第6話 利尻先輩は謙虚になったようです
今日一番の修羅場が起こっている。右方にはエースを追い落とした烏野。左方にはエースから追い落とされた利尻先輩。さて、どうこの対立をまとめたものか。
「えー、烏野、あー……」
あれ? 利尻先輩が言葉を詰まらせている。思い切りの良い先輩らしくない。
「……いやぁ、すごい実力だな、烏野! 俺は脱帽したよ! いったいどうやったら、そんなに速くて正確な球が投げられるんだ? ぜひ教えてほしいなっ!」
……利尻先輩が、満面の笑みで烏野に話しかけた。
「…………」
「…………」
わかる。考えていることはわかるんだけど……。
「利尻先輩、キャラ崩壊してますよ。あと超わざとらしいです」
「中海先輩に同じくです。ていうか逆に怪しいです。何か私に下心があるようにしか聞こえません」
利尻先輩は笑顔のままかちーんと固まった。
「い、いや、そんなはずない! 僕は本心から話しているのだっ!」
慌てている利尻先輩もかわいい。かわいいんだけど……。
「やっぱりキャラ崩壊してます。まずは一人称を俺に戻してください」
「中海先輩に同じです。あとわざとらしいです」
利尻先輩はしゅんとうなだれてしまう。さあ、元のキャラに戻ってくれるだろうか。
「いいか! 俺が今日お前に負けたのは、たまたまだからな! 今日は本調子じゃなかったんだ! 見てろよ、明日はボッコボコにしてやるからな!」
「……わーい、利尻先輩が正気に戻ったぞー!」
「今日はパーティーですね!」
「ちょっと待て、なんで俺はそんなに深刻な状況になってたことになってるんだ……!」
ともあれ、通常運行に戻ってよかった。
「……えーと、先輩方、ちょっといくつか質問をしてもいいですか?」
烏野が少し改まって僕たちに訊ねてきた。
「おう! 俺に何でも聞いてくれ! 優しく教えてあげよう!」
「利尻先輩、自分から『優しく』と言う必要はないと思いますが……。まあ、いいでしょう。実は、質問というのは、中海先輩のことなんです」
「ふぇっ!?」
やばい、変な声を出してしまった。練習メニューとかを聞いてくるのかと思っていたのに。僕に変な噂でも立っているのだろうか。
「ほら、中海先輩って、最近はなかなか知名度が上がってるじゃないですか。『近山高校の勝負師』とか、『実質監督』とか言われてますよね」
事実だ。事実だけど、好き好んでやっているわけではない。単に実際の監督が頼りなさすぎるというだけで、僕は毎試合しょうがなく指揮を取っているのだ。
「えっでも利尻先輩、あの監督の言う通りに試合をしたら、勝てる試合も勝てませんよね」
「まったくだ。あの監督は野球を野球と思っていない。中海ほどではないけど、俺でもあれよりはうまくやれる自信があるぞ」
「へー、そうなんですか。どんな人なんだろう、そのダメな監督は。楽しみだなぁ」
「あいつは中海のクラスの担任であるはずだ。まあ、明日の入学式で見られるだろ。かなり癖の強い人だけど、中海は一年間の経験で扱い方を熟知しているから、困ったら中海に聞けば大丈夫だ」
「そんなにわかってるわけでもないですけど……」
むしろ、いくらわかってもわかり足りないくらいだ。次にどう行動するのか、あの監督兼教師のことは全く読めない。
「そういや、烏野たち一年生は、明日が入学式だったんだよな。一日早いけど、おめでとう、烏野」
「そこは明日言ってくださいよ、利尻先輩。どうせ明日も会うんですから」
よしよし、烏野と利尻先輩は打ち解けてきている。最初はどうなるかと思ったけど、それなりに仲良くなってよかった。
「あっ、じゃあ、私はこの曲がり角を右なので」
「おっ、そうなのか。実は、俺と中海も、いつもここで別れてるんだよな」
僕が左で、利尻先輩がまっすぐだ。
「いやー、三人が同じ曲がり角でそれぞれ別の方向に行くなんて、なんか感動的だな!」
「ほへー、詩的ですね、利尻先輩」
「いや、むしろやめてください。明日が入学式だというのに、不吉です」
利尻先輩の下手な冗談に突っ込んでおいてから、僕たちは今度こそ手を振って別れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます