8.ここはどこ……

「―――っだから!―――で―――」


「おい―――らしい―――」


「―――どうす―――!!―――」


 誰かが怒鳴り声を上げている。その声に目を覚ましたくないと思った。だってエヴァリアの世界で怒鳴り声なんて聞いたことがないもん。あぁ、やっぱり、エヴァリアとして生きていたのは夢だったんだ……。


 そりゃそうよね。誰かに愛されたり、大切にされたり、優雅に時間を楽しむなんて、山田ハナコの時は考えもしなかった。


 私は山田ハナコ。怒鳴り声なんて日常茶飯事のブラック企業に勤めてて、毎日しんどいのに辞めることもできない残念な人間。


 それにしてもこんな夢見るなんてゲームのやりすぎ。ほどほどにしなくちゃ。でももう少し余韻に浸らせてほしいなぁ……。


「こんなことしやがって!!!!」


 ひと際大きな怒号に驚いて、私は目を開けた。


 視界に映るのは、窮屈な室内。6畳くらいだろうか、私の正面には古ぼけた木の扉がある。辺りを見渡してみても、家具らしいものは見当たらない。柱や床板の腐っているところだけが目に留まるくらいだ。会社のデスクじゃないのは確か。……ここは、どこ?


「大きい声出すんじゃねえ! 誰かに聞かれたらどうするつもりだってんだ!」


 また声が聞こえて来た。扉の向こう側で、何人かの男達が言い争いをしているようだ。


 私は視線を下ろした。視界に映るのは、青を基調としたきちんとしたスカート。雑に扱われたのか、ところどころ汚れているけれど、上品なデザインの、えっと、私こんなの着て会社行けないし、そもそも持ってない。


 じゃあ、これは……。


 エヴァリアの人生だ。


 段々頭がハッキリしてきた。怒鳴り声がしたから山田ハナコに戻ったかと思ったけど、そうじゃなかった。なんだかホッとする。山田ハナコの人生の方が長いはずなのに、変な感じ。


「俺がどれだけ苦労して連れて来たと思ってんだ!!!」


 男の言葉で思い出す。そうだ、私は学園にいて、マシューに馬車まで送ってもらう途中に暗くなって。


 多分、いやきっと、私は攫われた。


 簡素な椅子に座らされていて、両手は後ろで拘束されてる。手首のところに細い紐のようなものが当たっていて、結構きつく縛られている。この状況からも、何者かが私を拉致したに違いない。


 ところで、原作でこんな話あったっけ……?


 考えてみるけど、ちょっと思いつかない。


 はぁ。


 ため息をつくのに下を向いて気がついた。イヤリングにしていた魔石エナストーンがない。あの扉の向こうで怒鳴っている誰かに盗られてしまったのかもしれない。幸い、ネックレスの方は服の下だったので盗られていないようだ。


 とにかく、今はエヴァリア・レトゼイアなんだ。山田ハナコだったら恐怖におののいていたかもしれないけど、今は違う。普通の人よりも多い魔力があるエヴァリアなら怖くない。どこの誰だか知らないけど、倒してやる。


「もういいだろ!!」


 そう言うが早いが、扉がバン!!!と勢いよく開いた。


 立っているのは、中肉中背のどこにでもいそうな茶髪の特徴のない男。30代から40代くらい? とにかくモブキャラと言う言葉がピッタリで、説明できることが何もない。そんな男の2つの目は、しっかりと私を見据えていた。


「おい! あんた! 聖女様をいじめてるんだってな! これはそんな悪事を重ねていた報いだ!」


 威勢よく言っている男の後ろに、似たような顔つき体つきの男が2人。片方は少し心配そうな表情を浮かべ、もう片方は無表情に近い冷たい顔をしている。


 いや、それよりも。どうして聖女なんて名前が出て来るんだろう。


「あんたはこれからウィジャラに奴隷として連れて行かれるんだぜ! ざまあみr」


「なんて大きな声なんでしょう」

(ねぇ、ちょっと)


 エヴァリアの声が凛と響く。さっきまでの威勢の良さはどこへやら、目の前の男は驚いて口を開けている。


「奴隷制度なんて、もう100年以上前に廃止されたはずですのに、何をおかしなことを言ってらっしゃるのかしら」

(まって、奴隷ってなに。一生皿洗いとか、そういう感じなのかな、暴力振るわれたりとか嫌なんだけど……)


「な、なにを言ってやがる!!!」


わたくしにもこうして口がありますから、喋れるのは当然のことじゃなくて?」

(え? 奴隷制度はもうないって知らないのかな……)


 すると後ろから無表情の男が前へ出て来た。さっきまで喚いていた男の肩を掴んで下がらせる。


「あんた、自分の状況分かって言ってんのか?」


「さぁ? ひとつだけ言えるとしたら、わたくしに相応しくない場所へ拉致されたということでしょうか」

(わかんないから教えてよ……)


「はっ、お貴族様は気楽なもんだな。教えてやるよ。あんたはこれから闇取引されて、ウィジャラに奴隷として売られるんだ。貴族だったとは思えない粗末な場所で、クソみたいな生活を送るんだ!」


 無表情な男は、急に高笑いを始めた。本当に三下感がものすごい。すごく丁寧に状況を教えてくれた。


「ウィジャラ王国でこのわたくしを受け取る方はなんという方ですの? ご挨拶をしませんと失礼ですからね」

(本当なのかなぁ、その話。本当だったらやばいよね……)


 私はそっと魔力を解放してみた。イヤリングについている魔石エナストーンが反応する。どうやら、この男達の向こう、扉の向こうの部屋にあるみたいだ。案外近くにあって良かった。


「くくく……。こんなのは余裕ってことか? 威勢がいいなぁ。聖女様にちょっかいをかけると痛い目に遭うって、ちゃあんと教えてやらなくちゃなぁ」


 そう言いながら男は、刃渡り30センチくらいの短刀をちらつかせた。どこに隠し持っていたんだろう。短刀、って言ったけど訂正、あのヤクザが持ってるドスに近い刃物だ。ヨーロッパみたいな世界観なのに、そこだけ日本って感じ。


 いやだからそれよりも。なんで聖女? ワカナとはなるべく顔を合わさないようにしてるっていうのに。


「聖女様に、わたくしが一体何をしたというのです?」

(ワカナがなんだっていうのよ……)


「驚いたな! この期に及んでまだシラを切るつもりかよ!」


 大袈裟なリアクションで、笑って見せる男達。心配そうな顔をしていた男も、なんというか、自信のついた顔になっていく。


「あ、あんたが聖女様をいじめてるって話は、この街の人間はよーく知ってるんだ」


「そうだそうだ。あんたみたいなお高い貴族様とは違って、聖女様はいつも俺達の側に来て、話を聞いたりしてくれたんだ。知らない世界に来て大変だろうに、明るくて、誰にでも優しくて」


「それで? わたくしが聖女様に、何を、したというのです?」

(もうワカナの話はいいから……)


 ワカナを褒め称える言葉の数々にうんざりした。そんなの聞きたくないのよ、ワカナが素敵だなと思う話は。でも私とそれと何の関係があるの。


「だから、それはそういうところだろうよ。俺達でよければなんでも言ってくれっていうのに、肝心なことは言わないんだ聖女様は」


「あの方は本当に優しいよ。そんな方をいじめるなんて、あんたは根性ひん曲がってるに違いねぇ」


「聖女様を悲しませる奴は許せねぇ、そう思っている時に親切な人が教えてくれたんだ」


「そうだ、あの人には感謝してもしきれねぇ。これで聖女様は悩まないで済むもんなぁ」


「どこのどなたですの? その親切なお方とやらは」

(ちょ、一体誰よ、あなた達に教えてくれた人って……)


 魔力を持たない街の人が、どうやって私を攫ったの? どうやって、学園に忍び込んだのか。そしてどうやって学園から出て来たのか。それを教えられる人なんて、そういないはず。


「そりゃあ」


「感心しないね、なんでもペラペラ喋るのは」


 驚いて視線を移した。


 いつの間に、どうやって、いつからいたのか。


 その男は私の隣にいた。

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