第09話 あいたいぜ、あえないぜ
偶然もかさなり、その日も彼女と学校から下校することになった。
彼女は、あいかわらず、はんぶん閉じたような目をしているけど、やっぱり眠いわけではないらしい。授業中、あくびひとつしない、ほんとうに眠くないらしい。
いつものように、彼女は下校途中の道で町にいる野良猫を探す。
彼女は歩きながら猫にはなわばりがあるのだ、と教えてくれた。
なわばりといっても、同じ猫同士で土地かぶっているため、じっさいは、お互いのなわばりで遭遇しないように時間帯をずらしてうろうろしているらしい。それを彼女は「なわばり、猫ずらし」と言った。言ったというより、宣言ともいうべきか。かくじつに、辞書にはのってない言葉だった。
たとえ、宣言だとして、誰へ向けた宣言なのかわからない。そのままにしておいた。自然のままが、イチバンのときもある。
彼女は下校途中に道で遭遇する野良猫のなわばりを、ぼんやりと把握しているらしい。どうやって調べたのかと聞くと「執念だ」と答えられた。「それを知るために、知性を鍛えた」
「そうなんだ」と、答えておく。
深追いはしない。
空は青く、晴れていた。まだまだ終わるにはもったいない天気の下、一緒に歩く。
そして思う。猫がいない。
猫と遭遇しない、猫みたいな顔のおじさんとも会わない。
いまのところ、今日のこの帰り道で、猫といっさい遭遇してない。しっぽのも、ヒゲのまったんすら、まったく見かけない。
雨の日なら、ともかく、こんなことはめずらしかった。晴れているし、涼しい。にもかかわらず、猫を見かけない。
この状況を彼女はどう思っているのか。気になって、ようすをうかがう。
彼女はいつも下校途中、町の野良猫を観ることに心血を注いでいる。なのに、今日は、一匹も猫が町にいないわけで、内心、落ち着かないのではないか。
いや、べつに、こっちも、いつも一緒に下校しているわけでもないので、彼女が毎日、ぜったいに猫をみつけているかはわからない。下校途中に猫を見ない日だってあるとは思う。でも、さいきん、彼女は下校途中に猫をみつけると、写真をとって、こっちのスマホへ送って来る。そして、いまのところ、学校のある日は、毎日つづいていた。
皆勤賞だった。めざしてほしいところだった、達成してほしいものだった。
でも、今日はまだ野良猫を一匹も見ない。歩き始めて最初の方は、彼女も平然としていた。けど、だんだん、目がきょろきょろさせ出す。わかりやすかった、それから、顔ごときょろきょろさせ出す。さらにわかりやすくなってゆく。
これが前にいっていた、血まなこだろうか。はじめて、人の血まなこを見た。こんな感じなのか。
かんさつしてしまう。その間も、一匹の猫にも出会えない。
そして、こっちがだまっていると、彼女がいった。
「不安は、わかるよ」
急にそんなことを言って来る。
「落ち着きたまえ」
目はあいかわらず、はんぶん閉じた感じだけど、不安なのはあきらかに彼女の方だった。落ち着きがないのも彼女だった。
すべては、猫がみつけられない。そこから発生している、こころのゆらめきだった。
ついには、駅まであと少しのところまで来てしまう。
けっきょく、今日の下校中には一匹と猫と遭遇しなかった。気配すら感じない。
駅が見える場所までくると、彼女は、いよいよ、なにも隠さず落ち込んでいた。肩を落とし、顔に影ができている、まるで痛んだ、ナスみたいな感じになっていた。
いったい、このまま下校途中に一匹も猫と遭遇しない場合、彼女は最後にどういう状態になるんだろう。その状態をかくにんしてみたい気もする。おかしくなるんだろうか。
では、どんなふうに、おかしく。
と思っていると、彼女が足を止めた。駅前の長くて細いビルを見上げる。
三階あたりをみつめていた。なんだろうと、こっちも見上げる。
そこに猫カフェがあった。
彼女はその場に立ち度杏里、じっと、ビルの三階あたりを見上げていた。ぜったいに、猫カフェの看板を見ている。視線が固定されている。
少し泳がせてから「まさか」と言いつつ、ビル三階を指さす。ここで猫と戯れて、出会えなかった今日ぶんの猫を補完する気なのかと。
すると、彼女は顔を左右に振った。そして「入ったら、永遠に出らなくなる」といった。それから「そんな危険は、おかせない」と言い出す。
「そうなんだ」
と、返して猫カフェを見上げる。窓には、キジトラの猫の写真が貼ってあった。ちょっと、画像を加工している気もする。
そのままビルを見上げ続けていると、彼女が「ゆこう」そういって歩き出す。「負ける日もある」といった。
何にたいしての、勝ち負けなのかは、聞かずにおいた。
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