10.エヴァリア……

「2回目の人生を歩んでいる時に、わたくしは気がつきましたわ。これは、同じ人生を辿っている、と」


「もう、2回目で……」


「えぇ。エドワード様にお贈りするプレゼントを選んでいる時に、思い出しましたの。以前にも同じことがあった、と」


 エヴァリアがエドワードにプレゼントを選ぶシーンなんて、私は知らなかった。きっと原作に描かれていない、それよりもっと昔の幼少の頃のお話なのだろう。


「それで、以前とは違うものを選びましたわ。エドワード様のご様子は、少し、ほんの少しだけ違いましたけど、でも、何も変わらなかった」


 その時のことを思い出しているのか、少し表情が曇った。


「それからですわ。何回も何回も、なにをやっても、どうしても、同じ結末に辿り着くのです。100を超えたあたりから、数えるのはやめてしまいましたわ」


 そんなに。


 私だったら、自分の人生を100回も繰り返すなんて発狂してしまう。


「……ワカナは、その時からずっと登場しているの?」


「ええ。高橋ワカナは、わたくしの1回目の人生からずっとおりますわ。何回も繰り返す人生の中で、幾度となくあの子をいじめてきましたけど、結果は何も変わらなかったんですの」


 淡々と話しているエヴァリアだけど、その悲しみや怒りややるせなさが伝わって来た。それは私がエヴァリアとして生きていたからかもしれないけど、弱々しく、誰かの助けを必要としている彼女が可哀相でならなかった。


「……あなた、まさか泣いてらっしゃるの?」


 エヴァリアのびっくりした声で気がついた。いつの間にか景色が滲んでいた。きっとエヴァリアは呆れた顔をしているに違いない。


「……ほら、わたくしの美しい顔が台無しですわ。」


 真っ白なハンカチを取り出すと、エヴァリアは私の顔をそっと拭った。


「だ、だって、エヴァリアは悪くないのに。何回も、何百回もひどい目にあってて……」


「……それでも、わたくしはレトゼイア家ですの。いついかなる時でも、凛と強く、他の貴族達のみならず、市民の手本になるようにと、そう言われて育って来たのです。その誇りを、わたくしは手放すつもりはありませんわ」


 なんて、なんて強いのだろう。


 何百回、何千回と、自分自身が破滅する人生を歩まされてきたにも関わらず、自分自身を見失わないなんて。


「エヴァリアは、強いよ。すごい、すごいことだよ」


「あら、褒めてくださるの? 嬉しいわね。……でも、どれだけわたくしが強かろうと、わたくしは未来を変えることが、決してできませんでしたの。あなたがわたくしの身体に入るまで」


 そう言ってエヴァリアはあどけなく笑った。本当に16歳の少女のように。


「最初はもちろん、怒りが先に来ましたわ。こんなに何回も同じ人生を繰り返しているとは言え、わたくしの身体を勝手に動かし、行動し、話すなんて。だってあなた、礼儀作法も何もあったものじゃなかったんですもの」


「す、すいません……」


 さっきの和やかな雰囲気はどこへやら。つくづく謝ってばかりだと思う。


「身体の主導権はあなたが握ってしまって、わたくしができることなんて何もなかったんですの」


「……ん? ね、でもさ、私が話したいようには話せなかったし、知らないマナーだっていつの間にかできてたよ?」


「当然でしょう? わたくしの身体はわたくしと共に何度も同じ人生を繰り返しているんですもの。魂が違えど、器に染みついたものは消えませんのよ」


 そういう、もの、なんだろうか……?


わたくしではどうすることもできず、かと言って消滅する訳でもございませんでしたから、見るともなしにあなたの行動を見ていましたの」


「えっ、じゃ、じゃあ、あの、エドワーd」


「ええ。わたくしには、一度もされたことのないことで、少し悲しくなりましたわ」


「ご、ごめん」


「いいんですの。何度も繰り返す人生の間に、エドワード様を恋い慕う気持ちは薄れていきましたから」


 そう言って微笑む顔が、なんとも寂しそうな顔をしていた。私は思わず、エヴァリアの腕を掴んで抱き寄せた。


「な、何をなさるんですの」


「エヴァリア、大変だったよね。すごく、寂しかったよね。なんで誰も気がついてくれないんだろう」


 鼻をすすりながら私は言った。


「ちょっと、汚いですわ。離してくださるかしら」


 ストレートな物言いで言うエヴァリア。でもその声にはトゲトゲした響きはなかった。


「私、絶対エヴァリアのこと幸せにするから。こんなの、だっておかしいじゃん」


「お気持ちは有り難いのですけど」


 私の顔のすぐ間にあるエヴァリアの顔。整っていて、完璧な美人。その意思の強そうな赤い瞳が、揺れている気がした。


「先程も言いましたでしょう? 仕方なく、本当に仕方なく、わたくしの魂を差し出したんですの。ですから、わたくしは……」


 それって、どういう意味? 言いたいのに、言うのが怖くて、口がカラカラに乾いていく。


「あの男が唱えた何かは、命を落とすまで終わらない何かでしたの。あの時、わたくしの身体の中にはわたくしとそれからあなたの魂と、2つがあった。どちらかの命を差し出せば助かる」


「そんなの……!」


 私ってこんなに泣き虫だったっけ? 私って27歳じゃなかったっけ? エヴァリアの身体で、エヴァリアの人生を生きているうちに16歳になってしまったの? 待って、そんなことより。


「いいの!? エヴァリアは、だって、私の代わりに死んじゃうんでしょう!?」


 半ば叫ぶようにして声を絞り出した。


 最初は、ゲームの世界に転生させられて、稀代の悪役令嬢に成り代わって生きなくちゃいけないことを恨んだ。でも、エヴァリアとして生きているうちに、エヴァリアも、エヴァリアの周囲の人も、ただの登場人物じゃなくなった。


 私のこと、もっと見ててよ、エヴァリア。まだまだ、これからでしょう、エヴァリア。


わたくしが決めたことですわ」


 凛と強く、エヴァリアは言った。滲んでぼやけたエヴァリアは、その顔はきっと強く美しく、私のことを見ているに違いない。


「あなたのおかげで、それがまるっきり変わったんですわ。それがもう、わたくし楽しくて楽しくて」


 クスクスと笑う声は、無邪気な少女のそれだった。


わたくしでは変えることのできなかった人生が、あなたのおかげでどんどん変わる。その先に、その未来に、わたくしは期待しているんですの。ですから、これは投資ですのよ」


 エヴァリアの声がやけに優しく響く。それに比例して私の涙は留まることを知らない。


わたくしの魂は消えていきますけど、あなたがエヴァリア・レトゼイアとして、わたくしとは違った幸せな人生を歩んでいくことを信じていますの」


 エヴァリアがそう言うと、白かった空間が一層白く輝いていく。その中心は目の前のエヴァリアで、彼女に光が集まってどんどん眩しくなっていく。


「胸を張っていきなさい。あなたはこのわたくし、正真正銘本物のエヴァリア・レトゼイアが認め、期待し、未来を託した人間なのですから」


 集まった光はさらさらと流れ、霧散していく。何かが、エヴァリアの身体を消し去っていく。


 待って、待って。


「エヴァリア、私、わたし……」


「みっともない顔ですこと。わたくしの美しい顔には、微笑みが似合っていてよ」


「……うん。……ありがとう、ありがとう、エヴァリア」


 もうそれしか言えなくて。拭ってクリアになった視界の先、光に包まれただけのエヴァリアがいた。そして、その顔が美しく、完璧に微笑んだように見えた。


「それでは、ハナコ、ごきげんよう」


 この言葉を最後にエヴァリアは光と共に消えていった。辺りには何もない。空虚な空間が広がっているだけだった。


 そうして私の視界も、白く滲んで意識が落ちた。

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