7.久しぶりの学園は大変……

「レトゼイアさん、手伝っていただいていいですか?」


 最後の授業が終わった時、先生にそう声をかけられた。私は心の中でひとつ、ため息をついた。


 なぜって、ワカナは午前中で帰ったらしいけど、ワカナ派の令嬢達からのチクチクとした視線は居心地が悪かったし、空気を読まないで絡んでくるラジアも、冷ややかな視線を投げてくるエドワードも、今日は本当に面倒だらけだった。


 それが終わってようやく帰れると思ったのに、先生に呼び止められるなんて本当にツイてない。


「エヴァリア様、私達はここで待っていますわ」


「そうですわ」


 リーチェをはじめ、令嬢達が私に駆け寄ってくる。その後ろではラジアが私を見つめている。終わって帰って来てからも面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。


「その気持ちだけ受け取っておきますわ。わたくしを待っている時間があるのでしたら、刺繍や勉強をなさった方が有意義ですから」

(お願いだから先に帰ってほしいんだけど……)


「あ……」


 エヴァリア、あなたの口はストレートな物言いもできたのね。でも令嬢達の顔色がみるみる変わっていくわ。可哀相に。


 ……なんて言ってる場合じゃない。フォローしなくちゃ。


「また」


「そうですわよね」


 被せて喋って来たのはリーチェだった。


「私達、エヴァリア様に認めてもらえたと思っていましたけど、それは驕りでしたわ。まだまだ必要なことがたくさんありますものね」


「そ、そう言われるとそうですわ」


「エヴァリア様がお優しくて見失っていましたわ」


「エヴァリア様と並んで歩けるよう、頑張って参りますわ。それを気づかせてくださってありがとうございます」


 リーチェの言葉に、他の令嬢達も頷き頭を垂れた。


「ご理解いただけたようですわね。では、ごきげんよう」

(な、なんでそうなった……。いや、いいんだけどさ……)


「ごきげんよう、エヴァリア様」


「エヴァリア様、また明日お会いしましょう」


「ごきげんよう」


 口々に別れの挨拶を告げて、令嬢達は去って行った。


 ふぅ……。


「レトゼイアさん、いいですか?」


 先生の声で、我に返った。視界の端にラジアがチラチラしているけど、気づかないフリをして、教室を出た。


「授業が終わったのに、すみませんね」


「構いませんわ。この学園に通う生徒と言う立場ですもの。喜んでお手伝いしますわ」

(いいけど、早く帰って美味しいスイーツ食べたいな~)


 なんだかエヴァリアが言うと嫌味っぽく聞こえる。やっぱり悪役令嬢だから仕方ないのかなぁ。もうこの感じにも慣れたと思ったけど、相手が先生なのになぁ。


「ふふふ、さすが大貴族のレトゼイア家ですね。やっぱり、とても面白い」


 ……?


 ふと、私の前を歩く先生が気になった。背は私より少し高いくらい。教師陣の制服?である茶色いローブをはためかせている。地味な焦げ茶色の短髪は、ぺったりとしている。


 こんな先生、居たっけ?


「えー? もうバレちゃった?」


 そう言ってくるりと振り返ったのは、先生だけど先生じゃない誰か。


 というか、こんなことをするのは決まっている。


「ギルド長様は、よほど暇なんですね」

(レオンでしょ)


「ははは、やっぱりわかっちゃった?」


 そう言って楽しそうにしている。無邪気そうな笑顔がなんだか怖い。


「俺だってそんなに暇じゃないんだけどね~。ちょっとやばそうかなって思って、見物に来たってわけ」


「用がないならお帰り願いますわ。わたくしはそんなに暇ではありませんの」

(今度はなんの用なの。またしょうもないこと言うんじゃないでしょうね)


「おいおい、この前と同じことじゃ芸がないぜ」


わたくし予定がございますので、こちらにて失礼致しますわ」

(うるさいなー。もう放っておいて帰ろ……)


 私はレオンに背を向けて歩き出した。


「おーい。今日は俺と一緒にいる方が良いと思うぜー。1人になると危ないよー」


 レオンが背後で言っているけど、私を追いかけてくるつもりはなさそうだ。

まぁ大したことじゃないんだろうな。でも一体どうして『俺と一緒に居る方が良い』なんて言ったのだろう。面倒事に巻き込まれる未来しか見えないんだけどな。


「エヴァリア様……!」


 廊下の角を曲がったところで危うくぶつかりそうになった。先に声を上げたのはマシューだった。


「あら3代目ではありませんこと。学園でお会いするなんて」

(あ、マシューか、よかった)


「本日はどうしても出席しなければならない理由がございまして。エヴァリア様はどうしてこちらに……?」


「先生の手伝いをしていたんですの。これもこの学園に通う者の義務ですものね」

(先生に扮したレオンに呼ばれたけど、よくわからなかったから帰ってきたところ)


「そうでございましたか。もしよろしければ、私が馬車までエスコートさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 素直にびっくりした。


 マシューは魔石エナストーンを取り扱う大きな商会の3代目だし、すごく忙しいはずなのに。学校に来ていたのも意外だけど、この申し出も意外だった。


「ええ、お受けしますわ」

(1人で帰るよりはいっか)


「ありがとうございます」


 スッと差し出されるマシューの腕をとり、並んで歩いた。マシューは面倒事が起きないから気が楽だった。


「やはり、このイヤリング、それにネックレスはお嬢様にとってもお似合いですね」


 魔石エナストーンをはめ込んだイヤリングとネックレス。15歳の誕生日のあの日から、ほとんどずっと身に着けている。学園でも魔石エナストーンについては、魔力コントロールの観点からも大切なものなので許可されている。


「あなたはそのブローチが、魔石エナストーンなんですのね」

(マシューのは確かそのブローチだっけ)


「その通りです。私はあまり魔力を持っていないのですが、神殿からいただきましたので」


 淡い黄緑色の魔石エナストーンがはめ込まれている。その色は、マシューの髪の毛よりも淡い、春先の芽吹いたばかりの新芽のようだった。


 学園内は異空間のような静けさだった。私とマシューの声だけが響いている。いくら放課後とは言え、もう少し人の気配があってもよさそうなのに。


 チリチリと昼の名残りがあちこちで燃え残っている。太陽の光も弱くなったとはいえ、まだしぶとく空に張り付いている。ゆっくりゆっくりと忍び寄って来る夜と、それから逃げる昼の交わる時間だ。静かな学園内が、どこか不気味に思えた。


「エヴァリア様、もう少しで馬車置場ですよ」


 マシューに言われ、ふと顔を上げると門の向こうでユーリックとレイリーが待っていた。私にはもう既に気づいていたようで、どこか安心したような表情を浮かべている。


 そっか、スマホとかないから連絡してないじゃん。ルリミエかリーチェに伝言を頼めばよかったな。でもちょっとだけ、そうやって心配してくれるのは嬉しい。


「……っ」


 ぐるんと視界が空を向いた。身体が動かない。痛みも温度も感じない。恐怖だけ。


「エヴァリア様!!!」


「お嬢様!!!!!」


 遠くの方で声が聞こえた気がした。


 間もなく、私は暗闇の中へ意識が落ちた。

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