2.ついに聖女のおでましね……
「な、なんだ!?」
「湖から光が!!!」
「何がどうなっているんですの!?」
「恐ろしいですわ!」
「あ、あれは……!!!」
「ひ、人だ! 湖に人が浮いているぞ!」
湖面が光ったと同時に、湖の水がザアアアアアと音を立てて空中へ浮かび上がった。それは地響きにも似た轟音で、次に何が起きるか分かっている私ですら若干の恐怖を覚えるほどだった。周りを見渡してみれば、集まっていた生徒たちはざわざわと好き勝手なことを口走っては混乱と恐怖と興味でうずくまったり、帰ろうとしてるところを先生方に引き留められたりしている。先生方だって、前代未聞のことに何をどうしたらよいのか、右往左往している。
「エヴァリア!」
不意に鋭く名前を呼ばれて声のする方を見てみると、見るより先に誰かの腕の中へと匿われていた。
「……!?」
驚いて声も出なかった。見上げてみると、それはエドワードだった。
「ケガはないか? 何が起きてるんだ」
原作でのシーンを思い出す。原作では、轟音に驚いたエヴァリアがエドワードの腕に縋りついていたはず。そしてそのあと、聖女がエドワードの前にふわりと降り立って、その美しさにエドワードは聖女に恋をする。そうして、腕に縋りついていた邪魔なエヴァリアを突き飛ばしてしまう。このことがきっかけとなって、エヴァリアは聖女をいじめる悪役令嬢としての道を歩むことになる……。
そんな状況にならないためにエドワードを避けていたのに、台無しじゃない。
振り払える訳もなく、エドワードの腕の中から、湖上空に浮かび上がったその水の玉のようなものに視線を移した。見ていると中央の、一層光が集まって輝いている場所が段々と輪郭を成して、1人の少女が姿を現した。ついにその時が来たのだ。聖女の登場だ。
「皆様、お下がりください」
まるで予期していたように、式典のために訪れていた神官たちだけが冷静で、あちこちへと指示を飛ばして聖女を迎え入れる準備をしている。
湖のほとりのレンガ造りの広場。私たちがいるのはその中央に祭壇のように一段高くなっている、その真正面。まばゆい光はゆっくりとその高くなっている場所へと降りてくる。ぐるりと取り囲むように神官たちが立ち並び、正面にいる私とエドワードの前だけ、ぽっかりと空いている。
ゆっくりと降りてきた人型の光が、どんどん形を成していく。艶やかな黒髪ロング、幼さの残る顔立ち、愛嬌のあるパッチリとした黒い瞳、チェックのスカートに紺のブレザーという制服姿で、驚きの表情を浮かべている。光が徐々に消えていくと共に、聖女の輪郭がハッキリしていく。声を出すことも、周りを気にすることもできなくて、ただただ見つめていた。
もう足が地面に着こうかという時、ぐらりと聖女の身体が大きく傾いた。
咄嗟に動いたのはエドワードだった。
パッと、瞬時に動いて聖女を抱きとめた。その颯爽とした様子は、顔面偏差値の高さも相まってやっぱり絵になる美しさだった。
「あ、ありがとう」
小さく呟いた聖女の声が、静まり返った広場に響き渡った。弱々しい声とは裏腹に、その手はしっかりとエドワードの服を握っていた。
聖女伝説では、主人公である聖女つまりプレイヤーの顔はほとんど明らかになっていない。そりゃイケメンを落としていくノベルゲームなのだから、主人公の見た目なんて関係ないと言えばそうなのだけど。
今目の前に現れた聖女は、可愛らしくて清楚で守ってあげたくなるような見た目だった。大和撫子感があるけど、純粋で人懐っこい雰囲気も持ち合わせている。
「ここは……どこなんですか?」
聖女がおずおずと言葉を発する。不安気にエドワードを見上げたり、彼女にとっては見慣れない出で立ちの私達をゆっくり見つめている。
「ここはイグラント王国のイグラント学園です。あなたは女神の泉から出現されたのです」
「イグラント……? 女神???」
聖女の様子を見ていると、聖女伝説のゲームBGMが脳内再生されていく。今の今まで忘れていたのに、こんなきっかけで思い出すなんて、人間の脳みそってどうなってるんだろう。
「そうです。『女神の泉より出でし女人が、我らに平和をもたらすだろう』というお告げを、私達は今朝聞いたのです。まさにその通りに貴女様がこちらに現れたのです」
「貴女様は女神様の化身なのですよね?」
「我らをお導きください」
神官達がそう言って、聖女を今まさに拝まんとしている。
「ちょ、ちょっと待ってください。私には、きっと何もできないですよ。特別な力もありませんし」
「何を仰いますか。あの湖から光と共に現れて、こちらに降り立ったことが何よりの証拠です」
「なんなんですか一体。私、どうしたらいいの」
今にも泣きそうな聖女。うるうるとした瞳でエドワードを見上げている。その仕草は小動物のような可愛さもあり、守ってあげたくなるような気持ちにさせられる。
「案ずるな。誰も貴女に危害を加えるようなことはない」
聖女を落ち着かせるようにエドワードが言った。
「本当ですか?」
疑うような目つきでエドワードを見上げる聖女。
「本当だ。この国の第三王子の私、エドワード・イグラントが保証しよう」
「えっ、王子様なの……?」
「貴女の名前をお聞かせいただいても?」
「……ワカナ。私の名前は、高橋ワカナ」
あの聖女はワカナというらしい。ゲームではプレイヤーが任意の名前にしている部分だから、私にとっては耳馴染みがない。
「ワカナ様、この国のこと、これからのこと、私達がご説明しますのでご一緒にお越しいただけませんか?」
「え……。あの、エドワードさんと一緒がいいです」
「もちろん、エドワード様もご一緒に」
「いや、私は……」
勝手に話を進める神官と、巻き込んでいくワカナ、迷っているエドワード。そりゃ聖女がメインのゲームだから仕方ないかもしれないけど、ここはゲームじゃないのよ。どうしてモブのように成り行きを見てないといけないんだろう。序盤のこのやり取りは何回もプレイしたから飽き飽きしているのもあって、スキップしたくなった。
「ちょっとよろしいかしら」
(あのー、ちょっといいですか)
神官が少し迷惑そうな雰囲気を醸し出したのがわかった。
「本日の式典は突然の事態で、進行しそうにないですわね。それでしたら、もう私(わたくし)達は帰ってもよろしくて?」
(聖女現れたし、見てるの飽きたんで、帰ってもいいですか)
私が言った言葉で、少し背後がザワザワした。他の貴族の令嬢や子息たちだって大勢集まっているのに、まるでいないように扱われているこの状況を不愉快に思わないのだろうか。
「……まあ、仕方ないでしょう」
レトゼイア家の発言と思えば、提案を無碍にすることもできないのだろう。渋々といった様子で、先生方も神官達も頷いた。
「エヴァリア様!!!」
突然大きな声で名前を呼ばれた。振り向くとレイリーとユーリックが駆けて来るところだった。
「お嬢様、これは一体……?」
「大きな音がしたので、警備を振り切って来たんですが」
ワカナが降臨した時の音は確かに大きかった。何事もなかったわけだけど、こうやって自分の身を案じてくれるのは素直に嬉しかった。
「そちらの女性が湖からお越しになった音ですわ。……もういいんですの。私(わたくし)達はもう帰っても良いようなので、早く帰りましょう」
レイリーはまだ何か言いたそうだったけど、黙って私に寄り添った。ユーリックはというと、ワカナのことをじっと見つめている。登場人物同士、やっぱり通じる何かがあるんだろうか。
ふと、私の視線に気づいたのか、ユーリックは私に向き直り、一緒に歩き出した。
「それではごめんあそばせ」
(じゃ、帰ります)
エドワードは何とも言えない表情でこちらを見ていた。神官や先生方からはどこかホッとしたような空気を感じた。そして、聖女であるワカナは、冷たい笑顔で私を見つめていた。さっきまでの純真さはまるでなく、狡猾なヘビのような印象すら受ける笑みは背筋を冷たくさせた。
きっと見間違いだ。
エドワードからの視線、ワカナからの視線、その他神官や先生や他の生徒たちの視線をビシビシと感じていたけど気にしないようにした。もう今日は早く帰って、イリナにお風呂でマッサージをしてもらおう。美味しいケーキも食べちゃおう。たくさんリラックスして、エネルギーを溜めなくちゃ。
なぜなら、これから先のワカナという聖女がいる生活は、エヴァリアである私にとって、とても大変な生活になるのだから。
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