード。


「……? どちらにです?」


「決まってるじゃないか。エヴィのお父さん、つまりヴェルトン卿に、外出許可をもらうのさ」


 そう言うと、私の手を取り、ふわりと持ち上げた。


 至近距離にある美形に、固まる。


「降ろしてください。わたくし、自分で歩けますわ」


「この方が早いだろう?」


 いたずらっ子のように言うエドワード。ほんの少し、顔を前に出すだけで、エドワードの頬に触れてしまう。こんなに近い距離で見ているのに、なんて整った顔なんだろう。


「どうしたんだい? 私に見惚れているのかい?」


「……降ろしてくださいませ。いくらお父様でも、支度をしてお会いしたいのです」


「ふふ。すまない、ちょっとからかっただけだよ」


 そう言うと優しくベッドへ降ろしてくれた。


 こんなにも簡単に、お姫様抱っこされてしまうなんて。


 心臓がドッキンドッキンいっている。


「じゃ、外にいるよ」


 名残惜しそうに、私の手の甲へキスを落とす。柔らかな唇が優しく当たるのがわかった。


 颯爽と部屋から出て行くエドワードの背中を見つめていた。


 どうしてこうも、しっかりと王子様らしいことをしてくるんだろう。


 怪訝に思う気持ちを押しのけて、恥ずかしさや、ちゃんとしたレディーとして扱われていることに対する嬉しさで、胸がギュッとなった。


「……はぁ」


 私がため息をつくのと、メイとイリナが部屋に入ってくるのは同時だった。


 これから身支度をして、お父さんに外出を許してくれるよう説得しなくちゃいけないのに、私の心はふわふわとして現実味がなかった。

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