後編 窮地から脱出する日

「開門!」

 翌朝。未だ兵士たちに囲まれている邸宅に、メアリィを訪ねたのは皇帝からの勅使ちょくし

 そして門をくぐり中に入ってきた男を、メアリィが出迎える。


「お使い、大義です。

 貴方が来たのですね、ホウロウ。

 そういえば、御史ぎょしになったのでしたね」

 そう声をかけたメアリィに、勅使ちょくしの男は水色の髪を振ると、片手でかけている眼鏡を直し。

「再逆転だよ、メアリィ。

 先に御史ぎょしとして国に仕えた私に、皇太子と婚約した貴女は雲の上の人となったけれど、こうなってしまえば地に落ちたものだ」

 そして、薄くわらうように口の端を歪める。


「そうですね、どうやら貴方の勝ちのようです。

 結局私の考えは、以前貴方の言った通り甘い理想論で。出る杭は打たれる、と言ってしまえば恨みがましいですか。

 ……それで、私の沙汰は?」

 それでもあくまで冷静そうに、メアリィは問うたのだったが、

「こんなものは、私の望んだ勝ち方ではない!

 私の望んだのは互いに高め合う切磋琢磨せっさたくま、互いの足を引っ張り合うことではなかったんだ。

 だから言ったでしょうメアリィ、空を見て上ばかり向いていると、足元にあいた穴に落ちると。

 貴女ともあろう女性ひとが、なんと不甲斐ふがいない……っ」

 問われたホウロウは激高して声を荒げた。


「そんなに怒らないで、私の代わりになるわけでもないのだし。

 それに、これでも反省しているのです」

「本当ですか?」

 まだ苛立いらだちの滲む声に、ただうなずくメアリィ。

 その後しばらくの間無言が続き、わずかに邸宅の外にいる兵たちのざわめきが聞こえてくる。


「そう、君の処分だったね。よく聞くといい。

 ……上意である!」

 ふところから書類を取り出し広げるホウロウに、メアリィほか居合わせた者はこうべを垂れた。


「麗水候息女エル=メアリィ。皇太子ホン=オージの婚約者でありながら他国に通じ国を売り渡そうとした罪で、その身分権能を全て剥奪はくだつし……奴隷に落とすこととする」

 それを聞いて息を呑んだものは、何人いただろうか。

 少なくとも、伏せた顔を蒼白にしたメアリィ当人は、間違いなくその1人であった。


「前例のない処断だけど、これは冗談でもなんでもないよメアリィ。

 命があると言っても、君がこれから過ごすのは、命を失うよりも辛い日々かもしれない」

 まだ登ったばかりの陽の光を反射して、その眼鏡がホウロウの瞳を一瞬隠す。


「だから、せめて少しだけ時間をあげよう。

 ……君が心の準備をする間だけ、待つ。

 でもその後は、すぐに向こうの馬車に乗って待機している奴隷商に引き渡すよ。いいね?」

 その言葉に青い顔のまま頷いたメアリィは、それでも精一杯の矜恃とともに保った足取りで、静かに建物の中へと戻り。



 *** *** ***



 そしていくらか日が高くなった後。

「おまたせしました」

 姿を表したメアリィは、ホウロウに先導されて護送用の馬車へと進む。

「覚悟が、出来ましたか。

 では、行きましょうか。この後は、二度と出会うこともないでしょう」

 これが最後と、ホウロウが声をかけた、その時。


「おや、おかしいよね?」

 馬車を取り囲んで居並ぶ者たちに混じってそれを見守っていた女が、声を上げた。

「メアリィお嬢様から先程まではほとんど感じなかった魔力が、今はこんなにたくさんただよあふれている。

 方士ほうしである私の目は、誤魔化ごまかせないよ。

 いけないなぁ、国の転覆てんぷくの次は、何を企んでおいでです?」

 そして被っていたツバの小さな帽子を少し持ち上げると、ゆったりと羽織っていた服の袖から、何枚もの魔力で書かれた札を取り出した。


 札は一直線に宙を翔けてメアリィの下へと飛ぶと、一気に燃え上がり炎を吹く!

「メレイ、どうしたのです!?

 九寺きゅうじ所属の国家魔術師たちからわざわざ貴女がついてきて、何事なのですか!」

 既に馬車の中へと乗り込んでいたホウロウが半身を乗り出しながら問いただすと、その騒動に邸宅を取り囲んでいた兵の責任者スイクン将軍も駆けつける。


「ホウロウ、それにスイクンもだけど、あなたたち妙にメアリィに甘いんじゃない?

 あの女は外見に似合わない性悪よ、また何か仕掛けてきたわ。

 あの魔力、多分つながっていた聖王国から持ち込んだ、彼の国お得意の『魔道具』ね。間違いないわ。

 でも私の前にかかれば物の数じゃない! もうあの炎に力を吸われ、体はそのまま灰になる」


 どこか鬼気迫る表情で答えるメレイにホウロウは。

「やりすぎです!」

 たしなめるというより非難だったが、なおもメレイは言い募る。

「反抗したら生死は問わないと言われたから、私はこうして来たわ」

「お前、そこまであの時のことを恨んでいるのかよ!」

 今度はスイクンとメレイがにらみ合った。


 しかし。


 ヒュン。ヒュン、ヒュン……


 聞こえた鋭い音に視線を戻せば、幾閃もはしる銀の輝きに、柱のように大きく燃え上がっていた炎が切り裂かれた!

 中から現れたのは、料理人のラギア。でもその姿は、アマノハでは珍しい異国風のコックコートを着て。


「やってくれるなぁ。大事な借り物の魔道具が、一瞬で壊れちゃったよ」

「何者です?

 そこには、さっきまでメアリィがいたはず。どこにやったのですか!?」

「まさか、『姿変じ』の魔道具でメアリィと入れ変わっていただと?

 そんな、聖王国でもかなりの貴重品のはずだ。

 まさかそんなものまで持ち出してくるとは、裏にいるのは余程の大物。誰だ!?」

 ぼやいたラギアに、ホウロウが誰何すいかし、メレイが更に重ねて問う。

「そんなの、言えるわけないじゃないか。

 でも、残念ながら握手を求めてくれた手は、敵対する反対の手で切られてしまった。

 だったらせめて、つなぎかけた手だけでもどうにか出来ないかと思うよね?

 私達はこれでも、義理堅いんだよ」

 そういうラギアの目は、手に持った刃より剣呑けんのんに光る。


「くそ、身代わりを用意して逃げたか!

 おいお前たち、急いで周囲を探せ。

 ホウロウ、ここは危険だ。ひとまず避難を、ついでに皇宮への報告も頼む。

 ……しかし、これでもう本当に会うことはなくなるだろうな。やはり心残りだよ、メアリィ」

 指示を出したスイクンは、最後にポツリとつぶやいた。


 一方、ラギアと向き合ったメレイは。

「どれほどの力があるかわからないけど、こちらは準備をしてきているの。

 たった1人でいまさら挽回なんて、できないわ!」

 そして舞った腕は袖を大きく膨らませ、そこから何百千という札を飛ばした!


 その圧倒的量に、見る者全て勝敗は決したと確信する。

 しかし。


「分身だと!?

 そして、あれだけの数の札を全て切り刻む、あの数え切れないほどの剣閃。

 まさか、聖王国にその名も聞こえる二つ名持ちの高位冒険者『千閃の刃』か?」

 スイクンから、驚きの唸りが漏れた。


 メレイの攻めも守りも、一瞬にして千々に散らされて。

 そしてその端切が辺りに広がり、まるで白く靄がかかったよう。

 その中をラギアがいくつもの影に揺れながら瞬足で駆ければ、捕まえられる者などありはしない。

 慌てて構えた兵の幾人かから血煙が舞い、白の中に赤が交じる。 


「……くっ、突破される。追え!」

 スイクンは、服まで細断されて動けなくなったメレイに今まで着けていた外套がいとうかぶせると、その場の兵を引き連れ囲みを破って走り去っていくラギアを追った。



 *** *** ***



 そのしばらく後。人のいなくなった邸宅の門から顔を出したのは。

「はは、どうやら本当に全員がいなくなりましたな、メアリィお嬢様」

「そうね、ロウキ。こんなにうまくいくなんて、信じられません」

「既にお嬢様は逃亡したと思い込ませたのがお上手でしたな」

「それにしても、スイクンも不用心すぎます」

 そして辺りを窺う2人に近付く、1人の影。


「さすがに残っている見張りがいましたよ。

 隠れて様子を確かめ、必要ならまだいるかも知れない関係者を捕まえるか、そうでなくても尾行ができるように。

 しっかり仕掛けを残していくあの将軍も、なかなか大したものです。

 でも……」

 現れたのは町娘の姿をした少女。


「この針に仕込んだ私の毒で、今は全員眠ってもらいました。そこの、たしかメレイさんのように。

 お迎えに上がりました、メアリィ様。さ、こちらに」

 そして3人は、少女の案内で、ラギアやスイクンたちが向かったのとは異なる方向へと走り出す。


 町の裏道を抜けながら。

「おや、こんなところを通り抜けることができたのですか。

 長い間この町で生きてきましたが、まだ知らぬところがあるものですなぁ」

「ロウキも知らなかったのですか、私もです。

 住んでいる者よりこの町に詳しい、貴方は何者なのですか?」

 立ち止まったメアリィが物陰から向こうを窺う少女に声をかけると。

「この町のことはよく知っています。以前居たこともありますし、それ以上に色々と教わりましたから。

 それより、合図したら一気にここを走り抜けますよ?」


 そして数瞬後、再び一気に駆け出す3人。

「ほ、ほ、ほ。これだけ駆けますと、老骨にはこたえます」

「ご謙遜を、ロウキさん。まだ全然息も上がっていないじゃないですか。

 それより、メアリィ様も思った以上に頑張りますね」

 話す二人を追いながら、

「昔を思い出しているところです。

 ふふ、どうやら私には皇太子妃を目指すより、こちらのほうが性に合っているようです!」

 まるでくびきから逃れたことを喜ぶかのように、口元に笑みを浮かべて答えるメアリィ。


「ほう、このまま行けば間もなく港ですな?」

「ご明察です、ロウキさん。そこで貨物船に同乗して、聖王国に向かいます。

 ……おっと!」

 案内の少女が手の中から針を投げると、それは見事あちらにいた兵士に刺さり、その場へと崩れ落ちる。

「しかし、その毒針は効果覿面てきめんですな」

「あの兵士の方は、大丈夫なのでしょうか?」

 ロウキとメアリィの声に、少女の答えは。

「きちんと解毒すれば大丈夫ですよ」


「そう、それなら良いのですけれど。国に忠実な兵をできるだけ傷つけたくありません。

 ……これも感傷なのでしょうか」

 一瞬視線を宙に浮かせるメアリィと、

「ところで、貴女の仰られようは『解毒しなければ目覚めない』というようにも聞こえるのですが?」

 微笑みつつも、ロウキの視線はすっと険しくなって。

「さすがですね、今度もご明察の通りです。

 実は、この国では秘伝と噂のある『あの毒』なんですよ。

 だから、国がその気になれば解毒剤が手に入らないということもないはずです。ご安心くださいね」

「! まさか貴女は、あの『特別な』御一族とも関係が……?」

 ロウキの問いが終わる間もなく。


「着きました、あの船です!」

 目の前が一気にひらける。

 いつの間にか強く香る潮の香り。

 そこには向こうへと海が広がり、巨大な船が何隻も浮かんでいた。


「なるほど。聖王国に本拠を置き世界中で農産品を商う大商会、カーン商会の船ですか」

 船に掲げられた旗を見て、ロウキは納得したようにそう言った。

「はい。

 メアリィ様を捜索する追手はラギア様がひきつけてくださる手はずですし、既に各所にも袖の下を贈っております。

 それにエル家が失脚した今も表に裏に聖王国と親しい勢力はございますし、あちこちで牽制の激しいアマノハではなおのこと、今から船をあらためたり出港を差し止めるなどといった迅速な対処もできないでしょう。

 ですから、この後は心安らかにしばらくの船旅をお楽しみ下さい。

 私、カーン商会のジェイドが不束ふつつかながらご案内いたします」


 そう言って乗船をうながす少女ジェイドに、

「結局、聖王国の方たちは身近に入り込んでいて、それに助けられ逃亡を図る私は。

 なんのことはありません、その実は皇太子殿下から断罪されたとおりであったような気もします。

 皮肉なものですね、それともこれは全て私の無知なるが故なのでしょうか。

 ……ああ、この船に乗って行く先には、いったい何が私を待っているというのでしょう?」

 メアリィは思わずそう口にする。


「この船の上で、メアリィ様はそう、いわば生まれ変わられるのです。

 そして海の向こう、聖王国で待っているのは、あるいは新しい運命かもしれません」

「ほ、それはまた大層なことですな!

 そういえば、彼の国には運命神様の最高神殿もありましたか」

「『運命』、ではそれに抗おうと考えることすら、人の身として不遜ふそんなのかもしれませんね」


 返ってきたジェイドの言葉に、ロウキは呵呵かかと笑い、メアリィはひとたび瞑目した後。


「ですがそれなら、せめてそれを私なりに生き切ることで、逆にその意味を問うてみることはできるのでしょうか?

 ただ翻弄ほんろうされるのではなく、その深淵をわずかでも垣間見かいまみたい。

 ……ええ、それができるのなら。残されたこの命を賭け、私は今の無力な私に別れを告げましょう」

 そう言って開かれた瞳には、婚約破棄を告げられて以来姿を消していた、強い意志と想いが浮かび上がっていた。


 そしてしばらく後。船はメアリィたちを新天地へと運ぶため、港を離れ大海原へと乗り出していった。

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