2.なんでうちに来るのかな……
「メイ、その毛布は何かしら」
(ちょ、それ何よ……)
「エヴァリアお嬢様が風邪など引かないようにするためのものです!」
薄手のドレスでも暑いくらいのこの陽気で、そんなもの着れるわけないでしょ!
「
(ちょっと散歩に出るだけじゃん……。心配しすぎだよ……)
「も、申し訳ありません……」
しゅんとするメイ。
「……戻ってきたらお茶にするわ。きちんと用意しておくように」
(ご、ごめん。戻ってきたら、一緒にお茶にしよう? ね?)
「かしこまりました」
さっきより少しだけ元気を取り戻したように見えた。
自分の家の庭を歩くだけなのにな。ふらっと出て、気分転換したいだけなのに。
「はぁ……」
昨日、エドワードから学園にもう一度通うように言われた、そのことを考える。今まではワカナと衝突しないように考えて、色々な方法で回避しようとしたけど、多分無理なんだろうなぁ。理由はわからないけど、ワカナはエヴァリアのことを嫌ってるみたいだし。
それにラジアも学園に待ち構えているんだっけ。私にどうしろって言うのよ。隣国の王子様に横柄な態度なんて取ったら戦争になっちゃうだろうし、かといって関わり続ける気力なんてない。理由はわからないけど、ラジアはエヴァリアのことを面白がっている。その対象が早く別のところへ向かえばいいのに。
「……眩し」
外へ出ると強く明るい日差しが、私のことをビカビカと照らした。もう夏が来ている。この国の夏はそんなに厳しくないみたいだけど、ドレスが暑い。これでも薄い生地なんだけどなぁ。
庭に目をやれば、庭師達が丹精込めて育て上げた植物が生き生きとしている。青々とした大きな葉を広げ、色とりどりの花を咲かせている。名前を知らないのが少し残念だけど、見ているとなんだか心が穏やかになってくる。
「お嬢様、この花を」
生垣の隙間から顔を出した庭師が、真っ赤な大輪の花を差し出していた。
「美しい花ですこと」
(どうもありがとう)
そう言って庭師から花を受け取った。すると庭師は照れ臭そうに、人差し指で鼻の頭をポリポリとかいた。
……あれ? この仕草、どこかで……。
「あたくしはこれで……」
私の疑問に気がついたように、庭師が立ち去ろうとしている。
「待ちなさい。お前、名前は?」
(待って! その仕草、もうちょっとで思い出せそうなんだけど……)
「………」
笑顔だけを向けて、立ち去ろうとする庭師。
「自分の名前も言えないんですの? レトゼイアも舐められたものね。今騎士達を」
(やっぱりアヤシイ。えーっと誰だっk)
「それは困っちゃうなぁ」
言い終わらないうちにざわりと風が吹いて、目の前の庭師が消えた。背後に庭師に変装していた誰かがいる。私の口を押さえて、声が出ないようにしている。
怖い。
「そう騒ぐなよ。大丈夫、危害を加えるつもりなんてないからさっ」
そう言うと少しだけ、私の口を覆う力を緩めた。そのどこか楽しそうに呟く声は少年のようでもあり、酷く年老いた声にも聞こえる不思議な響きだった。
こんなシーンがあったような気がする。
そうだ、レオンだ。
聖女に助言を与える時、いつも姿を見られないようにこんな登場の仕方をしていた気がする。
「ギルド長のレオン様が、一体
(なんであなたがこんなところにいるのよ)
私が小声でそう呟くと、レオンはピクリと身体を震わせた。
「へぇ~、俺の名前を知ってるなんて意外だな。あーあ、もっと怖がるかと思ったのに、肝が据わってんのねぇ」
「
(そんなことはどうでもいいから)
「ははは、やっぱりレトゼイアのお嬢さんは面白いなぁ。退屈しなそうだ」
楽しそうに言うレオンの言葉に思わずため息が出る。
「
(なんなのよ、もう……)
「お、奇遇だね。俺も忙しい身の上でね。手短に話すとしよう」
そう言うと、空気が少しピリッとした。
「国を挙げて大切にしているあの聖女様だが、何やらよからぬことを企んでいるようだ。レトゼイアのお嬢さんを心底嫌っているらしい。よく気をつけるんだ」
「そんなくだらないことをおっしゃるためにわざわざこちらへいらしたんですの? ギルド長といえど、お暇なんですのね」
(へっ? そんなこと? そんなのワカナが登場してからずっとだし、注意しロッテ言うならもっと具体的に教えてよぉ)
「今までの嫌がらせとは比べ物にならないことが起きる可能性が高いんだ。……これ以上は忙しいギルド長である俺に、それ相応の料金を払うようになっちまうからな」
空気がふわっと緩んだ。ずっと庭にいるはずなのに、急に日差しが差し込んできたような眩しさを覚えた。
「ま、レトゼイアだったらそんなの、はした金だろうけど。まぁなんていうの、俺の優しさよ。特別サービス!」
意味がわからなかった。どうしてレオンはエヴァリアのことを気にかけたのだろう。特別サービスされるような関係なんてないはずなのに。
「おっと。お嬢さんともう少し話していたかったけど、番犬くんがこっちに来るからお別れだ。……俺の予想外の行動をしてくれよ。期待してるからな」
ざわり、とまた風が吹いた。
私の背後には何の気配もなかった。振り返って確認してみたけど、通ってきた美しい庭が視界に映るだけだった。
一体、レオンはどういうつもりなのだろう。どうしてエヴァリアに興味をもったんだろう。原作では、接点なんて絶対なかった。レオンはいつも聖女側のお助けキャラみたいな感じだったもん。もしかして作者しか知らない設定とかがあって、それでエヴァリアと仲良しなんてことがあったりするのかな。
「お嬢様、こんなところでいかがなさいました?」
ひょいと顔を上げると、そこにいたのはユーリックだった。
「
(ちょっと、原作と違いすぎて考え事してた)
口から零れてハッとした。なんてことをユーリックに聞いてるの!
「物語の中の1人、ですか……」
困ってるじゃない! 表情が乏しいからちょっとわかりづらいけど!
「エヴァリアお嬢様が物語の中の人物であるというなら、それはきっとお嬢様が主人公のハッピーエンドの物語だと思います」
えっ?
エヴァリアの表情筋は、多分動かなかったと思うけど驚いた。ユーリックがそんなこと言うなんて思ってもみなかった。
嫌われていると勝手に思っていたけど、そういえば原作のようなことは私はしていないもんね。だからって好かれてるとは思わないけど、でもこのお世辞だけじゃないユーリックの声色は信じていいのかな。
「当然よ。あなたは主人公の専属騎士なのだから、とても活躍するわ、……きっと」
(ハッピーエンドになるように、今がんばってるよ。変なこと言っちゃってごめんね)
「光栄でございます」
深々と、恭しく、
「イリナがお茶の準備をして待っています。部屋へ戻りましょう」
ユーリックはそう言うと、自分の腕を差し出した。
私はその腕をとって、ゆっくりと歩き出した。
考えを整理するつもりで庭に来たのに、予期せぬレオンの出現で考えることが増えてしまった。原作でのレオンの動きを思い返してみると、重要な
ずーんと重くなっていく頭。もういいよ、今日は美味しいケーキ食べて英気を養おう。メイもイリナも、ユーリックもレイリーも一緒に巻き込もう。
現実逃避。大丈夫、まだ学園が始まるまで6日ある。私は今ある、ささやかな日常に没頭することにした。
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