夢破れた蕾は、花咲くことを誓って

めぐるわ

前編 婚約を破棄された日

「麗水候が令嬢エル=メアリィは、皇太子ホン=オージの婚約者でありながら、他国に通じ国を売り渡そうとした罪、断じて許し難い。

 従って、ここに婚約を破棄し、断罪するものである!

 しばらく屋敷に引きこもり謹慎して、沙汰を待て」


 立ち並ぶのは金銀の箔が押された柱、その間を繋ぐのは螺鈿らでんの星が舞う黒漆くろうるしの壁。

 綺羅きらびやかな宴の開かれていた皇宮大広間『星天の間』に冷たい声が響いて、あたりは水を打ったように静まり返った。


 着飾った招待客が取り巻く中で向かいあって立つのは、いずれも豪奢ごうしゃな正装をした美男美女。

 皇太子の冠の下に茶色の長髪を後ろへと長く垂らしまとめた男は、普段涼やかに微笑む目を炎のように見開き怒りを現している。

 それを受ける女は、結った亜麻色の髪も気丈に整った耳目も、今は氷のように動かない。

 この国の皇太子とその婚約者として、いずれ共に並んで国を率いるはずの2人だった。

 しかし彼女は今罪人として周りを武装した皇宮衛士に取り囲まれ。

 そして彼の隣には、今は別の女が立っている。


「なんのことでしょう、オージ殿下。

 仰る意味がわかりません、私にはそのような覚えなど……」

 女は、と言っても年の頃は未だに16歳を前にした少女なのだが、だからこそ驚きを隠しきれないのか僅かに表情を崩して声を上げる。

 しかし、男には取り付く島もなかった。


「白々しい!

 メアリィ、貴様の家に出入りしていた自称『行商人』の正体が、不逞ふていなこと目障り限りない聖王国の高官であること、既に調べが済んでいるのだ。

 そして、しばらく前に起きた経済の混乱が、彼の国と足並みをそろえ我が国の政変を企んだものであることも露見している。

 道理で貴様の父が行政を司る尚書令しょうしょれいに就任した途端、にわかに沈静化したはずだ。もともとそれが狙いで、仕組まれたものであったのならな。

 しかし、既に陛下ははかりごとを見破られ手を打たれた。今宵この場で罪が明らかにされることに、陛下の怒りを知るがいい。

 私はその名代として、今この場に立っているのだ。

 先日成立した法も、彼の国の暗躍をはばみ貴様ら親子を断罪する布石。流石に気付いてはいなかったようだがな。

 既に逃れる術はない、覚悟をしておけ」

 言い放たれた声にも苛烈な怒りがありありと感じられ、したたかに少女を打つ。


 少女は一瞬俯いて体を震わせたが、束の間のあと、静かに顔を上げ。

「なるほど、事情は飲み込めました。

 ところで、どうしてトロン様がそちらに?」

 そのまま目線を動かすと、自分より皇太子に近い場所に立っている令嬢を指す。


「ああ、お前たちの陰謀をくじくために、このトロン嬢が献身的に尽くしてくれたよ。

 あちらこちらを走り回り、心あるものに真実を伝え、正しい道を指し示してくれた。

 また彼女の父上、中書令ちゅうしょれいである凌浪候メーダ卿がその職責を全うし法案起草の責任者として尽力してくれたからこそ、こうやって貴様らのような害悪をこの国から駆逐できるのだ。

 まさに、真の忠臣よな」

 男が優しげな視線を隣に向けると、それを受けた少女トロンははっきりと頷いた。


 そしてメアリィとトロンの視線が交錯する。

「こんなことになってしまい残念ですわ、メアリィ様」

「トロン様、皇帝陛下や皇太子殿下にも、そうやって胡乱うろんな言葉を吹き込んだのですか?」

「何処に真実があるかは、皇帝陛下の御意で調査を統括された御史大夫ぎょしたいふ閣下のお手元にある資料が語ってくれるでしょう。

 ただ、今メアリィ様の置かれた状況で、おおよそお察しになれるのでは?」

「……たしかに、残念です。

 こんなことになるのなら、もっと皇帝陛下や皇太子殿下と、しっかりお話をしておくのでした。

 皇太子妃にふさわしい自分になれるようにと努めてきましたが、周囲への心配りを怠ってしまったようで悔やまれます」


 そこで、睨み合うような2人の会話を、皇太子オージの声が遮った。

「今以上の工作をしておけばよかったということか、メアリィ?

 まさかそんな恨み言を聞くとは、君の高潔さを評価していただけに残念だよ。

 もう口を開かないほうがいい。潔く罪を背負うのだな、せめて私の『元』婚約者に相応しく」


 その言葉を合図にしたかのように、メアリィの左右を皇宮衛士が挟み、大広間から彼女を連れ出す。

 メアリィは一度だけ『元』婚約者である皇太子の方を振り向いたが、そのまま正面へと向き直ると毅然と前を向き歩き出した。

 その姿は、皇宮衛士がメアリィを拘束しているはずなのに、まるでメアリィが皇宮衛士たちを率いているようで。


 メアリィのいなくなった皇宮大広間は、まだ静まり返ったまま。

 その中心に残された皇太子オージと令嬢トロンは、

「我が国は、アマノハはこの功績に必ず報いるだろう。

 そして、国を救った君こそが将来の皇太子妃に相応しい。私はそう信じているよ」

「うれしい……前々より、お慕いしておりました」

 メアリィのことなど既に眼中にないとばかり、暫く見つめ合うのだった。



 *** *** ***



 古代帝国からの正統を誇り、世界最大の強国をうたう、大帝国『アマノハ』。

 向き合う半島のそれぞれに広がる大きな領土は、結節点の細い海峡ほぼ一点で接している。

 そこに置かれたのが、首都「澎界府」。

 街を囲み威容を誇る九重の城壁も、月夜に沈む中。

 その一角にある麗水候エル家の邸宅は、篝火かがりびを持つ兵士たちに物々しく取り囲まれていた。


 皇宮から兵に取り囲まれたままやってきた馬車が、門前に止まる。

 その中から姿を表したのは、先程断罪され皇太子から婚約を破棄されたエル家の令嬢メアリィ。

「将軍、確かに連れてまいりました」

「よし、間違いないな」

 馬車についてきた兵が、屋敷を取り囲む兵の中から現れた赤い鎧を着た男に報告する。

 将軍と呼ばれた男は、外套がいとうを夜風になびかせながら兜を脱ぐ。現れた短く刈り込まれている髪は鎧にも負けないほど赤く、その下の目はいつもの朗らかさとは打って変わったいきどおりを浮かべてメアリィを凝視した。


「君がこんな女だったとは、失望したよメアリィ」

「スイクン、貴方までそう言うのですね」

 言葉と同時に、メアリィの瞳が一瞬悲しげに揺れる。

「あれだけ証拠が揃っていて、今更疑いようもあるものか。

 どうして、こんなことをしたんだ?」

 それに応じたのは、押し出しすように悔しそうな声だった。


「あの時、君に学ぶことを教えてもらえたから、今俺は帝国軍の中でも皇帝陛下直轄の禁軍きんぐんで最年少の将軍にだってなることができた。

 知っていたか?

 このまま位を進めることができたら、いつか帝都の治安を守る執金吾しつきんごとして君の足下そっかで不届き者に目を光らせ、その時には皇后になっているだろうメアリィを皆でたたえたい。そう思っていたことを」

「ええ、気付いていました」

「なるほど、人の心をもてあそぶのが上手いのは本当みたいだな。

 身分など気にせず君と一緒に遊んだ幼い頃の俺の夢は、いつか君を嫁にすることだった。

 それがお互いの立場を理解するようになり不可能だと悟った後、それならせめてと願った夢まで、こうして奪われることになるなんてな」


「スイクン……」

 メアリィは声とともに腕を伸ばそうとしたけれど。

「触らないでくれ。

 いや、今はもう君の声も聞きたくない。

 結局俺の夢は、君の裏切りで全て奪われることになったんだからな。

 今はただひたすらに、君のことが憎い。君に教えられてこの身につけた知識が、いとわしいくらいだ。

 これからはせめてそれをこの国のために使うのが、君に対する意趣返しだと思うことにするよ」

 頑とした拒絶に、メアリィの手は力なく下に落ちた。それは、まるで『泣きそう』なのに流れなかった、涙の代わりのように。


「……連れて行け」

「了解しました、スイクン将軍!」

 メアリィは、兵士に邸宅の中へと連行されていく。

 その乾いた目がまだスイクンに向けられても、スイクンの視線が再び交わることはなかった。



 *** *** ***



「……お嬢様!」

 邸宅の中に入ったメアリィを迎えたのは、年老いた家宰の声。

「ロウキ、今戻りました」

「ご無事にお帰りになられ、何よりでございます」

「皇太子殿下に、婚約を破棄されてしまったわ。

 あまり無事とは言えないわね」

 深く頭を下げる家宰に、メアリィは苦笑しながら返す。


「まだ、誰も戻っていないの?

 お父様は?」

 ほとんど灯りのない邸宅の中を見回して、メアリィがそう口にすると。

「……旦那さまは。

 呼び出しを受けお出かけになった皇宮で、国の最高位の官である三省六部の長が居並ぶなか、最側近の御史大夫ぎょしたいふが皇帝陛下に調査の結果とやらを言上され、そのまま暗に死をたまわり別室でご自害をされたと」

 うつむいたままの家宰の顔からほんのわずかにしずくがこぼれ、邸宅の外から差し込む月光を弾いた。


「そう、ですか」

 メアリィは表情を無くしたまま、それに答える。

「兄や弟たちは、どうなりました?」

「罪を裁く刑部けいぶの下、牢に拘束されておられると聞き及んでおります」

「私がここに帰ることができたのは、これでも温情だったのですね。

 それで、私はどうなるのでしょう?」

「お嬢様については、近日中に陛下側近の御史ぎょし沙汰さたを持ってここに来ると」

「私も、死をたまわるのでしょうか?

 ええ、そうね。罪一等を減じての国外追放は、他国と結託した陰謀を疑われているようだし、まずないでしょうね」

 受け答えをする家宰も、それを聞いて声を詰まらせる。


「私も父様も、結局脇が甘かったのですね。

 確かに私達が良かれと思って聖王国との関係改善を図ったのは、間違いのないこと。

 誤解と偏見を払い、共存と共栄ができれば、それがこの国のためでもあり世界のためにだってなると考えたのですけれど。

 でも、父様が行政の長である尚書令しょうしょれいになってそれをさらに具体化させ前進させる好機だと考えたのが、大きな陥穽かんせいでした。

 もしかしたら、役職に就けることで当時混乱していた経済を立て直すために父様を忙殺し、結果として水面下で進めていた聖王国とのやり取りにほころびを起こさせ付け入る隙を生む算段つもりだったのかもしれないですね。

 これも全て誰かの計算ずく。『一番怖いのは人間』、書物では読んで学んで解っているつもりだったのですが」

「お嬢様……」

「ふふ、そんな顔をしないで下さい。

 そうだ、せめて最後の晩餐ばんさんに、豪勢な食事をしましょう!」

「……お嬢様?」

「呆れた顔をしないで下さい。

 もう食べる者がいなくなるこの家に余分な食料を残しておいてもしようがないし、」

 メアリィは微笑んだ顔のまま。

「もしこのあと悪あがきをするにしても、しっかり食べて体力をつけておかないと。

 今のままでは、ただ怒ることや泣くことですら、できそうにないもの。ね?」

 そして、家宰を伴うと食堂へと歩いていった。



「お嬢様、ご無事で何よりです!」

 食堂へと入ったメアリィを出迎えたのは、まだ若い女性の声。

 日頃は元気に厨房を取り仕切っているのだけれど、今は安堵の色が濃い。

 そして奥から声の主が現れた。編み込んだ髪を布で包み、その繊細そうな手には似合わないほど鋭く大きな刃物を握っている。


「残っていてくれたのね、ラギア。

 あまりこの家も長くないのに、そんなに気負わなくて良いのですよ?」

「いやぁ、雇っていただいたのは最近とは言え、お世話になったお家の一大事です。気にするなっていうほうが無理ですよ」

「これまでもそうだけど、この先も多分もう長くはないでしょうに、物好きですね。

 まさか、その手に握ったもので何かするつもりだったのですか?」

「必要なら、お嬢様の敵を千切りにしてやりますよ?」

「それは心強いですね!

 でも、せっかく何かするのなら、その手で美味しい料理を作ってください」


 キラリと刃を光らせるラギアに、メアリィは面白がりながら言いつけた。

「この状況でお食事ですか?

 お嬢様、意外と肝が座っておられますね!」

「皇太子殿下の婚約者になってからは猫をかぶっていましたけれど、元々はやんちゃでお父様を困らせていたのですよ?

 ほら、この家にある食材に罪はありません。……いえ、疑いのもとになった『行商人』のご縁で購入したものですから、問われた罪の一因ではあるかもしれませんけれど。

 だからこそ、今はお腹の中に収まって、この窮地きゅうちを脱するための力になってもらいましょう」


 そう言って片目を閉じたメアリィに、

「こんな事になって、聖王国が憎くはないんですか?」

 ラギアはどこか遠慮するように問うたのだったけれど。

 それに対してメアリィは、少なくとも表面上は冷静に答えた。

「こうなってしまったのは、私達の力不足。

 手を取ろうとしてくださった聖王国の方々に申し訳なくはあっても、逆恨みをするのはあまりに格好が悪いじゃないですか」

 そして、どこか自嘲じちょう気味にではあったけれど、ニッコリと微笑むと。

「はは、わかりました!

 お嬢様は思った以上に凛々りりしいですね、失礼ながら見直しております。

 それじゃ料理人ラギアの名にかけて、ここにある食材を平らげる勢いで、腕をふるいますか!」

 ラギアもニッコリ笑うと、そのまま賑やかな晩餐ばんさんとなって夜は更けていくのだった。


 邸宅に灯る光は、まだ明るさを失ってはいない。

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