第3章

1.やっぱり学園は行かなきゃダメですか……

「お嬢様、第三王子のエドワード殿下がお見えです」


「通して」

(また来たの? ほんと、飽きないわね……)


 王城で晩餐会があってから約3ヶ月。聖女であるワカナと神殿を排除しようとする両親をなんとか抑え込み、自宅療養と称して家に引きこもっていた。魔力切れを起こした身体ももうすっかりよくなって、元気でピンピンしているのに。


 でも学園に通わなくていいのは、ワカナとの衝突がないってことだから、快適なことこの上ない。美味しい食事とふかふかのお布団、読み切れないくらいの大量の本に囲まれて、最高の引きこもり生活だ。


 エドワードはあの日から、ほとんど毎日エヴァリアの見舞いに来ていた。王子という立場なのだからそれなりに忙しいだろうし、いくら婚約者とは言え大変なことだと思う。


 その真意を聞くのがずっと怖かったけど、いい加減知らなくちゃいけない。原作と違っている今、何をどうすればいいのか、わからなくなっている。修正しなくちゃ。


「エヴァリア、体調はどうだい?」


 ふっと気がつくと、エドワードが側に来ていた。ベッドから慌てて起き上がる。


「殿下、ご挨拶を」


「寝たままでいいから」


 私の肩に、そっと乗せられるエドワードの手。白い手袋がやけに眩しい。


「……ごきげんよう。本日は、どのようなご用件でしょう?」

(寝たままなんて申し訳ない……)


 って、私の口、なんてことを!!


 今日こそエドワードがエヴァリアをどう思ってるのか聞くのに、そんなこと言ったら帰っちゃうじゃん!


「ふふ、エヴァリアは元気になってきたようだね。婚約者のことを心配してはいけないかい?」


 優しく目を細めて、私を見つめているエドワード。あの日から、私のことを「私の薔薇」なんてキザったらしい呼び方ではなく、ちゃんと名前で呼ぶようになった。その理由もなんだかわからない。


「もう3ヶ月も経ちますのよ? いい加減、殿下のお顔を見るのも飽きてきましたわ」

(3ヶ月も経つんだから、もう大丈夫だよ。毎日大変じゃないのかな)


「私は飽きないけどね。私だけが知っていればいいと、最近よく感じるよ」


 一体どういうことだろう? 王子の仕事が忙しいから、ここに来ればサボれるってことかな。


「学園はいかがですか。わたくしは授業を受けずとも良いと言われましたけれど、殿下はそうじゃないんでありましょう?」

(学園の方はうまくやってる? まぁ私が心配するのも変な感じだけど、ちょっと気になる)


「そうだな。今日はそのことで、言わなければならないことがあるんだ」


 そう言うとエドワードは姿勢を正した。言いにくいことなんだろうか。私もゆっくりと起き上がった。


「どのようなことでございましょう」

(一体なんなの?)


「ラジア王子が、エヴァリア、そなたと学びたいと言って聞かないのだ」


 ……へ?


 なんだ、そんなこと?


 私は拍子抜けしてしまった。もっと重要な何か、例えばワカナを牽制するためとか、婚約者が学園に来ないのは外聞が悪いからとか、そういうことだと思っていたのに。


「隣国の王子殿下に指名されるなんて、光栄ですわ」

(そんなことなら早く言ってくれればよかったのに)


 だけど。


 よく思い出してみて、私。晩餐会のあの夜、ラジアは面倒くさかったよね? あれが学園に行っている間中続くのよ? ……それってすごく大変じゃない!


「エヴァリアは学園に通わなくたっていいのに、隣国のわがままでこんなことになってしまって本当にすまない」


 なぜかうなだれるエドワード。なんでそんな顔してるのよ。


「これも大貴族の務めですわ。殿下がお気になさることではありません」

(気にしなくていいよ。大変そうで嫌だけど、仕方ないことなんだから)


「……そなたは、強くなったのだな。私の知るそなたとはまるで違う」


 ドキリとした。


わたくしも成長しているんですの。大貴族レトゼイアの名に恥じぬよう」

(あの、ほら、エヴァリアは成長期だし、色々変わることもあるよね!)


「ふふ。……さて、すまないがそろそろ帰るとするよ。もっとゆっくりしていたいが、やらねばならぬことがあるのでね」


 そう言うとエドワードは、私の手の甲にそっと口づけをした。柔らかな唇が触っていると、私の手の甲が告げている。


「来週あたりから学園に通ってくれ。その日は迎えに来るから」


 エドワードは楽しそうに笑うと、そっと私の手を置き、静かに部屋を出て行った。


 エドワードの一挙手一投足を、私はただ見つめていた。


 自分の身に何が起こったのか、まったく理解していなかった。


 自分の手の甲を見る。


 さっきエドワードがキスしてった右手。


 ……キス?


 …………。


 えぇええぇぇぇ!!!!!!


 いや、貴族の挨拶だし! 婚約者だし! されて当然なんだけど!


 心臓がバクバクと脈打っている。顔が熱い。というか、全身が熱い。何よ、これ。


 エヴァリアのことを本当に心配しているような態度や行動や言動の数々。さすがに、これは、でも。


 エヴァリアだけど、私はエヴァリアじゃないのに。エヴァリアの記憶には、今までそんなこと1回だってないのに。


 エドワードの心境に、一体どんな変化があったっていうの?


 キスなんか(手の甲だけど)されるなんて思ってもなくて、今日も聞きそびれてしまった。


 私は、どうしたいのだろう。


コンコン。


「お嬢様、ルリミエ・カーディアン様がお見えですがいかが致しますか?」


 扉の向こうからイリナの声が聞こえた。


「通して」


 今喋ったの、私じゃないみたい。


 空っぽになった頭で、ぐるぐると考えていた。何も何処にも引っかからないのに、エドワードがキスした瞬間だけが鮮明に蘇る。


 こんなことで、本当に結婚する時、どうすればいいんだろう。


 ……本当に結婚する時???


 やだ、私ったら何を想像してるの!


 原作の流れで言うと、エヴァリアはエドワードと一緒にいたら死んじゃうでしょ!


 ……でもさ、もう原作の流れなんてどこにあるの?ってぐらい薄まったんだよ? じゃあもしかしたら、もしかするかもしれないじゃない。


 待ってよ、待って。私、エドワードのこと、好き、なの?


「エヴァリアさん……! お身体はいかがですか? さっきエドワード殿下の馬車を見かけたんですが。………エヴァリアさん?」


 ドアを開け、勢いよくやってきたルリミエ。


「よく来てくれましたわ。こんな姿で、ごめんあそばせ」

(あぁ、ルリミエ、こんにちは)


 私が言い終わるかどうかで、メイとイリナがお茶とお菓子を持ってやってきた。あっという間に整えられた、ティータイムセット。


「エヴァリアさん? 大丈夫ですか?」


「なんともないわ。それよりルリミエ、学園での話を聞かせてくれる? わたくし、来週からまた学園に通うことになりましたの」

(大丈夫だよ、気にしないで)


「本当ですか!? あぁ、良かったです。私もエヴァリアさんと学園生活を楽しみたいと思ってたんです!」


 本当に嬉しそうなルリミエが、私の手を握ってぶんぶんと振った。


「ルリミエ、痛いわ」


「あっ、ご、ごめんなさい」


「お茶でも飲みましょう」


「はい! いただきます! えっと、学園生活のことですよね? 隣の国のラジア王子が……」


 ルリミエが一生懸命話している姿は目に映っているのに、私の心はどこかへ行ってしまったようだ。


 にこやかに頷く私と、エドワードのことが離れない私。2つの私が分離してしまったみたいだった。

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