第2章

1.今日から学校なんて不安でしかないよ……

「お嬢様、よくお似合いです……!」


 メイが達成感を滲ませながらそう言った。


 今日から私は、イングイア学園の生徒になる。この国の貴族は絶対に通う学園。そこは小さな社交界で、ここでの人間関係がこれから先の未来に関わってくる。エヴァリアみたいな大貴族は関係ないけれど、弱小爵位の家の子なんかは必死で上級クラスの貴族に取り入ろうとする。それが結局自分が成人した時のパワーバランスに影響するのだから、みんな必死になるわけだ。


 学園に通う2年間の間に魔力のコントロールと、疑似的社交体験をして私たちは卒業する。この今日という晴れの舞台に、聖女は学園北側にある湖に突如として現れるという設定だったはずだ。


 シワひとつない制服に身を包み、メイとイリナが身支度を完璧にしてくれた。確認するまでもないけれど、一応姿見の前であちこち見てみる。どんどん美しく成長するエヴァリア=(イコール)自分というのが未だに信じられない思いだ。


「完璧でございます。今日というお嬢様にとって素晴らしい日にお世話が叶うこと、大変嬉しく思います」


 メイドとしての完璧な所作でイリナが言った。王族の専属メイドと渡り合えるほどの仕事のできるイリナは、この1年でだいぶ仲良くなった気がするけど言葉はいつも堅い。


「こーんな美しいお嬢様の専属騎士でいられるなんて鼻が高いねぇ」


 扉にもたれかかってこちらを見つめているのは、レイリーだ。


「準備はお済みですか?」


 レイリーの後ろからはユーリックも顔を出した。


「レイリー卿は専属騎士としての心得をすぐお忘れになるようですね」


 こんな時のイリナはちょっとエヴァリアに似てる。


「おー怖い怖い」


 一番年上なのは間違いなくレイリーだけど、気さくなお兄さんという感じで近い距離感が嫌ではない。


 私の誕生日から随分時間が経って、みんながそれぞれのポジションに馴染んでいる。専属騎士を2人置くことになったと社交界で瞬く間に話は広がり、母へのお茶会やサロンの招待状が激増したらしい。もちろん父にも、夫婦で舞踏会にという招待状やらが届いて、仕事に支障が出るとぶつくさ言っていた。だけど顔はどこか、嬉しそうだった。


 私はというと、常にどちらか1人が私と一緒に行動をしていて、息が詰まりそうだった。レイリーは気を遣って色々話したり、和ませたりしてくれたけど、ユーリックとはほとんど会話をできていない。まるで彫刻のようにいることが自分に課せられた義務だと言わんばかりに、黙ったままのユーリックと行動するのは苦痛だった。顔は確かにいいんだけど……。贅沢と言えば贅沢な悩みだ。


「あーあ、俺も学園に通ってみたかったなぁ」


 レイリーが残念そうに言う。


「そうですね。お嬢様の勉学に励む姿や、お食事の姿、同い年のご令嬢方と談笑する姿なんかを、私も近くで見たかったです」


「メイ、それはいつでも見てるでしょう」


 メイと仲良くなったのはなったけど、なんだか違う方向にいってしまっているような気がしてならない。でも出会った頃のようにエヴァリアに怯えているよりは、マシなはず……多分。


「ユーリックはどう思うんだ?」


「私は私の義務を全うするだけです」


「つまんないなぁ」


 そうは言っても面倒見のいいレイリーの言葉だ。私含め、他の人が話しかけた時と微妙な違いがある。表情もさっきよりはいくらか柔らかい。


「そろそろ行きましょう」


 私がそう言うと、4人ともキリッとした様子で立ち上がった。



―――――



「それではお嬢様、夕刻にまたこちらでお待ちしております」


 ユーリックが馬車置場でそう告げた。学園の敷地の一角に馬車が待機する場所がある。基本的に移動は馬車のこの世界では欠かせない場所だ。


「退屈でも夕刻まではいなければならないということですわね」

(なるべく早く帰りたいなぁ)


「そうおっしゃらずに。楽しんできてくださいよ」


 そうレイリーに送り出されて馬車置場を後にした。


 石畳の道に、レンガ造りの花壇、緑が目に眩しい庭園。学園というより、どこかの貴族のお屋敷のような様子だ。ちらほらと他の生徒も歩いてはいるものの、誰もエヴァリアに話しかけようとはしない。


 大貴族のレトゼイア家なのだから、もっともみくちゃにされるかも……と覚悟していたけど、杞憂に終わりそうだ。


「あぁ、私の薔薇」


 ホッと胸を撫でおろした時、聞き覚えのありすぎる文句に思わず凍り付いてしまった。


「今来たところかい? 私がエスコートしてもいいだろうか」


 おそるおそる後ろを振り返ると、やっぱりエドワードだった。エドワードの2歩後ろくらいに、多くのご令嬢が列を成して歩いている。イケメンオーラに毒された可哀想なご令嬢方なのだろう。目がハートになっているのがよくわかる。


「ごきげんよう、エドワード様。そんなに両手に花束を抱えて、どうしようというのです?」

(初日なのに、どうしてそんなに令嬢を連れて歩けるんだろう)


「花束だなんて。私という蜜に吸い寄せられたキュートなミツバチたちさ」


 キャーなんて黄色い歓声があちこちから上がる。


「あらあら、ミツバチでしたらそんなに大きな声は出さないかと思っていましたが……。淑女としては二流の方々のようですね」

(今のセリフのどこに素敵ポイントがあったのか。そしてあなたたち、貴族の令嬢でしょうが)


「おや、私の薔薇が嫉妬でもしてくれているのかな」


「ご冗談を。今、私に寄ってきているのはエドワード様ですから、ミツバチは殿下です」

(エドワードってこんなにエヴァリアに絡む人だったっけ……)


 つらい。朝からカロリー高めの会話すぎる。胃もたれしそう。早く解放されたい。


「ふふふ。そうだったね。……さあ、私は私の婚約者と一緒に向かうから」


 そう言って、背後の令嬢たちを散らそうとする。


「結構ですわ。虫だらけの花なんて見たくありませんので、私(わたくし)はこれで失礼致しますわ」

(勘弁してよ。私のことはそっとしておいてください)


 完璧なお辞儀をすると、私は令嬢に取り囲まれ始まったエドワードを置いて、先を急いだ。


 遠巻きに見ていた他の生徒たちの視線がチクチクと刺さる。だけど誕生日の時の大人たちの目に比べたら、大したことなかった。とは言え、初日から注目の的になるのはあんまりいい気がしない。大貴族のレトゼイア家というだけで、すでに浮いてるようなものなのに。


 足早に先を急げば、校舎裏手に広がる庭に出た。この裏庭を突っ切った向こう側にある女神の泉と呼ばれている場所で、新入生の歓迎式が行われる。まぁ、現代で言うところの入学式みたいなものだ。


 女神の泉というのは、特別な力が宿るとされている湖で、学園内の水は全てここの水である。魔力のコントロールを覚えやすくするためのものだとか、魔力が身体に馴染みやすくなるためのものだとか、色々な噂があるけれど原作では何も明らかになっていなかった。でもここから聖女が出てくるのだから、何か不思議な力が宿っているというのは本当なのだろう。


 湖を確認してみると、波一つ立っておらず、まるで鏡面のようになめらかだった。今から人が、本当にここから現れるなんて誰も夢にも思わないだろう。


 私は深呼吸を一つした。


 いよいよここに聖女が登場する。それは変えられないけど、せめて関わらないようにしよう。関わっても、いじめたりとかは絶対にしない。そんなことをしたらエヴァリアの命が危ないから。


「私の薔薇は歩くのが早いんだね、知らなかったよ」


 心を落ち着けていると、心を乱す人物がやってきた。


「ミツバチに蜜を吸いつくされて枯れてしまったものだと思ってましたわ」

(お願いだから話しかけないでよ)


 私の抵抗空しく、エドワードはまっすぐに私に近付いてきた。原作ではエヴァリアがエドワードにまとわりついていたのに、どうして今は逆になってしまったんだろう。


ザザザザザァァァーーー―――。


 どうやってエドワードを回避しようかと考えていたら、ついにその時が来た。


 聖女がやってきたのだ。

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